今回紹介する記事は
2023年2月3日付けの
 
「毎日新聞」の記事です。
  
【「苦悩する人」】


というタイトルで、
専門記者田原和宏氏が、
ビクトール・フランクルの著書「夜と霧」(みすず書房)を通して、
苦しみ、
悩むからこそ人生は意味あるものになることについて、
紹介しています。

いつもどおり、
「4つ」の視点でこの記事を見ていきます。
 
(4つの視点についてはこちらをご覧ください)

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(1)内容の要約

 ホロコースト(ユダヤ人大虐殺)から生還したユダヤ人精神科医、
ビクトール・フランクルの著書「夜と霧」(みすず書房)

強制収容所という極限状態において「生きる意味」を問い、
深く考察した一冊だ。

時代を超えて読み継がれ、
愛読書にあげる人も多い。

私も読み終えた今ならば、

希望の書であると分かる。

 手に取ったきっかけは、
ボクシングの元WBAミドル級スーパー王者の村田諒太選手。

「日本スポーツ学界大賞」の授賞式後の講演で、
自らの歩みを交え、
「生きるすべを与えてくれるバイブル」と紹介したのだ。

 村田選手は2012年ロンドン五輪男子ミドル級で金メダルを獲得した。

日本ボクシング界では48年ぶりの快挙だったが、
脚光はつかの間だった。

「自分は何だったのか。

膨れ上がった自我を持て余し、
生きる意味や存在価値を見いだせなくたった」。

そんな苦悩も語った。

 五輪後、
村田選手は引退か海外留学か、
進路で揺れたが、
翌年
27歳でプロ転向を決意した。

今では読書家で知られるが、
熱心に読み始めたのはプロ転向後という。

 「夜と霧」は何度も読み返し、
アスリートとしての血肉となった。

 村田選手が紹介したのは、
次の一節だ。

「われわれが人生の意味を問うのではなくて、
われわれ自身が問われたものとして体験されるのである」。

絶望的な状況において、
生きる意味があるのか。

私たちはそう問うのではなく、
私たちが人生から問われているのだ。

だから、
ただ応えればいい。

今ここで、
できることをする。

そう解説されるくだりである。

 村田選手は昨年4月、
王座統一戦でゲンナジー・ゴロフキン選手と果敢に打ち合い、
敗れた。

去就への言及を避けてきたが、
講演ではこう語った。

 「続けるのは現実的には考えられない。

人生で何をしたいかも大切だが、
人生が僕に何を求めているか。

逆転の思考に立てば、
僕にできることはある」

 フランクルは人間の本質を「ホモ・パティエンス(苦悩する人)」と定義した。

苦しみ、
悩むからこそ人生は意味あるものになる。


(2)なぜこの記事を切り抜いたか    

ボクシング五輪選手を通して、
ビクトール・フランクルの著書「夜と霧」に関して、
紹介した記事のため。


(3)自分はどう思うか?

「夜と霧」は知人から進められて購読した。

極限状態で運よく生還した人間の記録である。

日々の生活がどんなにつらくても、
ビクトール・フランク達のような当時のユダヤ人よりは、
まだましと思えたことを覚えている。

村田諒太氏に関しては、
残念ながらあまり知らない。

五輪での金メダルは48年ぶりの快挙というものの、
脚光を浴びたのはつかの間という苦悩。

やはり五輪は碌なものではない。

「われわれが人生の意味を問うのではなくて、
われわれ自身が問われたものとして体験されるのである」。

絶望的な状況において、
生きる意味があるのか。

私たちはそう問うのではなく、
私たちが人生から問われているのだ。

だから、
ただ応えればいい。

今ここで、
できることをする。

プロ転向後に読書家になったという村田選手の心境に、
変化を与えたものの一つは、
「夜と霧」だろう。

人間の本質を「ホモ・パティエンス(苦悩する人)」と定義したフランクル。

苦しみ、
悩むからこそ人生は意味あるものになる。

苦しみや悩みから逃れたいからこそ、
忘れてはいけない言葉である。


(4)今後、どうするか?    

・田原和宏氏の記事をスクラップする。

・人間の定義を考える。

・「夜と霧」を読み返す。


…今回も自分の勉強がてら、
まとめてみました。
  
田原和宏氏に関する記事は、
以前も紹介しました。

「夜と霧」は随時読み返します。


皆さんも、
「夜と霧」を読みましょう。

人間の本質を定義したフランクルの言葉は、
今を生きる者達の心にも響くはずです。