今回紹介する記事は
2023年2月4日付けの
 
「朝日新聞」の記事です。
  
【なめていないか 人気にこびず 表現は曲げない】


というタイトルで、
天草支局長近藤康太郎氏が、
新聞記者こそ、
よほど気をつけないといけないことについて、
紹介しています。

いつもどおり、
「4つ」の視点でこの記事を見ていきます。
 
(4つの視点についてはこちらをご覧ください)

  ☆新聞記事の紹介について

(発信者が重視するテーマに関してはこちらをご覧ください)

始めに読んでほしいブログについて


(1)内容の要約

 正しいことを言うときは/少しひかえめにするほうがいい/正しいことを言うときは/相手を傷つけやすいものだと/気づいているほうがいい

 これは吉野浩氏の有名な詩「祝祭歌」だが、
ラッパーも同じ心理に到達している。

 新聞記者こそ、
よほど気をつけないといけない。

新聞は「正しい」ことを伝えるメディアだと、
傲慢にも思い込んでいるから。

正しいことを言うときは、
“学級委員”になってはいけない。

正しいことを書くときは、
笑わせなければいけない。

 新聞記者の仕事が、
デジタル配信主流になっている。

なにかといえばPV(どれだけ見られたか)だのCV(どれだけ有料会員にできたか)だのが求められる。

いろいろご託を言うが、
要は、
その記事がカネになったのか、
ということだ。

1本1本の記事が読者の要望に応えられたのかどうか、
紙の新聞と違って、
デジタルでは直接数字で表せる、
という信仰がある。

 読者の求めるもの、
お客様の嗜好、
記者は、
謙虚に、
真摯に、
追求しなければならない―。

当然だ。

ライターもサービス業である。

ただ引っかかるのは、
読者の求めているものとは、
数字がとれたものか、
ということだ。

読者様が、
いまのいま読んで、
喜んでくれた、
そういうコンテンツ(いやな言葉だ)なのかってことなんだ。

 それって、
読者に受けたこと、
ヒットしたことの繰り返し。

縮小コピーじゃないのか?

「こういうのを読みたいんですよね」と、
逆に読者を“なめて”かかってることなんじゃないのか?

 「ファンのことなんかなめてる」
というカルマな度胸は、
私にはない。

ないけど、

「こんなもん、
だれが読むんだ?」
というトンデモ企画を
「これでもくらえ!」
とたたきつける初心は、
忘れたくない。

残り少ない新聞人生で、
あと何本かはそんなのを残したい。

新春の抱負である。

気炎だが。


(2)なぜこの記事を切り抜いたか    

新聞記者のデジタル配信が主流になっている負の面について、
紹介した記事のため。


(3)自分はどう思うか?

新聞週間において、
毎度新聞の素晴らしさばかりが喧伝される。

逆に、
新聞の悪さ・汚さ・醜さを取り上げた企画を一度も見たことが無い。

何故だろうか。

本当に新聞を「社会の公器」として捉え、
生業にしているものであれば正々堂々受けて立つ姿勢があってしかるべし。

されど現実は、
知っているけど報道しない自由、
目を背けたい事実を突っ込まれるのが単に嫌なのではないか。

カネになる記事だけ書いていたい。

娯楽をこれでもかというほど報じていればいい。

強者に媚びて弱者を挫くサイコーなんじゃないのか。

個人的な見解だが、
朝日新聞はまれによい記事、
のち悪い記事という天気予報の如き傾向ありととらえる。

例を挙げれば、
スポーツにおける育成年代の暗い現実をよくぞ丹念に報じたと思えば、
世界大会の馬鹿騒ぎをこれでもかとげんなりするほど紙面を割く。

政治に関しては、
多事争論で正鵠を射る記事を乗せた直後、
野党は「反発」という馬鹿の一つ覚え言葉を使った挙句、
安倍晋三御用記者岩田朋子独占インタビュー掲載…。

「読者舐めてませんか?」
である。

PVやCVにとらわれない愚直な調査報道の記事が増えてほしい。


(4)今後、どうするか?    

・近藤康太郎氏の記事をスクラップする。

・朝日新聞デジタル版の功罪を鑑みる。

・正しいことを言うときは注意をする。。

…今回も自分の勉強がてら、
まとめてみました。
  

近藤康太郎氏に関する記事は、
以前紹介しました。

朝日新聞デジタル版に関しては、
良くも悪くも取り上げられる記事があるので、
吟味します。


皆さんも、
正しいことを言うときは/少しひかえめにするほうがいい/正しいことを言うときは/相手を傷つけやすいものだと/気づいているほうがいい
という詩を思いだしましょう。

自身、
苦い記憶が蘇りますので、
自戒を込めた教訓とします。