今回紹介する記事は
2023年2月19日付けの
     
「北海道新聞」の記事です。
      
【シェフへの凄まじい道のり】


というタイトルで、
MARUZEN&ジュンク堂書店札幌店店長が、
札幌のフレンチレストラン「ミクニサッポロ」のシェフ三國清三氏の著書「三流シェフ」を通して、
三國氏のアグレッシブな半生に関して、
紹介しております。

いつもどおり、
「4つ」の視点でこの記事を見ていきます。
 
(4つの視点についてはこちらをご覧ください)

 ☆新聞記事の紹介について

(発信者が重視するテーマに関してはこちらをご覧ください)

始めに読んでほしいブログについて


(1)内容の要約

 札幌のフレンチレストラン「ミクニサッポロ」で、
一度だけ食事をしたことがある。

前の職場を退社して、
出版社の面接を訪れたのだ。

残念ながら、
面接がメインだったので、
出てきた料理はあまり覚えていないのだが、
最初の一皿が運ばれてきた時、
面接官だった社長の表情が、
一瞬パッと明るくなったことを今でも覚えている。

 その店を手がけたシェフ三國清三の最新刊「三流シェフ」は、
フランスの星付きメゾンを渡り歩いてきたにもかかわらず、
自虐的でちょっぴり扇動的なタイトルだ。

 前半は故郷・留萌管内増毛町で育った幼少期と、
ちゅそつで札幌グランドホテルの洗い場に入り、
1年でソースの味を決める「ストーブ前」の担当になった経験が綴られている。

18歳で上京。

帝国ホテルの鍋磨きから、
「ムッシュ」の愛称で親しまれた村上信夫総料理長に認められるまでになるが、
その道のりも凄まじい。

 洗い物の後、
勝手に料理長の料理番組の準備を手伝うなどして社員登用の機会を待つが、
順番は回ってくる直前で登用は打ち切り。

帰郷して漁師になる覚悟を決め、
ホテル内のレストランすべての鍋を磨き上げて辞める決心をした直後に、
料理長からの大抜擢でスイスのジュネーブ大使館料理人への道が開ける―と、
本当にドラマチックなのだ。

 後半は、
20歳で海外へ出てからの奮闘ぶりが綴られる。

ジュネーブ着任早々に米国大使を招いて行われた晩餐会は、
大使行きつけの店にある料理を“完コピ”して凌ぎ、
休日を返上してロザンヌの天才シェフ、
フレディ・ジラルデの厨房に無給の下働きで入りながら研鑽を積む。

 その後はフランス入りし、
「トロワグロ」など、
三ツ星レストランを道場破りのように渡り歩くのだが、
厨房のダヴィンチと呼ばれたアラン・シャペルの一言で目が覚める。

「セ・パ・ラフィネ(洗練されていない)」。

まるで謎かけの様に言われた言葉で、
フランス人の様にフランス料理を作ってはだめと気付き、
「日本人として、
フランス料理を作る」
ため三國は帰国する。

 帰国してから活躍は、
ぜひ読んで確認してほしい。

たゆまぬ努力と常に前だけを見続けるその姿勢に、
ただただ脱帽する。

 本書「三流シェフ」では、
37年間続けた東京の「オテル・ドゥ・ミクニ」を閉店することを「はじめに」で告げ、
最終章では3年後の70歳を機に、
カウンターのみ8席の「三國」を立ち上げることを宣言する。

終わりが始まりなのだ。

料理同様、
アグレッシブなシェフが書いた一冊。

面白くないわけがない。


(2)なぜこの記事を切り抜いたか    

北海道出身のフランス料理人に関して、
紹介した記事のため。


(3)自分はどう思うか?

留萌管内増毛町出身の道産子出身フレンチシェフ三國清三。

この名前は自分も知っている。

何十何年も昔に見たテレビ番組で、
幼少期から帰国までを取り上げていた。

今回取り上げた記事と概ね同じであり、
覚えているのは皿洗いと鍋を磨き上げること、
フランスでの一言で帰国を決意したところである。

特に、
帰国を決意した相手の言葉に関しては、
当時ネガティブに映し出されていたため、
純粋まっすぐだった自分は、
増毛町が生んだ至宝に何てことを言うんだ、
と思ったことがある。

ただ、
その後JRタワーにフレンチレストランを出店し、
名実と共に一流シェフとなってからは三國清三に関して、
興味は薄らいでいった。

そしてここにきて、
東京の「オテル・ドゥ・ミクニ」を去年末に閉店し、
三年後にカウンターのみ8席の「三國」立ち上げの宣言。

終わりが始まり。

軽々しくテレビのアナウンサーがスポーツ中継において、
いとも容易く口にする上記の言葉。

この言葉は我々が思う以上に重い。

そう思う記事である。


(4)今後、どうするか?

・北海道の食に関する記事をスクラップする。

・三國清三に関して調べる。

・道産子出身の他称一流(自称三流)に関心を持つ。


今回も自分の勉強がてら、
まとめてみました。

皿洗いや鍋磨きは、
新米でなくても万物に繋がることと思われます。


皆さんも、
三國清三に関心を持ちましょう。

JR廃線が決まった留萌管内増毛町が生んだ才能です。

たゆまぬ努力と常に前だけ見続ける姿勢、
きっとあなたの役にも立つと思われます。