ぬくぬくさんが書かれたブログ(文末にリブログ)を読んで感じたことを書きます。

(以下引用)

そんな状況の私ですが、これを機に確信した事があります。「ステージに元気に立っている事を当たり前に思うな」。これは「推せる時に推せ」と類似していますが、何の懸念もなく推しを応援出来る事って実は恵まれた事なのです。

(引用終わり)

推しの卒業を控えた時期に更新したブログでも書いた気がするんですが、「推しは推せる時に推せ」はよく聞く言葉だけど、この言葉って、推しの活動に"終わり"や"立ち止まり"が垣間見えてしまった時に、初めて意識するものじゃないかと思ってます。私の場合、2022年9月25日、イコラブ5周年コンサートで、初めて推し(齊藤なぎさ)の活動の"終わり"が見えてしまいました。ライブ中は、いつものようになーたんパーカーに袖を通し、いつものようにピンクのペンライトを振って、「今日もなーたんの凄いところたくさん見つけられたから、終演後に届いてなーたんで伝えよう」とか考えていた矢先に、卒業を突きつけられました。その後、卒コンまでの期間を経て、「次のライブでも推しに会える」のは当たり前ではないことを痛感しました。

何が言いたいかというと、誰かを推すって凄く素敵なことだと思いますし、その推しがステージに立っていること・ステージに立つ推しを拝めるということは、とても貴重なことで当たり前ではないから、いま推しと呼べる存在がいる人達は、1つ1つのイベントをぜひ大切にしてほしいな〜!ということです。

ぶっちゃけて言うと、いままさに"推し"がいて、ライブで"推し"を拝めることができるオタク、めちゃくちゃ羨ましいです。「いやお前めちゃくちゃライブ行っとるやんけ」と言われそうなんですが、ライブは本当にただ楽しいから通ってるだけで、そこに"推し"という概念・考え方は存在してないです。もちろん「この子いいな〜」と感じることはあるんですが、アイドル・齊藤なぎさを推していた時以上の熱量で推せる自信は全くないですし、中途半端な熱量で推しても、アイドル・齊藤なぎさを推してた時以上の感情ってもう得られないよなーと思っちゃいます。

ライブに行くと、まあ9割くらいのファンは推しメンタオルやらうちわやらビブスやらを持ってますし、推しからレスをもらって喜んでいるファンの姿を見ると、微笑ましく羨ましい気持ちになります。やっぱレスって良いんですよね。1つ1つのレスで、メンバーとファンの物語ができていくというか。オタクって本当にもらったレスは絶対に忘れない生き物ですし。

特定のアイドルを推すことで得られる悦び、そして悲しみさえも、もはや今は懐かしいな〜という感じです。

ちなみに齊藤なぎささんのことは今でも大好きですし間違いなく1推しですよ。ステージで拝むことがほぼ無くなってもやっぱり好きなんで、たぶんなーたんは本当に自分にとってMy Idealなんだと思います。

でも、ライブのステージに推しが立っていて、その推しを直接拝むことができる悦びって、何物にも代え難い魅力があるんですよね。ライブの度に「超絶かわいい!!!なーたん!!!」って叫んで喉を枯らせる世界線があったらなぁって、たまに思っちゃうことがあります。

すげーまとまりのないブログになってしまいましたし、何様って感じなんですが、とにかく"推し"がいる人はみんな、今この瞬間を大切にしてほしいというのがささやかな願いです笑