大相撲の「女人禁制」について、私の意見を綴ったものが、
産経デジタル オピニオンサイトの「iRONNA」で掲載されました。
以下のサイトでお読みいただけます。
https://ironna.jp/article/9419
全文は以下のとおりです。
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京都府舞鶴市で4月4日に行われた大相撲春巡業の際に起きた、土俵の「女人禁制」問題は今も尾を引き、日々ワイドショーで取り上げられている。これは、私が大阪府知事に就任した2000年から8年間、「大阪場所での府知事賞は自分の手で優勝力士に渡したい」と発言したことが発端になっている。また現在、私が自民党女性局長を務めている立場から、この問題について改めて再考したい。
今回の問題は、舞鶴市の多々見良三市長が土俵上で倒れ、観客と思われる女性数人が心臓マッサージなどを施し、必死の救命措置が行われている最中に起きた。その際、繰り返し流れた「女性の方は土俵から降りて下さい」という場内放送が不適切であったことは、直後に日本相撲協会の八角理事長(元横綱・北勝海)が謝罪した通りであり、この相撲協会の対応は的確だったと評価している。「人命」と「伝統」とでは、「人命」が重いことに疑う余地はない。
私は、この件に関するマスコミの取材には「勇気を持って土俵に上がり、『降りて下さい』のアナウンスが何度も流れる中で、必死に人命救助に当たられた女性を、同じ女性として誇りに思い、拍手を送る」と答えた。これは正直な感想である。
ただ、表彰などで女性が土俵に上がって良いかどうかは、こうした緊急時の対応とは別に熟考すべき問題である。大阪府知事として8年間、8回にわたって、相撲協会に「今回はいかがでしょうか」と問いかけを行ったのも、「日本の伝統」と「女性活躍」という社会の変化について、多くの方に考えていただく契機にしてもらいたいと思ったからであり、どうしても土俵に上がりたかったという訳ではない。
横綱審議委員も務め、東北大学大学院で大相撲の研究をした脚本家の内館牧子氏によれば、「土俵は聖域」であり、そこが「女人禁制」であることを理解する知性と品性が必要、と述べている。もともとは、中国において仏教徒の修行の場を囲み、修行僧の心を乱す障害物が入らないように「区切った」ことが始まり、とも説明していた。女人禁制の寺院が、日本で今も残っているのは、その流れだろうか。
内館牧子氏は、ある取材(2007年2月)にこう答えている。「どうしても女人禁制を止めるなら、力士、親方、行司、呼び出し以外の人間は、男女とも神送りの儀式を済ませた後の土俵に上げることです。千秋楽の式次第を変え、神送りの後に表彰式セレモニーとする案です。でも、私はそこまでする必要はないと思っています」
私が大阪府知事時代、部下の女性が、解決の道がないか調べてくれたことがあるが、同じような答えだったと記憶している。千秋楽の弓取り式が、内館氏の言う「神送り」に当たると彼女は言っていた。従って、弓取り式の後は女性が土俵に上がっても問題はない。神は天上にお上がりになって、土俵には宿っておられないから、というものだったと思う。
あの時は、それを相撲協会に提案する勇気はなかったが、あれから10年経って、女性総理も現実味がある時代を迎え、改めて「伝統」と「女性」を両立させる方策はこれしかないのか、と思い始めた。「緊急時」と「知事や市長など国民が選んだ女性が、力士の表彰を行う場合」には、神送りの後に一定の間「女人禁制」を解く、というものである。
舞鶴市での様々な状況を見ると、「女人禁制」は相撲界に永く、深く浸み入った伝統であり、そう簡単に変えられる問題ではないということはよく分かっている。
ただ、今、多くの課題に取り組もうとしている相撲協会は、常に国民の目線を忘れず、一つ一つの問題に説明責任を果たしていく必要がある。もちろん、それが「こういう理由で出来ません」というものであっても良い。国民に向かって説明する、明らかにすることが大事だ。
相撲は、①神事であり、②スポーツであり、③伝統文化であり、④興業であり、⑤国技であり、⑥公益財団法人である。この6つを認識しバランスを取りながら、一つ一つ丁寧に説明していく。その姿勢が大相撲に対する国民からの信頼を取り戻すことにつながるのではないだろうか。一相撲ファンとしても、そう願いつつ、「勇気を出して」提案する次第である。