今回紹介する記事は
2023年10月14日付けの
 
「朝日新聞」の記事です。
  
【旧統一教会の解散請求「ヤバないのか?」ある宗教者の懸念】


というタイトルで、
論説委員田玉恵美氏が、
統一教会がのさばってきた理由について、
紹介しています。

いつもどおり、
「4つ」の視点でこの記事を見ていきます。
 
(4つの視点についてはこちらをご覧ください)

  ☆新聞記事の紹介について

(発信者が重視するテーマに関してはこちらをご覧ください)

始めに読んでほしいブログについて


(1)内容の要約

 政府が旧統一教会への解散命令を東京地裁に請求した。

これを危惧している人たちがいると聞いた。

 兵庫県豊岡市を訪ねる。

市役所近くの市街地に日本基督教団の豊岡教会があった。

 この小さな教会でこのひと月ほど、
信徒らが話し合いを続けてきた。

その結果、
解散請求への抗議文を政府に送ることにしたという。

 「こんな田舎の教会に影響力はないだろう。

でも、
ちょっとヤバないか?

という話になった」
と牧師の小林聖氏が迎えてくれた。

 かつて東京の教会にいたころ、
統一教会における信者の脱会支援にかかわっていた。

だから、
苦しむ人の気持ちはよくわかる。

救済に取り組んできた弁護士たちも知っているし、
解散命令を求めるのも十分に理解できる。

「それでも、
最後の最後でこんなふうにお上を使ったらあかんやろ、
と思うのである」

 合同結婚式への参加を阻止しようと奮闘していたころ、
政府は力を貸してくれなかった。

いま解散命令請求ができるなら、
なぜ過去にはしなかったのか。

政治が懇意にしていたからではないのか。

そちらの疑惑は放置したまま、
解散命令という言葉が伝家の宝刀のように飛び交っていることに、
違和感を禁じ得ないという。

「統一教会を裁くなら、
その前に自民党との癒着ぶりを究明して、
せめて引き換えにすべきだろう」

 解散命令が出ても宗教上行為は制限されないことなどから、
信教の自由の侵害にあたらないと法的には整理されている。

だが、
侵攻の現場にいる者の考えは違う。

ある宗教に国家がレッテルを貼ることになるのは間違いない。

人が何を信じるか。

その善しあしに政府が首を突っ込むことに危うさを感じている。

「統一教会は悪いことしてる。

でも、
政治的判断があれば権力が宗教を潰しにかかれる、
という今回の流れややっぱり怖い。

宗教というのは世間の常識とは違う価値観で生きていて、
潰されやすいから」

 旧統一教会に限らず、
宗教はそもそもいかがわしいものだと小林氏は言った。

 「日本人はみんな宗教を小馬鹿にして、
うさんくさいという。

きわめてまっとうで健康的なことだと思っているのである。

宗教には人間を大きく支配する怖さもあるから」

 だが、
その「まっとうさ」ゆえに宗教を遠ざけ、
支えを必要とする人の切実さから目を背け、
被害を打ってある声をかき消してきたとも言えるのではないか。

 日ごろから自分なりに関心を持って主体的に考えたり、
批判したりはしない。

それでいて、
時流が変わるとそれに便乗し、
お上の裁きに期待する。

「そういう社会だから、
統一教会がのさばってきたのではないか」
という宗教者がいて、
胸に落ちる思いがした。


(2)なぜこの記事を切り抜いたか    

宗教はそもそもいかがわしいことについて、
紹介した記事のため。


(3)自分はどう思うか?

統一教会を裁くなら、
その前に自民党との癒着ぶりを究明して、
せめて引き換えにすべきだろう。

派閥解消するなら、
裏金の使途解明に号令をかけるべきだろう。

日ごろから自分なりに関心を持って主体的に考えたり、
批判したりはしない。

それでいて、
時流が変わるとそれに便乗し、
お上の裁きに期待する。

「そういう社会だから、
統一教会がのさばってきたのではないか」

この言葉は、
万事に通じるのではなかろうか。

勝ち馬に乗る、
少数派にはつかない、
弱い者いじめ大好き。

斜陽国ジャップの醜い一面を照らし出すような記事である。


(4)今後、どうするか?    

・田玉恵美氏に関する記事をスクラップする。

・旧統一教会問題に関心を持つ。

・お上のやってる感に騙されない。


…今回も自分の勉強がてら、
まとめてみました。
  

田玉恵美氏に関する記事は、
以前も紹介しました。

自分なりに関心を持って主体的に考えることは、
やはり重要なんことだと思えてなりません。


皆さんも、
自分なりに考え続けて下さい。

お上が出てきても、
碌なことをしない国なのですから。