今回の音の履歴は日本のフォークソングとその後について

 

 

フォークソングと言っても

私の場合はもっぱらラジオから流れてくる

その時々にヒットしていた曲が多かった。

それまではあまりフォークソングには

耳が向かっていなかったと思う。

マイク真木の『バラが咲いた』や

森山良子の『この広い野原いっぱい』

その辺りが印象に残っている程度。

あと集中して聴いたのはフォーククルセダーズ。
(フォーククルセダーズについてはこちら⇒
)

 

 

そんなある日突然、耳に飛び込んできたのが

 

『ある日突然』

 

「トワ・エ・モア」というデュオが歌っていた。

1969年の曲、中学3年の頃。

 

    ある日突然

 

トワ・エ・モア(フランス語、君と僕)は

フォークグループなのか、和製ポップスなのか

なかなか定かではないけれど、

その音楽はいつも新鮮な感じだった。

作詞・山上路夫、作曲・村井邦彦で、

このコンビはその後も同様の路線で

ヒット曲を多く生み出すことになる。

 

 

先に書いた森山良子の同年の歌

 

『恋人』

 

これも、作詞・山上路夫、作曲・村井邦彦。

 

    恋 人

 

この前に森山良子は『禁じられた恋』という曲を出している。

この辺りからフォークよりも、やはりポップスという感じに

だんだん変わってきている。

非常に美しいメロディーの曲で、

『禁じられた恋』と共に、森山良子を代表する曲になった。

ちなみに、B面の『思い出のグリーングラス』は

1965年に作られたフォークソング。

やはりこの辺りがフォークソングから

ポップス(ニューミュージック)への

切り替わりの時期だったのかもしれない。

 

 

さらに私たち戦後生まれの代名詞にもなった曲。

 

『戦争を知らない子供たち』

 

これは作詞が北山修、作曲は杉田二郎。

この頃は「ジローズ」として歌っていた。

 

    戦争を知らない子供たち

 

杉田二郎は、「はしだのりひことシューベルツ」に

参加しており、そこで北山修と出会っている。

シューベルツ解散後、森下次郎と共に

「ジローズ」を結成した。

この『戦争を知らない子供たち』は

まさに戦後世代の象徴的な歌として、

多くの若者に歌われることになる。

私たちの世代の共通の感覚を

掬い上げた北山修の歌詞が秀逸。

もちろん「ジローズ」の代表曲でもある。

 

 

そして、これも超有名な歌。

 

『翼をください』

 

この曲もまた、作詞・山上路夫、作曲・村井邦彦。

 

    翼をください

 

「赤い鳥」は男性3人、女性2人のグループ。

特に山本潤子と平山泰代のツインボーカルは

両名の声質からして素晴らしいものだった。

さらに、コーラスが大変優れていて美しい。

この『翼をください』は、後に

音楽の教科書に掲載されるぐらい有名になる。

とにかくこの当時の山上路夫と村井邦彦が

日本の音楽界を引っ張っていたし、

とても新しい感覚の音楽を作り出してしたことに

今更ながら驚く。 びっくり

 

「赤い鳥」はその後音楽路線の違いから1974年に解散。

しかし、後藤悦治郎と平山泰代は「紙風船」、

山本潤子、山本俊彦、大川茂は「ハイファイセット」と

それぞれ別のグループに分かれるが、

それぞれがまた素晴らしい曲を世に出すことになる。

 

 

今回紹介した歌は、私たちの世代にとっては

忘れられない歌ばかり。

今でも、何人かが集まれば、皆で歌うことのできる歌だ。

そんな歌を作り、歌ってくれた人たちがいて

大変嬉しく思っている。照れ

これからも歌い継がれていくだろう。

 

さらにここから、「ニューミュージック」への道が

拓かれていく。