今回紹介する記事は
2022年12月24日付けの
 
「毎日新聞」の記事です。
  
【戦後77年の暮れ方】


というタイトルで、
専門編集委員伊藤智永氏が、
77年が明治維新から敗戦までと同じ歳月を経てくる間に、
国がおかしくなったころ「維新」が唱えられることに関して、
司馬遼太郎と松本清張の対照的な視点を通して、
紹介しています。

いつもどおり、
「4つ」の視点でこの記事を見ていきます。
 
(4つの視点についてはこちらをご覧ください)

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始めに読んでほしいブログについて


(1)内容の要約

 今年は戦後77年。

明治維新から敗戦までが同じ77年。

近代日本の始まりから、
亡国の谷底を折り返し点として、
戦後日本もはるばる同じ歳月を経てきたのだ。

 前の77年では、
国がおかしくなった頃、
「昭和維新」が叫ばれた。

次の77年でも「失われたン十年」が言われだすと、
また「維新」が唱えられるようになった。

 ただし、
戦前の陰鬱深刻なスローガンが、
戦後は快活で前向きな庶民に好かれる言葉へ変わった。

司馬遼太郎の影響だろう。

 10月に出た福間良明著「司馬遼太郎の時代」で、
文化勲章までもらった国民作家が、
いかに学歴・職歴の「二流」「傍系」意識を肥やしに大成したか、
興味深く読んだ。

確かに、
幕末・維新から日露戦争が舞台の小説は、
「幸福で楽天的な英雄たちの物語」
が多い。

 思い出されるのは、
高等小学校卒の劣等感をバネにベストセラーを量産した松本清張。

こちらは専ら底辺での逆境や権力への反抗を書いた。

歴史への視点が、
上から見下ろす司馬とは逆だ。

 作風は対照的でも、
重なる視点はいくつもある。

司馬は「昭和維新」を掲げた2・26事件を嫌悪した。

「庶民が迷惑を被った怨念がある」という。

清張は、
「昭和史発掘」(文庫版全9巻)で、
事件の暗部をとことん暴いた。

 旧軍の暴走を難詰し、
正論やイデオロギーを疑い、
非合理な精神論を信じない。

2人とも、
日本人がいともたやすく全体で同じ考えに染まりやすいと危惧した。

 司馬は高度成長期のビジネスマンに偶像視され、
書かれた史実や史観に批判がある。

清張は陰謀論と嫌われもする。

限界があるにせよ、
司馬と清張という異質の国民作家が同時代に並び立ったのは、
分厚い国民意識があったからだろう。

 43兆円の大軍拡決定に、
ほかならぬ自衛隊将官OBたちが各メディアで困惑と懸念を述べている。

「身の丈を超えている。

全部本当にできるのか、
やっていいことなのか」
(香田洋二元自衛艦隊司令官・朝日新聞デジタルより)。

プロならではの危機感だ。

 自衛隊は創設以来ずっと、
定員割れが続く。

そもそも膨大な装備を扱う人が足りず、
少子化は加速。

誰が・誰を・どう守る。

 ところが、
世論は防衛費増に賛成多数。

敵基地攻撃能力についても、
定義・運用・効果がわからないのに、
やはり賛成多数。

 こうして戦後77年は暮れていく。

その軌跡は、
戦前の77年と不気味に重なる。

私たちは司馬と清張を誤読した。


(2)なぜこの記事を切り抜いたか    

77年と「維新」が、
司馬遼太郎と松本清張を通して語られた記事のため。


(3)自分はどう思うか?

明治維新・大正デモクラシー・昭和恐慌…。

歴史の教科書で覚えた年号に絡む言葉である。

昭和維新はこの記事で初めて知った。

検索してみると、
・昭和初期に軍部・右翼が国家改造をめざして掲げたスローガン。
・元老・重臣・政党・財閥を排除して天皇中心の政治体制樹立を企図。
・明治維新になぞらえた語。
と出てくる。

維新という言葉はやはり、
政党に使うところを筆頭に、
碌なことが無い。

おかしくなると叫ばれる言葉のようだ。

明治維新(1868年)から敗戦(1945年)までが77年。

敗戦(1945年)から77年が去年(2022年)ということは、
この記事で知った。

司馬遼太郎の作品は読んだことはないが、
大河ドラマを視聴したことがあり、
正直合わなかった。

理由はわからなかったが、
「上から見下ろす」という言葉と、
松本清張との対照を引き合いに出されると合点がいく。

松本清張作品も読んだことはないが、
火曜サスペンス劇場を視聴し、
しっくりきた。

何故ならと納得いく説明はできなかったが、
専ら底辺での逆境は権力への反抗が自分の好みと合致したのだろう。

毎日新聞専門編集員である伊藤智永氏が、
朝日新聞の記事を引用すること自体珍しい。

年末、
自衛隊はこんなに素晴らしいという内容が、
twitter上で駆け巡った。

三食しっかり食べられる。

時はまさに世紀末か?

性暴力が横行していて、
毎年防衛大学の不祥事が表に出し、
入隊しても抜けていく人間が多い組織。

1950年の朝鮮戦争において、
GHQの指令により警察予備隊が新設され、
1951年サンフランシスコ平和条約発効後、
保安庁の中に保安隊と警備隊に改称し、
1954年日米相互防衛援助協定(MISA協定)調印によって、
防衛庁の中に自衛隊(陸上・海上・航空)に改称された。

記事に戻ると、
身の丈を超えているというプロならではの危機感と相反し、
世論は防衛費増に賛成多数、
敵基地攻撃能力の定義・運用・効果もわからないのに、
賛成多数。

先制攻撃と国際的に判断されたら、
戦争国判断されるのに…。

ゆえに、
憲法9条で平和主義(戦争放棄・戦力不保持)を貫いてきたのに、
日本という国は77年で忘れるものなのだろうか。

人間五十年と人生百年の間で、
同じ過ちを繰り返しそうな国と民に警鐘を鳴らす記事が年末に書かれたが、
新年あけましておめでたい年始にこの記事を紹介するのが、
自分の流儀である。


(4)今後、どうするか?    

・伊藤智永氏に関する記事をスクラップする。

・司馬遼太郎と松本清張に関心を持つ。

・維新という言葉に気を付ける。


…今回も自分の勉強がてら、
まとめてみました。
  

伊藤智永氏の記事は、
以前紹介しました。

おめでたい年始に、
どうしてこういう記事をぶち込むんだ、
と言われるかもしれませんが、
忘れやすい性格だからです。

皆さんも、
歴史に関心を持って下さい。

「維新」の名は国がおかしくなった頃、
失われた「ン十年」が言われだすと、
唱えられる危険な言葉です。

心地よい言葉ほど、
裏を疑って下さい。