今回紹介する記事は
2024年3月15日付けの
 
「毎日新聞」の記事です。
  
【米国とは別の道を行く】


というタイトルで、
論説委員小倉孝保氏が、
半世紀前に女性が発した声を今、
フランスが揺らぐことなき価値としたのは間違いないことについて、
紹介しています。

いつもどおり、
「4つ」の視点でこの記事を見ていきます。
 
(4つの視点についてはこちらをご覧ください)

 ☆新聞記事の紹介について

(発信者が重視するテーマに関してはこちらをご覧ください)

始めに読んでほしいブログについて


(1)内容の要約

 米連邦最高裁が人工妊娠中絶を合憲としたのは1973年である。

ベトナム反戦のうねりが女性解放の声を高めていた。

 フランスも1974年、
合法化の法律を制定し、
翌年思考する。

主導したのはシモーヌ・ベイユである。

 カトリックの影響が強いこの国は、
中絶を禁じていた。

そのため、
レイプで妊娠した少女が手術を受け、
罪に問われたりもした。

 女性たちは、
自分の体について自身で選択する権利を求めた。

哲学者ボーボワール、
作家サガンなど女性343人が中絶の合法化を求めて運動を展開する。

 フランスでは年間100万人が危険な手術を受けているとし、
こんな声明文を出した。

 <ここに宣言する、
私も中絶手術を受けたと。>

 プライバシーに触れた言葉社会に衝撃を与えた。
 
運動の高まりを受け、
ベイユは合法化法案を国会に提出する。

医師会は、
障害者などを身ごもった女性が堕胎し、
「優生政策につながる」と抵抗した。

 ユダヤ系の彼女は第二次大戦で、
母・姉と共にアウシュビッツ強制収容所に送られ、
母を亡くした。

左腕には生涯、
収容者番号の入れ墨が残り、
長袖の服を好んだ。

 中絶の合法化法案について、
議員から「(胎児を強制収容所のように)焼却炉に鍋込みたいのか」と批判され、
涙した。

自由が奪われる怖さを知るベイユは、
「中絶は女性の選択権だ」と主張し、
譲らなかった。

 法案は賛成284、
反対189で成立し、
「ベイユ法」と呼ばれた。

あれから約半世紀。

米仏両国で正反対の動きが起きた。

米連邦最高裁で、
中絶を合憲とする判断を覆し、
テキサス州などが中絶を違法とした。

 一方、
マクロン仏大統領は、
「中絶の自由」を憲法に盛り込む会生産を両院合同会議に提出し、
賛成多数で承認された。

フランスは憲法に中絶権を明記する世界初の国となった。

 「鉄の貴婦人」と呼ばれるパリ・エッフェル塔前では、
採決の様子が映し出され、
結果を知った市民は抱き合い歓喜した。

女性たちは米歌手ビヨンセさんの曲「ラン・ザ・ワールド(ガールズ)」
を歌った。

 <世界を動かしているのは誰?(女性たちだ)>

 「大統領の人気回復策だ」
と冷めた声はあるものの、
半世紀前に女性が発した声を今、
フランスが揺らぐことなき価値としたのは間違いない。


(2)なぜこの記事を切り抜いたか    

フランスが米国とは別の道を行くことについて、
紹介した記事のため。


(3)自分はどう思うか?

 人権を自ら勝ち取った国と、
連合国から与えられた国とではこうも違うものなのだろうか。

フランスが約半世紀前のベイユ法から、
中絶権を憲法に明記する世界初の国となった。

翻って日本、
男女のジェンダー格差指数はいつまでたっても下位のまま(というか後進…)。

加えて改憲バカどもは、
緊急事態条項を創設して、
国民を黙らせることだけを目的としている…。

自ら考えることをやめず、
自ら動くことで、
獲得することの重要性を訴えていると思われる記事である。


(4)今後、どうするか?    

・小倉孝保氏に関する記事をスクラップする。

・ベイユ法に関心を持つ。

・フランスの動向を追いかける


…今回も自分の勉強がてら、
まとめてみました。
  

小倉孝保氏に関する記事は、
以前も紹介しました。

フランスでは約半世紀前の法律が、
時を経て最高法規に明記されることとなりました。


皆さんも、
フランスの現状に関心を持って下さい。

約半世紀前に女性の発した声が、
今や憲法の権利に明記されたのですから。