料理は民主化 社会はどう? | 道新聞スクラップノート
今回紹介する記事は
2023年5月18日付けの
「朝日新聞」の記事です。
【料理は民主化 社会はどう?】
というタイトルで、
「水曜どうでしょう」チーフディレクター藤村忠寿氏が、
料理は好みなので正解はなく、
「私はこう思う」という意思をちゃんと示してくれれば、
我々としても判断できる民主主義であることについて、
紹介しています。
いつもどおり、
「4つ」の視点でこの記事を見ていきます。
(4つの視点についてはこちらをご覧ください)
☆新聞記事の紹介について
(発信者が重視するテーマに関してはこちらをご覧ください)
★始めに読んでほしいブログについて
(1)内容の要約
ホリエモンと数年前に対談した時に、
「確かにそうだ」と納得した話がある。
「料理の民主化が進んだ」という話である。
「これまでは、
皿洗いから始まって数年後にやっと包丁を握らせてもらえる」
みたいな、
「厳しい修行を経てようやく秘伝の味を教えてもらえる」
みたいな徒弟制度的な、
密室的風潮が料理界にあったのかもしれないけれど、
最近は動画で料理人たちが惜しげもなく技を披露し、
レシピを公開するようになった。
だから、
あとはやる気さえあれば誰でもうまいものは作れる、
というような話だった。
私も料理は好きで、
家を建てる時にはキッチンを特注でしつらえたほど。
最近はイタリアンのシェフたちの動画を見て、
あれこれ作っている。
一流の料理人がカメラに向かって懇切丁寧に優しく教えてくれるのである。
あんな顔、
弟子たちは調理場で見たことないんじゃないかってぐらいの笑顔である。
そんな動画を見て気付いたのは、
「人によって全くやり方が違う」
ということである。
それはもう千差万別。
よく言えばプロとしての強いコダワリを持っている人でもあるし、
一般の人でも作れるように気を使ってくれている人でもあり、
悪く言えば「頑固な人」と「いいかげんな人」いう見方もできる。
だから最終的には、
自分がやりやすい、
自分に合ったやり方、
自分が好きな味を見つけていくしかない。
その時に応じて自分で選択していくしかないのである。
料理なんて結局のところ「好み」であるから、
万人が文句なくこれが隙なんてことはあり得ない。
つまり、
政界はないってことである。
他人はどうあれ、
自分が正解だと思うしかないってことである。
それでも世の中、
正解を求める。
「夫婦はこうあるべき」とか、
「老後はこうすべき」とか、
「若者は」「国家は」と。
情報があふれるほど、
その傾向は強くなっている気がする。
本来は料理人の動画のように、
それぞれの好みで判断すればよいものを逆に、
「こうあらねばならない」という画一的な思考社会全体が求めている。
そんな社会は排他的で、
どうでもいい争いに発展してしまう危険性をはらんでいる。
料理人たちの動画は政治下よりも主義主張がハッキリしていて、
私はすがすがしさを感じるのである。
誰に忖度するとかなしに、
「私はこう思う」という意思をちゃんと示してくれれば、
我々としても判断ができる。
言ってみれば、
それこそが民主主義ってものである。
(2)なぜこの記事を切り抜いたか
料理動画から民主主義を考えることに関して、
紹介した記事のため。
(3)自分はどう思うか?
徒弟制度的、
密室的な風潮が料理界の常識とされていたが、
料理動画が流行っていることをこの記事で知った。
そして料理は、
十人十色、
千差万別。
強いコダワリと気を使ってくれる人、
「頑固な人」と「いいかげんな人」。
結局のところ、
「好み」に落ち着き、
正解はない、
他人はどうあれ自分が正解だと思うしかない。
自分は薄味や塩味が好きなのだが、
世間一般は濃い味にタレという風潮が強い。
料理くらいは「~べき」から離れて、
孤独のグルメ宜しく存分に楽しみたい。
料理動画が、
「私はこう思う」と忖度なしに主張していることで、
それでこそ民主主義であると視聴者は腑に落ちるのである。
政治家は見習ってほしい。
(4)今後、どうするか?
・藤村忠寿氏に関する記事をスクラップする。
・料理動画を視聴する。
・料理なんて結局は好みであることと正解はないことを忘れない。
…今回も自分の勉強がてら、
まとめてみました。
藤村忠寿氏に関する記事は、
以前紹介しました。
他人はどうあれ自分が正解だと思うしかない、
このことを忘れないようにします。
皆さんも、
料理動画から民主主義を考えてみましょう。