今回紹介する記事は
2020年2月15日付けの
 
「北海道新聞」の記事です。
  
【賭博王国ニッポン IRは手を引くのが賢明】


というタイトルで、
総合研究大学院大名誉教授池内了氏が、
日本人は何事についても慎重で用心深いのではなく、
先行きのことを考えない気質や、
あきらめるより仕方がない気質があることについて、
紹介しております。


(4つの視点についてはこちらをご覧ください)

 ☆新聞記事の紹介について  


(1)内容の要約

「宵越しの金は持たない」
とは江戸っ子の気風を表す言葉だが、
江戸っ子だけでなく、
日本人全体が同じように先行きのことを考えない気質があるのではないか、
と思っている。

というのは、
日本のあらゆるマチの一等地にパチンコ(パチスロ)店が開業し、
競馬・競輪・競艇(ボートレース)がほとんどいつでもどこかで開催され、
宝くじやサッカーくじが射幸心を煽っているという具合に、
賭け事が数多く公認されており、
隆盛しているためである。

日本では、
これらを「遊技」と呼んでいるが、
レッキとした「賭博」であり、
日本は賭博王国である。

賭博に甘く、
ギャンブル依存症の人間が320万人いる(2017年厚生労働省推計)にもかかわらず、
IR「統合型リゾート施設」を整備し、
本格的な賭博場であるカジノを開設しようというありさまである。

そもそも胴元が損する賭博はない。

しかし、
最初に勝った(胴元のテクニックで勝たせてもらった)味が忘れられずに賭博にはまり込むと、
詰まるトコロは、
全財産を失い、
家族離散の憂き目に遭うのがオチである。

家庭を崩壊させてしまう人が多くいるのだから、
そんなものに手を出すなと言いたい。

その意味で、
カジノ付きIR湯地を検討していた北海道が、
本当に手を引くなら実に賢明である。

なぜ日本人は公然たる賭博を数多く許容しているのだろうか。

農耕民族は何事についても慎重で、
用心深いとされているが、
そうではないようである。

私の仮説は、
天災の多い国で、
溜め込んでも一晩で一気に失ってしまうことを体験し、
天災だから誰かを恨むわけにもいかず、
諦めるより仕方がない、
それなら明日のことなど心配せず、
今日を楽しく過ごさねば損だ、
そんな気質が染み込んでしまったのではないか、
というものである。

今だけ・金だけ・自分だけの風潮にはまって、
賭博に入れあげる民族になったというのは強引だろうか?

泡銭を当てにしている政治家は、
賭博好みの国民を歓迎している。

金持ち優遇の税制とし、
貧乏人から取り立てる悪政なのだが、
その怒りを政治に向けさせず、
賭博で憂さ晴らしするよう仕向けているからだ。

大事なことは、
賭博とはキッパリ手を切ることである。

それにうつつを抜かす国民を見て、
権力者は喜んでいるのだから。


(2)なぜこの記事を切り抜いたか    

日本人は素晴らしいという定説に、
疑義を唱える記事のため。


(3)自分はどう思うか?

学生時代、
日本人というものは世界においても、
稀に勤勉であると評価されているので、
美徳とせよと教え込まれた。

社会に出るとそれはごく一部の人間ができている者であり、
大半は勤勉とは対極に位置する者ばかりと知った。

加えてここ十年弱は、
「今だけ・金だけ・自分だけ」思想に取りつかれし俗物が、
あまりにも多すぎると思えてならない。

加えて彼奴等は、
家庭や子どもを持っている者だから、
幻滅というよりこれが現実なのか、
と悪い意味で勉強になっているのが現状である。

天災島国は賭博王国の素地を持っているという池内教授の話は、
頷けてしまう。

北海道が「本当に手を引くならば」という言葉に、
北海道の本音を見透かしているように思えてならない。

そこがこの記事で気に入った箇所である。

この国は残念だが、
生真面目さより賭博の性を遺伝的に受け継いでいるのであろう。

その習性を鑑みて、
対策を講じる必要があるのではなかろうか。


(4)今後、どうするか?    

IRを許さない記事をスクラップする。

日本人の習性について調べる。

目立たたなくてよいので、
反主流の意志を持つ。


…今回も自分の勉強がてら、
まとめてみました。
  
  
IRに関する記事
は、
以前紹介しました。



残念ながらJAPANは残念なことに、
賭博王国であることに違いないでしょう。

この賭博習性は他人事ではなく、
自分事として受け止め、
少しでも抗う術を講じます。

皆さんも、
家庭を崩壊させないためにも、
賭博に手を出さないことを勧めます。

何事も失ってから大事だということを知るだけでは、
あまりにも悲しすぎるので、
過去の教訓を探ってみて下さい。