今回紹介する記事は
2032年3月26日付けの
 
「北海道新聞」の記事です。
  
【久米節消えテレビは今】


というタイトルで、
論説委員蛭川隆介氏が、
「政治的公平性」に関して、
テレビ局が権力批判を控えることだと自己規制しているなら、
表現の自由の担い手として自殺行為に等しいことについて、
紹介しています。

いつもどおり、
「4つ」の視点でこの記事を見ていきます。
 
(4つの視点についてはこちらをご覧ください)

  ☆新聞記事の紹介について

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始めに読んでほしいブログについて


(1)内容の要約

  画面にこの人の姿を見なくなって久しい。

1985年にテレビ朝日で始まった「ニュースステーション」、
キャスターを務めた久米宏さん。

 テレビ界に革命的変化をもたらし、
18年半続いた番組の舞台裏を本人が回顧したのが、

「久米宏です。

 

ニュースステーションはザ・ベストテンだった」(世界文化社)だ。

 久米さんがTBSで司会を務めた、
やはり伝説的な歌謡番組と並べた副題が象徴的である。

「中学生でもわかるニュース」
「風俗をかたるように政治を語れ」
と言った目次から、
どんな番組を目指したのかが分かる。

 「反権力」を軸足に置き、
天才的な瞬発力とウィットを武器に時の政権、
つまり自民党に皮肉とやゆを交え批判的姿勢で臨んだ。

出演した政治家に遠慮なく突っ込みを入れた。

 影響力を増大さs多テレビの価値に権力の側も気付き、
メディア戦略が内閣支持率や選挙の勝敗直結する、
といわれるようになったのもこのころだ。

小泉純一郎一味の劇場型政治は、
一つの到達点だった。

 一方でニュースステーションは存在感が高まるにつれ、
自民党の実力者がスポンサーに鋼板を呼びかけるような発言をするなど、
政権批判をけん制する動きが強まった。

 そうした緊張感をはらみながら続いたテレビと政治の持ちつ持たれつの相互作用。

久米さんは「不義密通の関係」と呼び、
生理的嫌悪感を覚えたことが番組を終える理由だったのかもしれないと記す。

テレビの申し子の心境として意外であり、
理解できる気もした。

 最後の放送は2004年3月26日。

「発言の場がなくなってしまうので、
もう一度申し上げておくが、
僕はイラクへ自衛隊を日本が派遣するのは反対だ」
とのコメントを残した。

 時は過ぎ、
2012年発足の安倍晋三一味は、
テレビへの圧力をさらに加えていく。

 その中で起きたのが、
放送法の「政治的公平」の解釈追加を求めた官邸の動きである。

 高市早苗が政治的公平は個別の番組で判断することもあり得ると答弁したのは、
2015年5月。

翌年2月には、
公平性を欠く放送を繰り返したと判断した場合、
死活問題である電波停止命令の可能性にも言及した。

 2016年春のNHKと民放の番組改編で、
安倍晋三一味に「もの申す」姿勢で臨んでいたキャスターが次々に降板したのは、
偶然とは思えない。

答弁はテレビ局を萎縮させる十二分の効果があったとみるのが自然であり、
権力による報道の自由への巧妙な介入だ。

 久米路線には、
複雑な事象に対する多角的検証が必要な政治報道を単純化し、
視聴者を劇場の観客のような傍観者にしてしまったとの批判がるのは事実だ。

歯切れの良さだけを追求するコメントには危うさもある。

 ただ、
最近のテレビ番組やキャスターに淡泊さ、
遠慮がちな物言いを感じるのは私だけだろうか。

防衛費の大幅増額や敵基地攻撃能力保有、
原発回帰の動きに対する批判的な路線は、
2015年の安全保障関連法制定時と比べて、
少なかったように思う。

 「政治的公平」を確保することは、
すなわち政権批判を控えることだとテレビが自己規制しているとしたら、
民主主義の基盤を支える表現の自由における担い手として自殺行為に等しい。


(2)なぜこの記事を切り抜いたか    

表現の担い手が自殺行為に加担している経緯に関して、
紹介した記事のため。


(3)自分はどう思うか?

ニュースステーションは、
自分が小学校時代に放送されていた。

報道ステーションに代わり、
自民党一味によってまともなキャスターが降板されまくり、
いまや忖度ステーションに成り下がったが…。

「中学生でもわかる~」

「風俗を語るように~」

一時持てはやされた表現だが、
単純化することや歯切れのよいコメントは、
傍観者を生み出すという危険性と表裏一体である。

奇しくも安倍晋三一味がやったことと酷似するのである。

まぁ彼奴等が第一次で退陣した際の教訓として、
マスメディアを掌握してしまえば日本という国では、
有権者という選挙の票は取り押さえられることを知ってしまったがためだが…。

安倍晋三一味により、
NHKや民放からまともな言論人が追放され、
御用キャスターや忖度プロデューサーが重宝され、
安倍晋三が銃殺されて一年以上経過しても、
未だに生まれ変われないのは、
当時重宝された愚図どもが局内で上のポストに昇格してしまったからだろう。

統一地方選を鑑みると、
在阪メディアを牛耳る維新は大阪では無双だし、
在京メディアを餌付けする自民は全国でも大負けしない、
要はマスゴミを制圧してしまえば選挙で勝てるという小泉純一郎の教訓が、
今でも脈々と生きているのである。

放送法の政治的公平をめぐり、
礒崎陽輔による恫喝の暗躍、
高市早苗による停波発言、
安全保障法関連法強行採決。

2014年はこの国の分水嶺だったとかつて別の記事で紹介したが、
それより前から既に土壌は形成されていたように思えてならない。

久米宏氏がいた頃の「ニュースステーション」が今の時代に戻ってきてほしい。

されど時間は元には戻せない。

そう感じる記事である。


(4)今後、どうするか?    

・久米宏氏に関する記事をスクラップする。

・民主主義の基盤に関心を持つ。

・政治的公平を自己規制と勘違いするマスメディアに抗議する。


…今回も自分の勉強がてら、
まとめてみました。
  

放送法と政治的公平性に関する記事は、
以前も紹介しました。

この世に必要な人ほど、
すぐにいなくなってしまうのが、
世の道理なのでしょうか。


皆さんも、
報道マスメディアに関心を持って下さい。

スポーツばかり馬鹿みたく長時間放送する番組は、
安倍晋三時代に重用された御用連中が組織の上層部に居座っている可能性があります。

番組時代、
見続けるか否かを検討する一つの指針になると思われます。