こんばんは。太田房江です。

選挙戦も折り返し地点を迎えました。本日は日中、高槻市や吹田市の街頭で演説。とかしきなおみ自民党大阪府連会長の応援をいただきました。

 

 

途中、大阪市平野区のだんじりの会場にもうかがい、地元の皆さまからパワーをいただきました❗️

 

 

 

さて、今回は昨日のブログの補足です。万博をゴールとせず、世界をリードする健康・医療の拠点を作ると書きましたが、私は、大阪はそうした先進的な福祉の伝統と土壌があると思うからこそ、この構想を提起しています。

 

以下は拙著『ノックととおるのはざまで』でも書いたことですが、私が東京から大阪に移った時、最初に「大阪ってすごいな~」って思いました。車椅子に乗った人たちが堂々とみんな積極的に外に出て、和気あいあいやっている姿でした。みんなが自然に支え合っているのを見て、「支え合う」という精神がまだこの街には根付いているんだなと感じたんです。

 

車椅子の人も萎縮することなく堂々としてるし、何か問題があれば文句も言う。当時、東京ではそういう人を街であまり見かけなかった印象があります。

 

だから私は、精神面でのユニバーサル化がいち早く進んでいたのが大阪だと思っていて。そういう意味では弱者を大事にする文化が前々から根付いていたんでしょうね。この地で民生委員制度が生まれたのも理解できました。私は知事になって、「大阪は10年早くこの世を生きてる街だな」と感じました。

 

民生委員制度は今からほぼ1世紀前の1918年、大阪府でできた当時の方面委員制度と、同時期に岡山県でできた済世顧問制度をベースにして誕生しました。当時の林市蔵・大阪府知事(写真、Wikipediaより)が街で見かけた夕刊売りの母親と女の子のことが気になり、近くの交番の巡査に調べてもらったところ、父親が病気で倒れて経済的に苦労していることを把握しました。

 

 

これをきっかけに方面委員制度創設に動くことになり、住民の生活状態を調べて、支援を必要としている人たちを助ける基盤ができました。林知事も子どもの頃に貧しさから苦労したことから、いまでいう「アウトリーチ」の手法の重要性を認識されていたのだと察します(参考:大阪府民生委員児童委員協議会連合会HP)。

 

翻って現代の大阪の福祉を取り巻く環境は変化しています。昔からのコミュニティがだんだん消えていき、個性を失って画一化するなど、縦割りの弊害がたくさん見えてくるようになっているのは残念です。そういう意味でも、大阪の街というのは、日本の社会を先取りするようなところがあるなと、知事をやってる間に思ったものです。

 

だから、大阪を見ていれば、10年後の日本の姿がわかるかもしれません。しかし、この福祉における先進性と伝統を大阪人が宿しているからこそ、万博を通じて、少子高齢化の時代にふさわしい福祉都市のモデルを打ち出すことで、10年後の日本をリードできると信じています。

 

政見放送の予定です📺

 

🔶NHKテレビ

⚪︎7月17日(水)

    7:30~7:56の間

      (4人中3人目)

 

🔶NHKラジオ

⚪︎7月17日(水)

      19:30~19:56

     (4人中3人目)

 

🔶テレビ大阪

⚪︎7月13日(土)

       4:35~5:15(2人目)

 

🔶読売テレビ放送

⚪︎7月17日(水)

     4:39~5:12(1人目)

 

🔶朝日放送ラジオ

⚪︎7月16日(火)

       1:00-2:15(12人中5番目)