今回紹介する記事は
2021年8月17日付けの
     
「毎日新聞」の記事です。
      
【正論を踏み外す】



というタイトルで、
専門記者大治朋子氏が、
五輪の負債があるとすれば、
その一つは正論を踏み外したことへの後ろめたさかもしれないことに関して、
紹介しております。

いつもどおり、
「4つ」の視点でこの記事を見ていきます。
 
(4つの視点についてはこちらをご覧ください)

 ☆新聞記事の紹介について

(発信者が重視するテーマに関してはこちらをご覧ください)

始めに読んでほしいブログについて


(1)内容の要約

 先週末にNHKで放映された終戦ドラマ
「しかたなかったと言うてはいかんのです」
を見た。

 太平洋戦争末期に起きた米兵への生体解剖。

解剖を行った当時の吸収帝国大医学部助教授、
鳥巣太郎医師がモデルで、
そのめい、
熊野以素氏の著書「九州大学生体解剖事件 七〇年目の真実」
が原案だ。

 1945年5月に捕らえられた米兵8人が、
解剖手術で殺された。

どの程度失血すれば死ぬのか、
血液のかわりに塩水は使えるか。

そんなことが目的だった。

鳥巣氏は解剖計画を知らなかった。

2回目の解剖で、
「不法不当」を訴えが聞き入れられず、
以後は参加を拒否した。

 1948年の横浜裁判で、
関係者計23人が有罪判決を受けた。

鳥巣氏は当初、
絞首刑とされたが、
妻の尽力で懲役10年に減刑された。

 その裁判で、
ある医学博士が、
「私がその立場なら参加しない、
医学は直す者で殺すことではない、
軍の目入れでも従わない」
と語っている。

ノンフィクション作家の上坂冬子氏の著書「生体解剖」(毎日新聞社)によると、
鳥巣氏はその言葉を受け止め、
上坂氏にこう言ったそうだ。

 「厳しくともあれが正論である。

人間は正論を踏み外してはいかんのです。」

 だが上坂氏は疑問を抱く。

「組織の一角に拍車がかかって個人をひねりつぶして驀進するような事態は、
いつの時代にもありうることだが、
そんなとき個人はどんな方法で対処せよというのであろう」

 そして思わず、
「ああするよりほかに仕方なかったのではないか」
と問い直すと、
鳥巣氏は遮るように言ったそうだ。

「それをいうてはいかんのです」

 「どんな事情があろうと、
しかたがなかったなどというてはいかんのです」

 権力の暴走から命を守れなかったことへの悔恨。

鳥巣氏の言葉は
現代のわれわれに問いかける。

正論を踏み外してはいないか、
と。

 東京五輪開催に為政者らがばく進し、
批判した医師らの声はひねりつぶされた。

費やされたカネと選手の汗に、
「仕方がない」
のムードが高まった。

「命こそ宝」
の正論は踏み外され、
その結果は予想通りの感染拡大と医療危機。

程度の差こそあれ、
連帯責任を感じる市民もいた。

 五輪に負のレガシー(遺産)があるとすれば、
その一つは正論を踏み外したことへの後ろめたさかもしれない。


(2)なぜこの記事を切り抜いたか    

正論を踏み外してはならないことに関して、
紹介した記事のため。


(3)自分はどう思うか?

酒の席が嫌いだ。

忘年会や新年会など、
この世からなくなればいいと思っている。

北海道では雪が降る勤労感謝の日辺りから、
こんな話題が出てくる。

店で客のいる前で部下を殴り、
罵声を浴びせる上司。

静まり返った夜行列車内で、
乗客のいる前で後輩社員に対して、
罵詈雑言を大声で浴びせ続ける先輩社員。

夜中に夫婦そろって、
一時間以上に渡って脅迫電話をかけて恫喝する管理職…。

酒が入っているのだから、
しょうがない。

挙句の果てに、
言われるおまえにこそ問題がある、
と言い出すアホトップ。

この記事に比べて次元の低い話だが、
根っこは同じであると思う。

酒が入れば、
正論を踏み外していい。

今日は無礼講だ=上司が部下を好き勝手虐げてもOKということ

上官の命令は絶対であり、
下々の者はただ奴隷・家畜・玩具であれ。

この記事を読んでいて、
気持ち悪くなるのは、
戦後でも人体実験もどきが、
脈々と受け継がれていると、
切実に感じたからである。

やっている者は横浜裁判と異なりお咎めなし、
むしろ昇進や身分保障を与えているから、
始末に負えない。

そして、
やられている者は身も心も壊して、
組織を去っていく…。

所詮それが世の中、
いちいち怒っても自分が疲れるだけ、
結局ちゃらんぽらんに生きるのが一番だ…。

処世術を受けても、
それでいいのかよ、
と思ってしまう。

結局、
先人が残した黒歴史を繰り返す愚行をするしか、
生き残る道はないのかと。

「仕方がないんじゃない」

「仕方はいくらでもある」

本番は練習とは違う。

練習でできることが本番において、
6割程度で切れば上出来と言われる。

酔っぱらった輩が120%を目指せとか喚いているが、
本人が有言実行したことを生まれてこの方見たことがない。

せめて自分が戦う本番において最低6割程度出すためには、
普段の練習から10割めざして取り組むことが求められるのかもしれない。


(4)今後、どうするか?

・大治朋子氏の記事をスクラップする。

・「人間は正論を踏み外してはいかん」ことを忘れない。

・「仕方がない」ではなく「仕方は色々ある」ことを努める。

今回も自分の勉強がてら、
まとめてみました。

大治朋子氏に関する記事は、
以前も紹介しました。

「正論を踏み外す」
「仕方がない」
「命こそ宝」

どれを重視するかで、
人間性が判断されるかもしれません。


皆さんも、
「正論を踏み外す」
「仕方がない」
に対して、
時には抗ってみて下さい。

自分を保つためには必要と考えるからです。