中小企業である赤松運送の社長赤松徳郎

ある事故をきっかけに

彼は巨大企業の犯罪を追い詰めていく

 

空飛ぶタイヤ(2006)

◆作者 池井戸 潤(1963~)

◆出版 講談社文庫(2009)

 

     空飛ぶタイヤ 上・下

 

 中小企業の赤松運送を父より継いだ赤松徳郎。

 その赤松運送のトレーラーが横浜市内の国道を走行中に事故を起こします。

 法定速度の40キロで走行中、急に前部のタイヤが外れます。直径1m、重さ約140キロのタイヤは、道路脇の縁石を乗り越え、さらに坂道で加速して50mほど転がり、偶然その歩道を歩いていた主婦、柚木妙子に激突します。柚木妙子は病院に搬送中に亡くなります。

 

 赤松運送の事故車両は、現場検証の後、ディーラーのホープ自動車販売が回収し、修理するためにホープ自動車へと運びこまれます。

 神奈川県警の刑事である高幡は、その修理部品についてホープ自動車に鑑定を依頼したことを知らせに赤松運送を訪れ、「整備に問題があった可能性が高いと思っている」旨を伝えます。問題のあった部品はハブであるということで、このハブの整備不良が原因であると言うのです。

 

 そんな折、赤松運送の顧客である大手機械製作会社相模マシナリーから、赤松運送は今後使わないという話が入ります。事故を起こしたトレーラーが運んでいたのが、相模マシナリーの工作機械だったからでした。

 大手の相模マシナリーが手を引くと、赤松運送の経営にとっては大変な打撃となります。

 

 新聞で事故について報道もされ、融資を受けようと訪れた東京ホープ銀行(ホープ自動車と同系列)にも断られます。

 さらに、事故の影響は赤松徳郎の家族をも巻き込んでいきます。小学校で息子の拓郎がいじめに合い、いじわるな言葉を投げかけられます。その背後にはPTA役員の片山という女性が、PТA会長をやっている赤松に降りた方がいいと皆に言いふらしているという話が耳に入ります。

 

 こうして、赤松徳郎と赤松運送は窮地に陥れられていきます。

 それでも赤松は諦めず、赤松運送に事故の責任はないことを立証するために八方手を尽くします。

  また、事故車の部品を回収したホープ自動車内部では、販売部カスタマー戦略課長沢田悠太が事故に疑念をもち、仲間の協力を得て内部告発の準備を進めていました。

 

 そして、少しずつ見えてくる事故の真相は・・・・

 

*            *            *

 

 池井戸潤の作品は『七つの会議』(→こちら)に続き2作目です。

 『七つの会議』は2012年に出版され、この『空飛ぶタイヤ』が2006年ですので、発表されたのはこちらの方が先ということになります。

 しかし、描かれている内容はよく似ています。

 大企業のもつ企業の論理と、何か出来事が起こったときの隠ぺい体質というものが、両作品とも共通しています。少しのほころびから、次第に巨大な組織犯罪が浮かび上がってくるところも似た内容になっています。

 

 大きな違いは物語の描き方です。

 『空飛ぶタイヤ』は赤松徳郎という運送会社の社長を主人公に据え、基本的に赤松の視点に沿いながら、その他の人々の動きがそこに絡まるように描かれています。赤松が動くことによって、次第に巨大企業の犯罪が明らかになってきますし、その過程での赤松の苦悩や迷いなどが描かれます。言ってみれば、単線的な物語が次第に太さと絡まりを増していく感じです。

 それに対して『七つの会議』は連作短編という形で、視点となる人物を変えながら、組織犯罪が多面的に少しずつ形を現してくるように描かれます。こちらは、最初に何が起きているのかがよく分かりません。パズルのピースのようなものが、部分部分で形を見せながら、最終的に全体像が現れてくる感じです。

 やはり、物語を語るときに、いかに表現するのかという工夫は、後年の『七つの会議』の方が各段に進んでいるように思います。

 しかし、どちらも読んで大変面白い。『空飛ぶタイヤ』も骨太の物語で、強い力で引き込んでくれます。

 

 池井戸潤の小説を読んでみると、脇役ともいうべき人物についても、その人物像が丁寧に描かれています。

 例えば、『空飛ぶタイヤ』には、門田駿一という若い整備工が登場します。

 赤松運送で整備工として働く門田は、髪を金髪に染め、耳にピアスをしています。それに対して赤松自身もあまりいい感じは持っていませんでした。

 しかし、門田は大変丁寧に整備日誌をつけており(これがその後物語の展開に大きな意味を持ってきます)、仕事には真面目に、熱心に取り組んでいました。そして、赤松は、実は門田が陰で赤松に対して恩も感じており、「仕事の中身で勝負しろ」と赤松がいつも言っていたそのことが本心からのものかどうかを試していたのではないかと思い至ります。

 赤松が門田の真意を知り、関係を修復していく中で、次第に結束を強めていくこと等も丁寧に描かれています。

 

 またホープ自動車の沢田悠太についても、カスタマー戦略課(簡単に言うとクレイマー対策)にいて会社のもつ理不尽なあり方を告発しようとし、会社から懐柔されて一旦取り込まれようともします。そうしたことを繰り返していくのですが、その心の揺れようが大企業の中の人間をよく描いています。

 池井戸潤は人間をそんなに簡単に「悪人」「善人」とは描き分けません。やはり悩みながら、ある時には諦めかけながら、それでも時に機会をみつけて何事かを成し遂げるものとして描きます。

 また、沢田の妻英里子の言葉が、彼の背中を押すことがあります。

 

「どんな組織だって、誰かがいわなきゃ動かない。みなんが“自分ひとり頑張ったところで”って諦めてるから動かないだけよ。もし、そんなことがあるのなら、あなたがそれを言うべきじゃないの」

 

「会社が成り立っているのは、お客さんがあるからよね。あなたが暴こうとしている秘密がどんなものかは知らない。でも、それがお客さんにとってメリットがあることなら、それは明らかにすべきだと思う。もし、それで会社が倒産するようなことがあっても、そうするべきよ。それができない会社は、そのときは生き延びても、あとで必ず行き詰まる。一番大切な人に嘘をついちゃだめよ。会社の場合、それは、お客さんでしょう」

 

 こんな風に組織の中で迷うながら、苦しみながらそれでも沢田は最終的に

 

「俺は何があっても、この組織に残る。そして、精一杯、抵抗して生きていく。定年を迎えるまで。あるいは ― そんなことになって欲しくないが ― その組織が無くなるまでな。その覚悟はできている」

 

という心境にまでなっていくのでした。

 

 主人公赤松徳郎にしても、決して正義の人として描かれてはいません。迷い、苦しみ、諦めかけながら、それでも社員に家族に、また彼に共感してくれる中小企業経営者に助けられ支えられながら、最後まで諦めずに赤松運送の無実であることを立証していくのでした。

 そうした人間同士の繋がり、支え合いが私たちの心に響いてくるのだと思います。

 

 『七つの会議』でも感じたことですが、池井戸潤の小説は、あらゆる組織の中で働く人に、真っ当に生きる勇気と大切にすべきものは何かを示してくれていると思います。