今回紹介する記事は
2023年2月1日付けの
 
「毎日新聞」の記事です。
  
【育児記事を書いたわけ】


というタイトルで、
オピニオングループ小国綾子氏が、
誰も何も諦めず産み、
育てられる社会にしていきたいことについて、
紹介しています。

いつもどおり、
「4つ」の視点でこの記事を見ていきます。
 
(4つの視点についてはこちらをご覧ください)

 ☆新聞記事の紹介について

(発信者が重視するテーマに関してはこちらをご覧ください)

始めに読んでほしいブログについて

(1)内容の要約

 「自分の育児体験を記事や本に書くことに不安や葛藤はなかったのか」。

社会学者の富永京子さんにそう問われたのは、
2021年11月のこと。

当時、
彼女は妊娠を極力伏せたまま、
初の出産を迎えようとしていた。

 妊娠や出産を公表したら、
社会からの眼差しが変化し、
何か失うのではないか…。

そんな富永さんの不安にはっとさせられた。

同時に、
自問した。

私はなぜ、
妊娠や出産、
子育てを記事や本に書いてきたんだろう?

 2022年1月、
富永さんは連載するコラムで出産を初めて公表した。

彼女が、
不安や葛藤の正体を知りたくて相談した相手が、
サイボウズ社長、
青野慶久さんと私だったということに関して、
私はそのコラムで知った。

青野さんは結婚の際、
妻の姓を選んで改姓し、
企業経営者として自ら育児休業を取ったことで大きな話題になった人だ。

 私は富永さんと青野さんに対談を提案した

富永さんの不安や葛藤は少子化社会への大きな問題提起だ。

ちゃんと「対話」してみたいと思った。

私も対談の「聞き手」の立場をはみ出して、
考え、
悩み、
自分のことを語った。

「私がなぜ
自分の育児体験を記事や本に書き続けてきたのか」も

 私が生んだ1990年代後半、
「出産した女性にニュース記者は無理」
が新聞社の“常識”だった。

私はマミートラックを選ぶ一方で、
他の記者との差別化を模索し、
「生んだからこそかける記事」をむしろ意識的に書いた。

つまりは、
生き残り戦略だった。

 でも今回、
深く自問し、
それだけじゃなかったと気づいた。

私は書かずにはいられなかったのだ。

嬉しいこともしんどいことも全部さらけ出し、
書く。

私の「業」みたいなもの。

そんな記事に寄せられた読者の皆さんによる声が、
私の糧となった。

一人じゃない、
と思えた。

 今回の対談記事では、
長年悔いたことを「ごめんなさい」とも謝っている。

紙幅が足りないのでここに書ききれないけれど、
ぜひ、
対談記事を読んでみてほしい。

 誰も何もあきらめず産み、
育てられる社会にしていきたい。

対談記事を書き終え、
胸に誓ったのはそんなことだ。


(2)なぜこの記事を切り抜いたか    

書くことは「業」の如く一人じゃないと思えることについて、
紹介した記事のため。


(3)自分はどう思うか?

社会学者の富永京子氏が、
朝日新聞土曜夕刊に月一回記事を載せていることは知っていた。

サイボウズの青野慶久社長が、
結婚を機に妻の姓を選んで改姓したことはこの記事で初めて知った。

小国綾子氏が育児体験を記事にしたのは、
生き残り戦略だった。

自分も似たような経験がある。

育児とは無縁だが、
苦しい時期や辛い時は、
鉛筆で紙に書いた。

書くことで時計の針を進め、
自分自身と向き合い、
量で磨かれる質を実践したりした。

書くことは生き残りをかけることに必須だったと今では思う。

今後も続けたい。


(4)今後、どうするか?    

・小国綾子氏の記事をスクラップする。

・富永京子氏や青野慶久氏に関心を持つ。

・書くことを自分なりに続ける。


…今回も自分の勉強がてら、
まとめてみました。
  

このブログも一種の生き残り戦略かも知れません。

ご覧いただきまして、
ありがとうございます。


皆さんも、
書きましょう。

迷ったときは、
書いて前に進むのです。