今回紹介する記事は
2023年5月16日付けの
 
「毎日新聞」の記事です。
  
【ノッポさんがしゃべった日】


というタイトルで、
専門記者大治朋子氏が、
高見嘉明氏が悔いていたことについて、
紹介しています。

いつもどおり、
「4つ」の視点でこの記事を見ていきます。
 
(4つの視点についてはこちらをご覧ください)

  ☆新聞記事の紹介について

(発信者が重視するテーマに関してはこちらをご覧ください)

始めに読んでほしいブログについて


(1)内容の要約

 「ノッポさんがしゃべった!」

日本中が驚いた。

 1970年4月から1990年3月まで続いた、
NHKの工作番組「できるかな」の最終回。

一言も語らず演じ続けた「ノッポさん」(本名・高見嘉明、
昨年9月永眠)が番組の終わりに突然声を出した。

「あーあ、
しゃべっちゃった」。

照れ臭そうにそう言って、
番組終了の短いあいさつを終える。

20年続いたノッポさん劇場の閉幕だった。

 「ノッポさんがしゃべった日」(1991年)は、
高見さんの自伝的物語だ。

「世間はノッポさんが好きなのであって自分には関心がない」
と思い込んでいたようだったという。

だが、
書き始めるとエンジンがかかり、
「『ノッポさん』を総括して区切りをつける。

今後は高見映(芸名)としてやっていく」
と意気込んだ。

 本が出版されるや、
読者は「ノッポさんを演じた高見さん」
に熱狂した。

誰よりも高見さん自身が驚いていた。

高見さんは次作「ノッポさんのドクトルふくろうの処方箋」(1992年)を出版。

そこでさらに、
自身の内面へと踏み込む。

 「芸人には芸域を広げるって言葉がある。

(中略)

ところが未開拓の分野には不慣れな自分が失敗するってことは、
十分に予測できるから、
『ああ、
やめとこう。

よけいなことをして元も子もなくしちゃつまらない』
としり込みする」

 さらにこう続けた。

 「あの頃の僕は勘違いしていたんだ。

いくばくかのお金をもたらしてくれる仕事のことを元も子もだなんて。

(中略)

芸人にとっちゃ、
その技と力とかが元も子もってことになるんだから、
(中略)
その失敗の経験こそがそれになり得たものなんだ」

 高見さんは20年間、
「ノッポさんのイメージを崩してはいけない」と他の出演依頼を断った。

別の役で失敗して、
「ノッポさん」の仕事まで失っては「元も子もない」と恐れた。

だが失敗は芸の肥やしと考えて挑戦すべきだった-。

高見さんはそう悔いていたようだ。

 芸名を「高見ノッポ」に変えた高見さんは、
「若い時にしそこなったチャレンジ」(同書)を始める。

その旅路は次回に。


(2)なぜこの記事を切り抜いたか    

高見ノッポさんに関して、
紹介した記事のため。


(3)自分はどう思うか?

しゃべらないノッポさんの工作番組を視聴して育った世代である。

昨年9月永眠したことはこの記事で知った。

「失敗の経験こそが技とか力とかになり得たものなんだ」

ノッポさんのイメージを崩してはならないと、
頑なに他の出演依頼を断った。

頑固一徹という美談で終わると思いきや、
そうは問屋が卸さないのがこのコラム。

若い時にしそこなったチャレンジは、
次回のコラムをお楽しみに。


(4)今後、どうするか?    

・大治朋子氏に関する記事をスクラップする。

・失敗の経験に関心を持つ。

・チャレンジを少しずつする。

…今回も自分の勉強がてら、
まとめてみました。
  

大治朋子氏の記事に関しては、
以前紹介しました。

ノッポさんに関する記事の続編は、
後日紹介します。


皆さんも、
できる範囲からチャレンジしましょう。

誰しも失敗は嫌なものですが、
挑戦することで得ることはよりあります。

程々に控えめに行ってみましょう。