今回紹介する記事は
2022年12月20日付けの
 
「朝日新聞」の記事です。
  
【命の使い捨て 考え続ける】


というタイトルで、
ライター望月優大氏が、
労働を「使い捨て」にする眼差し、
命を「どうでもいい」と見なす眼差しがこの社会にないかについて、
紹介しています。

いつもどおり、
「4つ」の視点でこの記事を見ていきます。
 
(4つの視点についてはこちらをご覧ください)

 ☆新聞記事の紹介について

(発信者が重視するテーマに関してはこちらをご覧ください)

始めに読んでほしいブログについて


(1)内容の要約

 サッカー・ワールドカップカタール大会が終わった。

外国人労働者の死について、
これほど問われた大会はかつてなかっただろう。

英紙ガーディアンは、
2010年にカタールでの開催が決まって以降、
インドやバングラデシュ、
ネパールなど南アジア5カ国出身の労働者が、
65000人以上も亡くなっていると報じた。

大会組織委員会のハッサン・アルタワディですら、
外国人労働者の死者数について、
「400人と500人の間」だとインタビューで答えている。

 ワールドカップのため、
カタールは秋田県ほどの国土に七つもの競技場を新設した。

人口300万人弱(しかもカタール国民はその2割未満)の国に、
100万人超の観客が退去する事態に備え、
数多のホテルやインフラを急ピッチで整えた。

ロイター通信によれば、
人口の8割以上を占める外国人の多くは、
建設現場などで働く男性で(ただし家事労働者は女性が多い)、
国全体の男女比は3対1を超えるとも言われる。

この歪な構造の中で、
多くの人々が命を失った。

 カタールの労働環境についての報道には、
厳しい暑さや熱中症の危険に触れたものが多い。

私が思い出したのは、
大阪の釜ヶ崎でお会いしたある日雇い労働者の方による言葉だった。

「真夏の現場における暑さって知ってる?

屋外の建設現場で働くやん、
温度計持ってったら何度指すと思う?

振り切んのよ、
どんな温度計も」

「暑かろうが何だろうが鉄の棒を担いでな、
運んでって、
持ち上げたり、
引っ張ったり、
まげたり、
組み立てたり。

一日で一人数百㌔からトン単位の鉄筋を組み上げていくわけよ」

 彼は熟練の鉄筋工で、
開港の関西空港や、
全面開業したあべのハルカスなど、
誰もが知る巨大な施設の建設現場にも入ってきたそうだ。

「誰も聞いても褒めてもくれへんけどね」
と笑った。

「もう仕事はしんどいし、
労働に対して賃金は高いし、
使い捨てやし、
社会的にも差別されるしと、
普段の扱いは踏んだり蹴ったりやけど、
自分のした仕事にゃ誇りとかね、
プライド持ってなやってかれへんやん、
そんなんやっぱり」
(以上の引用は、
ウェブマガジン「ニッポン複雑紀行」所収の吉岡基さんへのインタビューから)

 釜ヶ崎における最盛期の一つは、
大阪万博の頃。

仕事を求めて労働者が集まり、
様々な現場に送り込まれていった。

巨大な国家事業という意味では、
今回のワールドカップに通じる。

その後、
オイルショックやバブル崩壊の終焉を経て、
寄せ場の求人は減少の一途を辿った。

かつての労働者たちは高齢化し、
住まいを失う人々が増え、
野宿者が襲われる事件すら起きるようになった。

過去の話ではない。

東京・渋谷のバス停で寝泊まりする60代の女性が命を奪われた。

メンタリストのDaigoが、
「ホームレスの命はどうでもいい」
と動画で発言したのはその翌年のことだ。

 カタール大会が終わり、
その地で命を落とした労働者について考える機会は急減するだろう。

だが、
私たちが忘れていくのがカタールでのことだけとは決して思わない。

私がこれまでこの日本で出会い、
お話を聞いた外国人の方たちは、
肉体労働に従事していた。

熊本の農家でミカンを収穫する仕事。

宮城の水産工場でウニのワタを取り除く仕事。

東京で弁当屋の仕事やビルの清掃業務に就き、
シングルマザーとして子育てに悩む女性もいた。

労働を「使い捨て」にする眼差し、
その命を「どうでもいい」と見なす眼差しがこの社会にはないか。

私はそのことを考え続けていきたい。


(2)なぜこの記事を切り抜いたか    

命の使い捨てについて、
紹介した記事のため。


(3)自分はどう思うか?

カタールという国について、
未だに興味関心を持っている人は、
どれだけいるだろうか。

6500人以上の犠牲の名の下に開催された祭典は、
果たして成功と言えたのだろうか。

東京インパールシロアリンピックでも、
犠牲者は出ていたし、
大阪万博といった巨大な国家事業をやろうとすると、
働き手が全国各地から募り、
終わればポイ捨て。

雇用の調整弁もとい消耗品とでも言えるのではなかろうか。

「ホームレスの命はどうでもいい」と言い出す炎上系メンタリストが跋扈しだし、
支持する脳にヤキが回った脳科学者達が蔓延りだすという、
ハザード(災害)を引き起こす。

もはや戦後ではない?

もはや先進国じゃない。

馬鹿騒ぎのお祭りドクトリンの代償に、
弱い立場にありながら懸命に仕事に従事する者達が生み出される。

「使い捨て」や「どうでもいい」といった日本における眼差しは、
世界が冷酷に見聞していると思えてならない。


(4)今後、どうするか?    

・望月優大氏の記事をスクラップする。

・カタールに関して関心を持つ。

・命の使い捨てを考え続ける。

…今回も自分の勉強がてら、
まとめてみました。
  

巨大な国家事業が動けば、
必ずや弊害が生じる。

いつになったらこの国は学ぶんでしょうか。


皆さんも、
「使い捨て」にする眼差し、
「どうでもいい」と見なす眼差しと決別しましょう。

大事に扱わない人間は、
大事に扱われない。

先人からの教えです。