今回紹介する記事は
2023年9月2日付けの
 
「毎日新聞」の記事です。
  
【大震災と民衆暴力】


というタイトルで、
専門編集委員伊藤智永氏が、
虐殺問題に触れずに関東大震災は語れないことについて、
紹介しています。

いつもどおり、
「4つ」の視点でこの記事を見ていきます。
 
(4つの視点についてはこちらをご覧ください)

 ☆新聞記事の紹介について

(発信者が重視するテーマに関してはこちらをご覧ください)

始めに読んでほしいブログについて


(1)内容の要約

 関東大震災の1年後、
当時の東京市が刊行した記録文集「十一時五十八分」に、
市内の小学校児童らに実施した「感想調査票」の集計結果が残っている。

 「一番恐ろしかったこと」の1位は、
「流言(鮮人の)」で24人(「鮮人」は戦前の朝鮮人に対する蔑称)。

2位の「火事」10人。

「地震」「旋風」各8人より随分多い。

他の学校でも「鮮人騒ぎ」が状にがっている。

震災後にはやった遊びには、
「鮮人ごっこ」という言葉も見られる。

 朝鮮人虐殺(中国人や地方なまりの日本人も含む)に関する証言は膨大に収集されているが、
とりわけ印象的なのは子どもたちが書いた作文だ。

多くが朝鮮人そのものより、
日本人の普通の大人たちが集団で殺気だった後継への驚きと恐怖をつづっている。

 陰惨な民衆暴力は、
子どもたちも見ている市民生活の延長で吹き荒れた。

自然による都市災害と、
軍・官憲・新聞・民衆の人為的過ちによって犯された集団殺りく。

関東大震災は、
異質の事件が重なった複合的大惨事だった。

しかし、
民衆自身の罪深く後ろめたい経験は、
戦前戦後を通じて長く日本社会のタブーであり続けた。

 東京・新宿のコリアタウンにある認定NPO法人・高麗博物館

今、
関東大震災の絵巻2巻を部分展示する震災100年の企画展が盛況だ。

 火災・倒壊・旋風・津波による惨禍の合間に、
集団虐殺の場面が描かれている。

 前館長で専修大学元教授の荒井勝紘氏が一昨年、
ネットオークションで落札した。

国立歴史民俗博物館で日本近代史の常設展示を手がけて以来、
「虐殺問題に触れずにあの震災は語れない」と考えている。

関東大震災を描いた絵は多いのに、
多くの資料で裏付けられた虐殺場面の描写は極めて少ない。

 これまで見つけられた虐殺絵の一つは、
「人に見せるな」という画家の遺言が伝えられていた。

絵には柵越しに見物する群衆も描かれている。

まるで公開処刑だ。

 「民衆は住宅街近くでいわれなき集団殺人を見ながら沈黙した。

その経験と意識は、
その後の戦争参加へどのようにつながっていったのか。

なぜ戦後も絵巻は世に出なかったのか」。

見せないのに描いた画家の遺志。

人目に触れさせない社会圧力。

前館長は次の絵巻を探している。


(2)なぜこの記事を切り抜いたか    

「人に見せるな」という社会圧力の下で描かれた虐殺について、
紹介した記事のため。


(3)自分はどう思うか?

朝鮮人が井戸に毒を入れた。

関東大震災から1世紀経ても、
インターネット上に通報されるであろう書き込みをする輩が存在する。

朝鮮人をチョンと蔑称で呼び、
いつでも日本が優位でないと気が収まらないネトウヨの類。

今回の記事は、
そういった無頼の八つ腹どもが発狂すると思われる記事である。

日本人の残念なところが垣間見えるこの記事、
目を背けたくなるが現実であろう。

されど、
朝鮮人虐殺はあったのだと思えてならない。


(4)今後、どうするか?    

・伊藤智永氏に関する記事をスクラップする。

・関東大震災における朝鮮人虐殺に関心を持つ。

・有名ではないものの貴重な資料を大事にする。


…今回も自分の勉強がてら、
まとめてみました。
  

伊藤智永氏に関する記事は、
以前も紹介しました。

また一つ、
朝鮮人虐殺に関する貴重な資料を垣間見る記事です。。

皆さんも、
関東大震災における朝鮮人虐殺に関心を持ちましょう。

松野博一がないと言ったからないと、
お上の言うことを真に受けることはそろそろ終わりにしましょう。

君を守るのは君自身なのですから。