今回紹介する記事は
2024年4月5日付けの
 
「毎日新聞」の記事です。
  
【きっかけは苦境の中に】


というタイトルで、
論説委員小倉孝保氏が、
米国で最も有名な仕立て屋さんの生涯について、
紹介しています。

いつもどおり、
「4つ」の視点でこの記事を見ていきます。
 
(4つの視点についてはこちらをご覧ください)

  ☆新聞記事の紹介について

(発信者が重視するテーマに関してはこちらをご覧ください)

始めに読んでほしいブログについて


(1)内容の要約

 考え方から所作、
肌の色まで相違点の目立つ米国のオバマ・トランプは、同じ職人にスーツを仕立ててもらっている。

ニューヨーク・ブルックリンのマーチン・グリーンフィールド氏の服を身にまとった大統領は、
アイゼンハワー・フォード・クリントン・バイデンの計6人になる。

顧客には、
F・シナトラやP・ニューマンら超大物芸能人もいた。

 チェコスロバキアの小さな町で1928年に生まれた。

名はマクシミリアン・グリュンフェルド。

ユダヤ系だった。

 ナチス・ドイツによって1944年、
両親やきょうだいと共にアウシュビッツ強制収容所に送られる。

家族と引き離される時、
父に言われた。

「強く生きろ」。

それが最後の言葉となる。

 収容所では独兵の服を洗濯する係だった。

ある日、
シャツを破いてしまい、
兵士に殴られた。

そこで裁縫と出合う。

収容仲間が縫い方を教えてくれた。

 1945年の解放時、
家族で生き残ったのは自分だけだった。

2年後、
10㌦を手に、
単身米国に渡る。

 裁縫に興味があり、
ブルックリンの紳士服製造工場に勤めた。

掃除人として働きながら夜間に英語を学び、
名前を米国風に変えた。

 真面目な勤務態度が認められ昇進を重ねる。

洋服の束を運ぶ係から袖の取り付け、
そして全工程をこなせるようになった。

 採寸のうまさと丁寧な仕事ぶりが評判を呼び、
大統領のアイゼンハワーから注文が入る。

欧州をナチスから解放した元連合国軍最高司令官である。

感無量だった。

「彼のスリーピースはほとんど私の仕立てである」

 副社長となって工場を買い取り、
自社としたのは1977年だ。

この業界にも大型の機会やコンピューターを導入する動きが加速していく。

それでも手作りにこだわった。

 ミシンは足踏みの手回し、
アイロンも旧式である。

「同じ人間が二人といないように、
服にもそれぞれ個性がある」

 老いてなお家族の夢を見た。

つらさを秘めながら明るく振る舞い、
「笑顔を伝染させる」と言われた。

米国で最も有名な仕立て屋さんは先月20日、
95年7カ月の人生に幕を下ろした。

 会社設立当初6人だった従業員は約100人になった。

ほとんどが、
メキシコ・エクアドル・ポーランドなどからの移民である。

 グリーンフィールドさんはよくこう口にした。

「家族を失った。

でも、
ここに従業員という家族がいる」


(2)なぜこの記事を切り抜いたか    

きっかけが苦境の中にあることについて、
紹介した記事のため。


(3)自分はどう思うか?

 ナチス・ドイツによって、
両親やきょうだいと共にアウシュビッツ強制収容所に送られる。

家族と引き離される時、
父に言われた。

「強く生きろ」。

それが最後の言葉となる。

解放時、
家族で生き残ったのは自分だけだった。

これだけでも、
生きていくのが困難としか思えない。

そこから単身米国に渡り、
米国歴代大統領の仕立て人となる。

機械やコンピューターが取り入れられる中、
手作り・手回し・旧式にこだわった。

苦境でこそ、
手に入れたものが人生を支えるものになるのかもしれない。


(4)今後、どうするか?    

・小倉孝保氏に関する記事をスクラップする。

・米国歴代大統領に関して調べる。

・苦境の中でこそ得られるものを大切にする。


…今回も自分の勉強がてら、
まとめてみました。
  

小倉孝保氏に関する記事は、
以前も紹介しました。

アウシュビッツ強制収容所を生き残った人の話は、
やはり心に響きます。


皆さんも、
苦しい時こそ手に入れたものを大切にして下さい。

あなたを支える武器になるかもしれません。