今回紹介する記事は
2023年5月14日付けの
 
「北海道新聞」の記事です。
  
【やはり心を刺すオシムの言葉】


というタイトルで、
作家兼フリーライター黒田信一氏が、
イビチャ・オシムが残した言葉はやはり刺さってくることについて、
紹介しています。

いつもどおり、
「4つ」の視点でこの記事を見ていきます。
 
(4つの視点についてはこちらをご覧ください)

新聞記事の紹介について

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始めに読んでほしいブログについて


(1)内容の要約

 なぜこれほどまでに心に刺さるのか。

昨年5月に80歳で亡くなった、
元サッカー日本代表監督イビチャ・オシムが残した言葉の数々である。

 スポーツライター島沢優子が、
イビチャ・オシムとのかかわりによって大きな影響を受けた11人を取材した、
「オシムの遺産」(竹書房)を読んでの思いだ。


 例えば次のような言葉が紹介されている。

“それでも、
人生は続くんだぞ”

 Jリーグのジェフユナイテッド市原・千葉で選手として指導を受けた佐藤勇人が、
練習やミーティングでさんざん聞かされたという言葉だ。

 1941年生まれのイビチャ・オシムはボスニア・ヘルツェゴビナ出身。

1992年から1995年まで続いた欧州最悪の紛争とも言われるボスニア紛争を体験した。

だからなのか、
電車の中で寝ている日本人を例えに出し、
自分の国でそんなことをしたら何もかもすべてを失うと言いながら選手たちに諭すように伝えたという。

 “平和が続くとは限らない。

人生でも、
サッカーでも、
思いがけずいろんなことが起きる。

けれど、
どんな状況でも、
サッカーを続けていかなくちゃいけない。

試合を途中で投げ出すわけにはいかない。

だからこそ、
どう対応するかをしっかり準備しなくちゃいけない。

考えなくてはいけない”

 オシムがサッカーと人生をいつもセットで語ることに、
21歳だった佐藤勇人はウンザリしたそうだが、
20年を経た今なら理解できるという。

 オシムをジェフの監督に招いた祖母井秀隆によると、
彼は日本の選手たちが失点後や敗戦後に決まったように使う、
“(気持ちを)切り替える”
という言葉が大嫌いだったそうだ。

 負けた理由をなぜとことん考えないのか。

ミスをした責任をなぜ明確にしないのか。

勝ったときより負けから学ぶことのほうが多い。

オシムの信念だった。

 通訳を務めた間瀬修一は、
オシムが口にしたことや練習メニューをメモに取るなと言われたそうだ。

 なぜと問うと、
答えは次のようなものだった。

 “書いたものは、
書いた時点で古いものになる”

 イビチャ・オシムは旧ユーゴスラビア代表を率いて、
1990年ワールドカップイタリア大会に出場。

ベスト8で優勝候補だったマラドーナ擁するアルゼンチンと互角の戦いを繰り広げ、
延長の末にPK戦で負けている。

だが、
その自由で華麗なサッカーは大会の注目を集め、
レアルマドリードやマンチェスターユナイテッドから監督のオファーを受けている。

 北海道とも縁があって、
2002年日韓ワールドカップでは、
国際サッカー連盟(FIFA)の一員として札幌ドームで行われた、
イングランド対アルゼンチン戦を観戦。

その戦術傾向を分析したという。

北海道コンサドーレ札幌のミハイロ・ペトロヴィッチ監督は、
オーストリアのクラブチームで監督をしていたオシムのアシスタントコーチを務めていた。

 イビチャ・オシムの名言録は数々出ている。

そこにまたこの一冊だが、
やはり刺さってくる。

 最後にもう一つ。

 選手を引退した羽生直剛が、
オシムさんを超えられないからサッカーの指導者にはならないと伝えたとき、
オシムの答えはこうだったそうだ。

 “もっと上をみろ。

空は果てしない”


(2)なぜこの記事を切り抜いたか    

イビチャ・オシムの刺さる言葉について、
紹介した記事のため。


(3)自分はどう思うか?

イビチャ・オシムが代表監督に就任する前、
病で倒れて引退した後、
JFAの日本代表監督選びにおいて分水峰だと思う。

何より、
この方を監督にする際、
森喜朗の盟友である川淵三郎という愚者が、
ジーコ監督率いた2006年日本代表の惨敗総括をせず、
勝手に次期代表監督の名前を口走り、
PDCAサイクルを放棄したことは終生忘れない。

引き抜かれた側のジェフユナイテッド市原・千葉は、
J1から降格後J2から抜け出すことができない状態は今も続いている。

オシム監督が倒れた後の代表監督に関しても、
外国人監督は気に食わなければ切り捨て、
挙句の果てにはムラ社会の派閥で選ぶ鎖国体制を構築した。

こんな国あるかよ?

たまたま世界大会で好成績を残しているが、
そのうち抜かれていくだろう。

話を記事に戻す。

オシム氏の指導自体は、
興味深いものが多かった。

“(気持ちを)切り替える”
という言葉が大嫌いだったそうだ。

 負けた理由をなぜとことん考えないのか。

ミスをした責任をなぜ明確にしないのか。

勝ったときより負けから学ぶことのほうが多い。

オシムの信念だった。

これは現在の日本に蔓延するだろう。

切り替えることは大切だ。

但し、
どの分野においても、
PDCAサイクルのC(チェック)とA(行動)ができていないのである。

その場しのぎでお茶を濁して忘れるのを待つ。

ゆえに、
進歩がない。

失敗を極端に悪扱いし、
成功だけを追い求めるため、
小さくまとまってしまい、
大きな未完成を構築できない。

オシム氏がご存命ならば、
この国をみてどう思うだろうか。

世界大会を鑑みると、
バルカン半島のクロアチアは2018年準優勝、
2022年第三位と輝かしい成績を収め、
セルビアも2大会連続欧州予選を勝ち抜いて、
本大会出場を果たしている。

バルカン半島諸国の活躍を願わずにはいられない。

日本はもっと海外の指導者から学ぶべきことが多い、
と個人的には思えてならない。


(4)今後、どうするか?    

・書籍に関する記事をスクラップする。

・失敗を検証し続けることを忘れない。

・イビチャ・オシム氏の書籍を手に取る。


…今回も自分の勉強がてら、
まとめてみました。
  

イビチャ・オシム氏が本大会を指揮していたらどうなったか、
歴史にもしもはないけれど思うことはあります。


皆さんも、
勝ったときより負けから学ぶことのほうが多いことを忘れないで下さい。

結果至上主義、
勝利至上主義、
保護者の願望承認が、
育成年代において、
あまりにも蔓延しております。

次のステージで伸びるよう、
余白や伸び代を残して教え過ぎず、
大きな未完成を目指す考え方が少しでも広がることを考えます。