今回紹介する記事は
2020年5月26日付けの
     
「北海道新聞」の記事です。
      
【最悪を想定しない国民性 危機管理と日本人】

 

 



というタイトルで、
思想家内田樹氏が、
危機管理ができない日本人は、
同じ失敗を飽きずに繰り返すパターンから抜け出さないと、
命とりになりかねないことについて、
紹介しております。

いつもどおり、
「4つ」の視点でこの記事を見ていきます。
 
(4つの視点についてはこちらをご覧ください)
 

 ☆新聞記事の紹介について

 


(1)内容の要約

危機管理というのは、
「最も明るい見通し」から「最悪の事態」まで何種類かの未来について、
対応するシナリオを用意しておくことである。

どれかが「当たる」と
それ以外の「外れる」が存在する。

後者の準備は全て「無駄」となるが、
「無駄」が嫌だという人は、
危機管理に向かない。

リスクヘッジというのは、
「丁と半の両方に貼っておく」
ことだからである。

危機管理は、
「儲ける」ためにすることではない。

生き延びるためにすることである。

エコノミストはこれを「スラック(余裕 ゆとり)」と呼ぶ。

スラックのあるシステムは、
そうでないシステムよりも危機体制が強い。

危機管理の基本がわかっていない人が、
日本では政策決定を行っている。

先の戦争指導部はそうだった。

「希望的観測」だけで綴られた作戦を起案する参謀が重用され、
「作戦が失敗した場合、
被害を最小化するためにはどうしたらいいのか」
というタイプの思考をする人間は嫌われた。

私は心配性なので、
「最悪の事態」を想定することが習慣化している。

「余力のあるうちにプランB、
プランCも考えておきましょう」という前向きの提案をしているつもりだったのだけれど、
「プランAがダメだったら」という仮定そのものが、
何か不吉なもののように扱われるのである。

「君のような敗北主義者が敗北を呼び込むのだ」
と怒鳴られたことがある。

「最悪の事態にどう対応するか?」
という問いを前にすると、
日本人は思考能力が一気に低下する。

これは国民性と言ってよい。

「プランAがダメだったら」という仮定そのものを一種の「呪い」のようにみなして、
忌避するのである。

「言霊の幸はふ国」においては、
祝言を発すれば吉事が起こり、
不吉な言葉を発すれば凶事が起こると信じられている。

それゆえに日本では、
「プランAがダメだったら」という仮定は、
「凶事を招く」不吉な振る舞いとして排斥される。

そんな国で危機管理ができるはずがない。

そういう国民性なのである。

経済が低迷してきたら、
五輪だ・万博だ・カジノだ・リニアだ・クールジャパンだと、
ものにつかれたようにわめき散らしたていたのは、
「祝言」をなしていたのである。

未来を祝福して、
吉次が到来するよう、
必至に「祈って」いたのである。

日本人というのは、
「そういう生き物だ」
という事実を指摘しているわけである。

日本社会における危機管理を論じる場合には、
「日本人には危機管理ができない心性が標準装備されている」
という事実を勘定に入れる必要があると言っているのである。

「日本人はふつうに危機管理ができる」
と思い込んでいるからリスク計算を間違える。

「日本人は危機管理ができない」
ということを与件として危機管理については考える必要がある。

文字が読めない子どもにだって文字は教えられる。

知らないことを前提にしているから、
教えられることと同じである。

日本人は、
「感染は日本では広がらないだろう」
という疫学的に無根拠なことを信じ、
公言していたが、
「嘘を吐いた」
というべきではない。

「感染は広がらないだろう」
と言えば、
その通りのことが起きると信じて、
善意で言い続けていた
「言霊」
だったのである。

「東京五輪は予定通り開催される」
も同じである。

「開催されないないかもしれない(その場合にはどう対応するか早めに対応策を講じた方がいい)」というkとを考えた人は、
組織委ないにもいたはずである。

しかし、
口にしたとたんに
「不吉なことを言うな」
と一括されることがわかっていたから、
黙っていた。

「予定通り開催される」
という祈りを
「開催しない」決定が下るまで唱え続けるのが、
「日本流」
なのである。

同様に、
感染拡大に備えて人工呼吸器や検査セットや病床の確保をしないで来たのは、
「何も準備しない」という呪術的な振る舞いによって、
「準備しなければならないような事態の到来を防ぐ」
ことができると信じていたのである。

「何の備えもする必要がなかった未来」

「予祝」によって招来しようとしていたのである。

今回のパンデミックにおける日本の失敗が同一のパターンを飽きずに繰り返していることがわかる。

そろそろそのことに気づいてもいいのではないか。

わが国の命取りになる。

(2)なぜこの記事を切り抜いたか    

日本人の習性に対して、
鋭く指摘した記事のため


(3)自分はどう思うか?
 
冒頭、
リスクヘッジというのは、
「丁と半の両方に張っておく」
ことでからであると賭博を例にした説明で、
この記事をスクラップしようと決めた。

「希望的観測」が賞賛され、
失敗時の対処法や、
「プランAがダメだったら、
大体のBやCを考えておこう」
という提案をすると、
「戦う前から、
そんなことを考えるな、
この軟弱者が!」

似たような暴言を自分も浴びせられたし、
スポーツ日本代表でも同じことが起きていることは、
皆も周知しているであろう。

偶然うまくいったら、
「神風が吹いた」と狂喜乱舞し、
惨敗を味わえば、
「ここまでの感動をありがとう」
や、
後任の人事をさも口が滑ったと言ってぶちまかし、
マスメディアも蠅の如く集る。

PDCAサイクルの検証(C)や軌道修正(A)という行為を積み上げることなく、
疎かにするふざけた繰り返しを21世紀に入って二十年間、
味わってきた。

この記事を読み、
日本人の国民性、
日本人はそういう国民性、
日本人とは「そいう生き物なのだ」
という言葉が繰り返し綴られているが、
あぁそういうことなんだと納得してしまった。

もちろん、
上記と相反する心を持ち、
実際に行動で示している猛者達も存在するのだろう。

それでも、
ごく少数であって、
大多数は国民性に縛られている。

思うに、
この国は呪術的な因習や陋習から抜け出せないのである。

もうそろそろ、
次の段階に進むために、
抜け出す努力も必要ではないか。


(4)今後、どうするか?

内田樹氏に関する記事をスクラップする。

日本人の習性に関する本を読む。

同じ失敗をしてないか検証し、
気づく努力をする。


…今回も自分の勉強がてら、
まとめてみました。

内田樹氏に関する記事は、
以前も紹介しました。

日本人の習性に関して、
ここまで端的に紹介した記事は、
もっと世に知られてもいいと思われます。


皆さんも、
日本人の習性と危機管理について、
調べてみて下さい。

最低でも、
他人より三つ位先や、
三つ位多くの選択肢を持つ努力、
考え続けるようになれば、
世の中が少しでもマシになるのではと考えるためです。