今回紹介する記事は
2023年2月9日付けの
 
「毎日新聞」の記事です。
  
【「書く」のが私たちの仕事】


というタイトルで、
専門編集委員与良正男氏が、
記者クラブで内々に取り決めた長年の慣習に関して、
あらためて考える時だと思うことについて、
紹介しています。

いつもどおり、
「4つ」の視点でこの記事を見ていきます。
 
(4つの視点についてはこちらをご覧ください)

 ☆新聞記事の紹介について

(発信者が重視するテーマに関してはこちらをご覧ください)

始めに読んでほしいブログについて


(1)内容の要約

 「良い判断だった」と後輩たちをほめてあげたい。

 岸田文雄の秘書官だった荒井勝喜が、
同性婚について「見るのも嫌だ」等々と、
記者団に語った事実を毎日新聞がいち早く報道したことである。

 発言内容を実名で報じないオフレコ(オフ・ザ・レコード)を前提にした取材だった。

しかし、
取材現場からの報告を受け、
編集編成局で議論した結果、
見逃せない重大な発言だと判断し、
事前に伝えた荒井勝喜に伝えたうえで実名にて報じることにした―という経緯は、
既に本紙で公表している通りだ。

 加えて強調したいのは、
発言を聞いた記者たちが、
「これはオフレコだから…」と、
はなから諦めて記事にしようとしなかったらどうだったか、
という点だ。

 報道されなければ、
岸田文雄が荒井勝喜を更迭することはなかっただろう。

「多様性を認め合う社会に」と口にしながら、
実際には認めたがらない岸田文雄一味の姿勢が問われることもなかっただろう。

 オフレコを破れば今後の取材が難しくなる恐れがある。

だが、
記者だけが知るのではなく、
広く国民に知らせる必要があると考えれば報じるのが私たちの仕事だ。

依然として、
「約束を破る毎日新聞は信用できない」
とのお𠮟りも受けるが、
何より優先すべきは公益性だと思う。

 そしてもう一点。

会社組織のマスコミといえども、
やはり現場で取材する記者の疑問や怒り、
悲しみが報道の原点だ。

私も再確認したのだ。

 20年以上前の2002年、
「『懇談取材』の功罪」と題して、
オフレコ取材とはどういうものか、
現状を詳細に説明し、
各国とも比較しながら、
問題点を特集したことがある。

 そこで私は、
「『知っていても記事にしない』のではなく、
『書くための取材』であることを肝に銘じたい」
と書いている。

 残念ながら、
「オフレコは政治家や官僚と記者とのなれ合いを生む」
という批判は、
あの頃より一層強まっているのが現実だ。

 そもそも「懇談」と称する取材で発言者の実名を隠すのは、
報道各社が加盟する記者クラブで内々に取り決めた長年の慣習に過ぎない。

だから、
「少なくとも各社の判断に委ねるようにしたらどうか」
とも当時から言ってきた。

 マスコミ全体で改めて考えてみる時だと思う。


(2)なぜこの記事を切り抜いたか    

知っていても報じないが御用メディアで完成しつつある現状において、
新聞の仕事に関して、
紹介した記事のため。


(3)自分はどう思うか?

G7広島サミットデモ弾圧

新聞各紙どこも報じない。

フリージャーナリストたちが報じているくらいだ。

取材の自由や報道の自由は学生時代習ったが、
「報道しない自由」なんて習っちゃいない。

安倍晋三一味に牛耳られ、
この国のマスメディアはもう第四の権力ではなく、
第二の権力尖兵に成り下がっているのではと思えてならない。

「約束を破る毎日新聞は信用できない」

記者クラブで内々に取り決めた長年の慣習なんか、
公共性の前では無視していいという気を吐いた毎日新聞。

数日後、
政府の懇談にのこのこ餌付けされに行ったのは、
毎日新聞政治部長であり、
毎週月曜「風知草」コラムを担当する山田孝男…。

後輩たちはどんな思いだったのか、
紙面に載ることは現時点においてない。

というよりこいつ定年過ぎているのに何で未だコラム持ってんのよ?

今年3月をもって定年でコラムを終わらせた名残惜しい方々がいるのに…。

やはりマスメディアはどこにおいても、
第二の権力である行政府の尖兵が潜んでいると思っていいようだ。

個人的に政治部はこの十年で政府忖度部(自民党崇拝部隊)と思うようになった。

後世の日本史に載ればいいのにと思う言葉が忖度である。

こう記しておきながら、
我ながら情けない次第である。


(4)今後、どうするか?    

・与良正男氏に関する記事をスクラップする。

・記者クラブの慣習に関心を持つ。

・オフザレコードを破ることがあっても良いことを知る。

…今回も自分の勉強がてら、
まとめてみました。
  

与良正男氏の記事は、
以前紹介しました。

オフザレコードによって、
この十年で一体どれだけの真実が握り潰されてきたのでしょうか。


皆さんも、
記者クラブの旧態依然を認識しましょう。

公共性のために働いているのか、
時の政権のために働いているのか。

無関心こそが彼奴等の幸いであることを自覚しましょう。