回文俳句第三弾。今回は新作を2句、ご披露しよう。

 

凱旋だ 白髪、木枯らし 男性が

 

 季語は「木枯らし」で冬の情景。

 「凱旋」という劈頭の勇ましい言葉に引きかえ、「白髪、木枯らし」はいかにも寒々とした表現であり、最後に来る「男性」が長年にわたり苦しい戦いを強いられてきた歴史を物語っている。戦いの勝者といえども常に華々しく帰還するわけではなく、多くを犠牲にし、時には勝利と引きかえに人生を棒に振っているのだ、という教訓が、ここには含まれている。

 

僕が行こう 紅葉陽光 恋ヶ窪

 

 これは「字余り」である。回文+俳句(季語)という制約を守りつつ、とうとう575の定型をも超越した、記念すべき一句である。「僕が行こ」と「恋ヶ窪」が対になっており、「う」を取り込む形で「う+紅葉陽光」がもう一つの対になっている。「僕が行こう」も「紅葉陽光」も字余りであるが、全体としてはきっちりと回文が成立しているのだ。

 季語は「紅葉(こうよう)」で、秋の恋ヶ窪が描かれている。「紅葉陽光」と畳みかける中盤が、先ほどの句とは打って変わって晴れやかで色彩豊かな秋の情景を想起させる。実際にはそれほど大きな街ではないが、「恋ヶ窪」という地名は工夫次第ではもっとバズりそうだし、「恋人たちの聖地」として名所になりそうなポテンシャルを秘めているよなあ、と個人的には思う。

 

 ちなみに、冒頭の写真は「椿と猫」。枝が猫の目線をふさいでいるのは偶然であり、決してこの猫が犯罪に関与しているという意味ではない。