今回の読書会も5月に行われることになっていた。

ところがコロナ感染症の拡がりの中で

延期となってしまった。

若干コロナが下火になっていた7月の中旬に行われた。

場所はいつもの大きな書店の一角で。

 

 

今回の課題本は、

村田紗耶香著『地球星人』

 

地球星人(新潮文庫)

   地球星人(新潮文庫)

 

私はいつまで生き延びればいいのだろう。いつか、生き延びなくても生きていられるようになるのだろうか。地球では、若い女は恋愛をしてセックスをするべきで、恋ができない人間は、恋に近い行為をやらされるシステムになっている。地球星人が、繁殖するためにこの仕組みを作りあげたのだろう―。常識を破壊する衝撃のラスト。村田沙耶香ワールド炸裂!             (「BOOK」データベースより)

 

今回の読書会の参加者は

男性2名、女性1名、

そして書店の方が4名の

計7名の参加ということとなった。

その中には、他の書店で行われている

押し本読書会に参加している

浪人生のS君も参加していた。

もともとこの本は、そちらの読書会で

S君が紹介してくれたものでもある。

 

今回はZoomでの参加はなし。

どうも、以前Zoom参加者の方たちから、

「臨場感にイマイチ欠ける」という

意見が届けられたらしい。

やはり、直接その場に集まり

ああだ、こうだ言い合うのがいい。

(まあ、条件によるけれどね)

 

*          *          *

 

この読書会では、今の若い人たちが

どのような本をよく読んでいるのかが分かる。

その読書会の課題本として、これまでも

森 絵都 『カラフル』

三浦しをん『舟を編む』

そして今回の

村田紗耶香『地球星人』

という具合に、比較的若手の作家の本を

読んでいくのが大変興味深く思う。

いろいろなところで、それらの作家の名前は聞く。

もちろん、皆初めて読む作家ばかり。

 

そして、手に取って読んんでみると、

いつも感じるのだけれど、

「軽い」という感じがするのだ。

今回の『地球星人』も、内容は破壊的のようだけれど、

どこか「軽く」思えてしまう。何故だろう?

その辺りのことを、若い方たちは

どのように感じているのか、大変興味をもつ。ニヤリ

 

 

主人公は自分はポハピピンポボピア星人だと思い、

地球星人ではなく、地球星人の生態を相対化して見ている。

 

「私は、人間を作る工場の中で暮らしている。

 私が住む街には、ぎっしりと人間の巣が並んでいる。

 ・・・・略・・・

 ずらりと整列した四角い巣の中に、つがいになった人間のオスとメスと、その子供 

 がいる。つがいは巣の中で子供を育てている。私はこの巣の中の一つに住んでい 

 る。

 ここは肉体で繋がった人間工場だ。私たち子供はいつかこの工場をでて、出荷され

 ていく。

 出荷された人間は、オスもメスも、まずはエサを自分の巣に持って帰れるように訓

 練される。世界の道具になって、他の人間から貨幣をもらい、エサを買う。

 やがで、その若い人間たちもつがいになり、巣に籠って子作りをする。」

 

これはたぶん、単純化された人間の生態の実相である。

そして、主人公の奈月はそれに違和感を感じる

自分をポハピピンポボピア星人と思う。

そして、いとこの由宇と、

また、大人になって「すり抜け・ドットコム」で知り合い

性行為しない結婚をした夫の智臣にも

自分と同類の感じをもつ。

 

そして、地球星人の日常に違和感をもつ彼らは、

自分たちの「洗脳されない」自閉生活を作り出し、

次第に軋みを生み出していく。

 

ラストは衝撃的な終わり方をしているのだが、

ここのところの捉え方が読む人によって異なる。

凄くグロテスクであり、耐えがたいという人もいる。

(村田紗耶香の他の作品もそう感じたとも言われた)

あるいは、人間の日常を破壊しているという人もいる。

が、それほどに破壊的なんだろうか ?

 

外見上、そして彼らが行った行為は常軌を逸している。

しかし、自閉的であり、地球星人(読者も)からは

奇異の目で見られるだろう。

だが、彼らの生態や行為は私たちの日常に亀裂を

入れてくるだろうか?

どうもそこが「軽く」思えてしまう。

読んだ後に、読者に毒を盛るような物語になっていないような。

 

例えば、かつての安部公房や倉橋由美子の作品には

そうした強烈な「毒」があった。

本を閉じた後にも、なお私たち読者の日常を

強烈に脅かしてくる何か。亀裂を入れてしまう何か。

しかし、この作品には、そうした「毒」はない。

本を閉じてしまうと、終わってしまう。

作者、村田紗耶香の言わんとしたことは

はたして地球星人の日常生活批判にあったのだろうか?

と、問題は新しい方向に向かっていく。

 

 

ここで、一人面白い考えを示された。

それは奈月が、小さい頃から夢見がちで

かつ様々な形でハラスメントを加えられたこと。

塾の教師からの性的なハラスメント、

家庭内では母や姉から暴力的な扱いをされる。

私も、このハラスメントを受けた主人公達という考えは

非常に腑に落ちるものだった。

 

奈月は小学生の頃に由宇と結婚式を挙げ

その中で3つの誓いをする。

その3番目のものは次のようなこと。

 

③ なにがあってもいきのびること

 

さらに次のようにも考える。

 

「生きるために魔法を使わなくては。からっぽになって従わなくては」

 

この物語は、小さい頃から、

社会によって、家庭によって、

このようなことが正しい、

このような子でなければならない、

そして、正しい社会人として生きよ

と様々に仕掛けられたハラスメントの中で

自己形成してきた人間の、

最後の最後に人間として

(地球星人ではなく、ポハピピンポボピア星人として)

「生きのびる」ための精一杯の

(魔法を使ってでも)

抵抗を描いているのではないのか、ということ。

 

最後の場面は大変ショッキングな場面だ。

それはある面グロテスクでもある。

善悪を無化しているようでもある。

が、どこか救いがもたらされもする。

 

「この日、私の身体は全部、私のものになった。」

 

そうだ、ついにハラスメントの呪縛から

解き放たれるときがきたのだ。

そして、内なるポハピピンポボピア星人は

次のように宣言するのだ。

 

「大丈夫ですよ。今はそうでなくても、あなたにも、きっとこの形のあなたが眠って

 いる。きっと、すぐに伝染しますよ」

 

「僕たちは明日、もっと増える。明後日は、それよりもまたもっと増える」

 

「外に行こうか。僕たちの未来が待ってる」

 

自分の内にあるハラスメントによる呪縛を

そして、家庭での、この社会での

生きにくさを村田紗耶香さんは

きっと痛切に感じていたのだろう。

村田さん自身が、どうしたらこの社会で

生きのびていけるのか、

地球星人にならずにいられるのか、

ずっと感じてきたに違いない。

村田さんは、この物語を書くことによって

内なるポハピピンポボピア星人を

解放しようとしたのだ。

 

村田さんは、書くことによって

ポハピピンポボピア星人を解放する。

そして、私たち読者はこの物語を読むことによって、

村田さんに共感し、もしかしたら

自分の中のポハピピンポボピア星人を

解放することに気が付くかもしれない。

 

と、ここまで、考えて、あるいは皆さんの意見を聞いて

なんとなく若い人たちにこの物語が支持されることが

理解できたような気がした。照れ

 

*          *          *

 

前回も書いたが、

様々な読書会に出ると大変刺激をもらえる。

今回の読書会では、若い方が多かった。

(というか、大抵の読書会では私が年長者になるのだけれど)

「今」を生きている方たちの

感覚を感じ、考えを知ることは

とても面白い。

 

最初の方で、「軽い」と書いた。

私が若い頃は、小説も「重厚長大」だった。

思想は重かった。

若い方たちは、「軽い」物語の中で、

それでも、時代と正面から切り結んで

いるのだと感じられた読書会だった。チョキ

村田さんの他の作品、例えば『コンビニ人間』等も

読んでみたいと思う。

 

やはり、これからも参加し続けよう。

老人の戯言を言い続けようと、

意を新たにさせらた。 照れ