今回紹介する記事は
2024年392日付けの
 
「毎日新聞」の記事です。
  
【五百旗頭真さんを悼む】


というタイトルで、
専門編集委員伊藤智永氏が、
もの柔らかな硬骨漢という類まれな人が旅立ったことについて、
紹介しています。

いつもどおり、
「4つ」の視点でこの記事を見ていきます。
 
(4つの視点についてはこちらをご覧ください)

 ☆新聞記事の紹介について
(発信者が重視するテーマに関してはこちらをご覧ください)

始めに読んでほしいブログについて


(1)内容の要約

 急逝された五百旗頭真氏は、
日本外交氏の研究者だったが、
時論家としても意欲的に論陣を張った。

例えばイラク戦争への自衛隊派遣に慎重で、
アジア外交を損なう首班の靖国神社参拝には反対。

つまり、
小泉純一郎の外交に批判的だった。

その五百旗頭氏を防衛大学校長に招請したのは、
小泉純一郎である。

 初対面は小泉純一郎首班就任から10カ月後の2002年2月。

首班官邸で会うなり小泉純一郎は、
「あなたの本を読んで、
ブッシュとパウエルに話したよ」
と熱弁をふるった。

 書名は「日米戦争と戦後日本」

真珠湾攻撃の半年後、
日本がまだ戦勝気分に沸いていた頃、
米国は早くも戦後の対日占領政策作りに着手していた。

戦時中の準備こそが、
終戦と占領統治を可能にし、
日本を再建させた史実を活写している。

 前年の9・11米同時多発テロを受けて、
アフガニスタン戦争が始まっていた。

小泉純一郎は米国に、
「第二次大戦中の米国はよい仕事をした。

今度は日米共同でアフガンの戦後復興に取りかかろう」
と提案。

「アフガン復興支援国際会議」」(共同議長・緒方貞子氏他)の東京開催を実現させたと明かしたという。

 学者冥利に尽きる望外の成り行きである。

でも、
五百旗頭氏の小泉純一郎外交批判は鈍らなかった。

ただし、
日米同盟堅持・イラク派遣隊の迅速撤収・リスク覚悟の訪朝などは評価している。

 五百旗頭氏は防大行きを渋った。

学究活動を削られ、
何より言論の制約を嫌ったが、
またも小泉純一郎に呼ばれ、
「校長の仕事は防大・自衛隊と国民の橋渡しだ」
と押し切られる。

着任前のお披露目で、
大勢を前に日ごろの小泉純一郎批判に謝意が述べられたという。

 以上の話は小泉純一郎退陣後、
校長室で聞いた。

疲労の色が濃かったが、
結局5年半務め、
その後は東日本大震災復興構想会議議長に没頭された。

 学者と政治権力の関係は複雑だ。

「象牙の塔」や「御用学者」といった慣用句に難しさが表れている。

五百旗頭氏は、
類まれな人だった。

 バランス感覚とか聞き上手とは違う。

言うならば、
もの柔らかな硬骨漢。

著述は、
文明史的な視点から転換期をとらえようと心がけ、
計量的なデータより時代を生きる人物の人間像にあくなき関心を注いでいた。

今を遠くから広く見通す歴史家の目。

心よりご冥福をお祈りする。


(2)なぜこの記事を切り抜いたか    

もの柔らかな硬骨漢について、
紹介した記事のため。


(3)自分はどう思うか?

重用されても批判を忘れない。

安倍晋三が返り咲いて以降、
こうした人間がどれほどいただろうか。

御用○○が爆発的に増加したことは忘れないが…。

類まれな人を見習いたいと思う記事である。


(4)今後、どうするか?    

・伊藤智永氏に関する記事をスクラップする。

・五百旗頭真氏に関心を持つ。

・もの柔らかな硬骨漢を探してみる。


…今回も自分の勉強がてら、
まとめてみました。
  

伊藤智永氏に関する記事は、
以前も紹介しました。

また一人、
大事な人が旅立ったと思えてなりません。


皆さんも、
五百旗頭真氏に関心を持ちましょう。

たとえ重用されたとしても、
それはそれ、
これはこれということを忘れたくないものです。