俺の愛しいロードスターちゃんが板金から退院してきた!




うれしい!!
新車買った気分




嬉しかったので関東屈指のパワースポット、高崎の榛名神社までひとりドライブに行ってきました!




ご利益あるかなー
助手席は埋まるかなー
ぼっちドライブはそろそろ卒業したい

ま、ロードスターに乗ってる時点で生涯独身確定かな笑

でもやっぱ助手席は募集中です

冷めていた車愛が爆発しすぎて、ガラコとかメンテ系、シートカバー、ヘッドライトポリッシュ、ポジションランプLEDなど色々やりすぎました
これからはちゃんとハイオク入れてあげるからね!

DYIでタッチペン、サンドペーパーした部分はムラが出て失敗しました

うつ病直したくてヒキウツ笑顔始めたよ
セントジョーンズワートも始めました




まだ間もないので効果は出きれてないと思うけど、なんかやりたいことが思い浮かんで来る感覚はあります
休日が待ち遠しい感じ

うつのからだのダルさ、仕事ヤダ病の軽減期待

念のためパニック障害対策にワイパックス0.5mmから2mmも増量
仕事中に1mm使えるのは安心感あるね
ピークは3時間くらいだけど作用時間は12時間あるし

うつ病5年くらいやってるし、odで二回自殺未遂もしたけど、今はとりあえず彼女ほしい笑

切実に榛名神社のご利益を即効性で頼みたい

お守り買ったしなんとかしてくれ神様よ笑

あーあー明日仕事嫌すぎるな
うつ病で仕事転々としすぎて、今の仕事も続くのか不透明で正直不安しかない

実際仕事に全然慣れなくてついていけてないし

うつ病の辛さって結局自分ひとりで抱えるしかないよね
職場の人間に『俺、うつ病です』とか絶対言えないし

社会はつらいなー

とにかく今は車に夢中になれてる
それでいいじゃん

文章でしか愚痴れないけど、このブログを
読んでくれた数名の方へ
コメント待ってます

ではまた!



暇がもたらす無駄なパワーが生み出したこのブログ。だんだんと書くのにも飽きてきた。飽きてくるとアメブロというモノをいじってみる。タイトルを無駄に変えたり、プロフィールを埋めたりする作業に没頭してしまった。我ながら何をやっているんだろう…とふと頭によぎる。

そのうち他人のブログを読み始める。なるほど色んな人がいる。今住んでいる地域などで検索してみたり、昔ファンだった後藤真希のブログを延々と読んでいたり…。ブログというのは私が中学生くらいから流行りだしたと思うが、他人のブログを黙々と読むという行動は久しぶりである。

自分のブログも読み返してみる。まず、長い。これはブログではない気がする。やはりブログというのはオシャレな喫茶店を発見した喜びなどを記したりし、夜景の写真を貼ったりとかそういうものが正しいのだろう。そしてテーマ的にしょうがないのだが、決してポジティブにはならない読後感である。さらに自身の下半身事情まで登場している。ブログを書いたからには男子より女子に読まれたいと思うのが本音というもんだが、その女子に読まれたら嫌われること間違いなしといった感じがする。まぁ色々書いてみたが誰も読まないと思うのでいいだろう。

このブログも書き始めて、書こうかなと思っただいたい1/3くらい書いたが、続きがあるのかは筆者にも不明である。

 

今日一日の暇を持て余したパワーの矛先は延々と何時間も文章を書くという行動を招いたが、その結果得られたものは“ゴマキはかわいい”という感想であった。

~ うつ病絶好調 ~

パニック障害の診断を無事にもらった私は、職場に出勤した。同僚や上司にも報告した。するとやはり『あの人、うつ病…』というムードが職場内を包み込んだ。世間様から見ればちょっと高級な外車屋さんにうつ病とは困ったもんだ…。という感じである。まぁ自分で勝手に思い込んでいただけかもしれないが…。それまで私のストレス源の70%を占めるそりが合わない上司も、やや神妙な顔ですこし優しげである。それから1~2週間は普通に仕事をした。パニック障害らしき症状も

特にはない。…などと思っていたいつも通りに仕事をしているその時だった。

“来た…。”あの身体異常である。あの日ほど酷くはないものの、やはり手足は痺れ自力で立っているのも難しい状況だ。顔面蒼白の落ち武者に戻ってしまった私は早退した。やがてそんな日が2回、3回と増えてきた。「今日は休みます。」と、電話をする回数も徐々に増え、やがて私からの欠勤定時連絡は職場の電話を鳴らさなくなった。無断欠勤である。無断欠勤の回数も徐々に増えていった。朝、出勤の時間に携帯が鳴っている…。私はもちろん気付いている。留守電のメッセージに「社会人なんだから連絡ぐらいしろ」と入っている。また翌朝携帯が鳴る。また翌朝…。

私はもはや携帯にも触れなくなっていた。サイレントモードにして何日も携帯を放置した。今でこそ「社会人なんだから無断欠勤してはならない」ということはわかる。当たり前のことである。小学生ですら学校を休む時は連絡をする。…そんな当たり前のことができないのである。「いくら体調が悪くたって、なぜ職場に電話の一本も出来ないのか?」そう言われても“できない”のである。こればっかりは“できないからできなかった”と言うしかない。

体の症状はというとだいたいの人が「うつ病ってこんな感じ」と思う症状が、ことごとく我が身を襲っていた。不眠…3日くらい余裕で眠れない。頭痛…常に重く鈍く。食欲不振…もはや食事不要。だるさ…よく鉛のようなといったアレ。こんな感じである。無断欠勤の落ち武者は部屋の掃除すらままならず、ワンルームのアパートに積もったごみに埋もれて、まるでナメクジのように暮らしていた。こんな時、一人暮らしじゃなかったらどうなんだろう…。パニック障害から順調にうつ病絶頂期に突入した私は職場からの勧めもあり休職することにした。

 

~ 楽しい?休職生活 ~

パニック障害からあっという間に休職という状況になった。うつ病にはまず第一に療養が重要だという。なるほど、これは本当だ。ジェイゾロフトとか抗うつ薬なども処方通りちゃんと飲むべきだ。1ヶ月ほど経つと体調はかなり改善してきている。ナメクジになってもタバコを買いに行くことと病院に通うことは怠らなかった賜物である。暇なのでゴミだらけだった我が家も清潔に片付いている。ただまだ本調子ではない。なんというか、体はダルいし、すべてが億劫だ。仕事など社会人としての自分を実行しようと考えると面倒臭くて仕方ない。そんなこんなで2ヶ月くらい経った。その間の割と印象深かったことは大好きなシリーズであるメタルギアソリッドの新作が発売され、私はとうとうPS4を買った。これは非常に面白く、私は不眠気味なのも利用し馬車馬の如くゲームをしまくった。ナメクジは少しずつ回復し遊んで過ごしたのである。ちなみに生活費などは傷病手当金という制度でなんとかなった。くだらないと思って払い続けていた税金だが、いざ公的サービスを利用すると考えさせられる。

そんな日々の中私の病状回復に決定的に効果のあった出来事が発生する。

 

~ 着信 ~

ありえない人物からの着信が滅多に見ない携帯に表示されている。“元カノ”である。この元カノを真希(仮名)とする。5年くらいずっと付き合っていたが、昨年末くらいにフラれてしまった真希である。最初は久しぶり…などと話していたが、私は現在の自分の病状を彼女に打ち明けた。すると真希は『絶対にダメになっている時期だと思って電話した。』という。そのまま電話を終えると私たちは再開し喧嘩別れしたことなどなかったかのように元通りになった。

 

先に言っておくと、これを書いている今現在は私はシングルである。つまり、またしてもフラれてしまったのだ。我ながら大馬鹿な男であると思うが、ぜんぜん引きづってはいない。なんでかって、いいことも悪いことも私たちの間にはたくさんあった。それだけの事である。

 

さて話を戻す。

やはり、人は“ひとりじゃない”と全然違う。ナメクジ絶頂の頃はそんなこと1ミリも思えなかった。ただ、どんな状態になっても人は“ひとりではない”今ならこれだけは言える。(まぁ結局今もシングルなんだが…笑)真希とヨリを戻した私はふたりで出かけるために色んな場所に出かけたし、体調の悪さなども遠慮なく相談できた。“外に出る”“人と会話する”この2点は、私の病状回復に劇的に良い効果をもたらしたのである。

だが予想外の展開にも陥った。抗うつ薬の副作用である。

 

~ 意外な副作用(18禁w) ~

まだウブな中学生でもなく、クリスチャンのような戒律もない男女に自然発生するものとは何か?そう、夜の営みである。ここに意外な抗うつ薬の副作用があった。私はうつ病初期のころから、精神科で処方される薬にあまり副作用を感じないほうだった。飲んでみても「だから何?」といった感じである。飲み忘れたり、仕事が忙しく病院に行きそびれたりすると目眩が激しく起こる。離脱症状というやつである。薬を飲んでいるのに、飲み忘れたら“作用”が発生するのが私の“副作用”といえよう。こんな感じで日々忙しくゲームばかりしていた私が自然発生した夜の営みと対峙した時、抗うつ薬の副作用を思い知ることになる。

膣内射精障害…つまりイケないのである。この頃の私はそこらのカウンセラーよりうつ病に詳しくなってしまった為、抗うつ薬によりそのようなことが起こりうることは知っていた。なるほど20代男子というクジャクで言えば羽全開の時期にしては、性欲なないかもしれない。しかし、実際に行為と直面してみると、なんと気まずいものか。どのような試みをしてもフィニッシュは訪れず、無駄に変形した“愚息”が馬鹿馬鹿しい。彼女はある意味気を使ってはくれている様子である。しかし、それでも愛する真希との行事であり解決しなくてはならない。そう考えた私は“夜の営みのハウツー本(カップルとか夫婦向けの真面目な部門でのHな本)”を買い、研究し実践してみた。結果、“フィニッシュ”にこだわらなくとも良いモノだという結論に達したことだけ記しておこう。ちなみに今現在は、抗うつ薬の種類が変わったためか、決して活用する場面のない性欲が人並みにある。

 

 

 

11/21私はヒマである。行く場のない“ヒマ”は“飽き”へと変化し“書く”になった。

私がヒマなのは2015年6月頃にうつ病になったせいである。いや、“おかげ”である。

 


 

~ きっかけ ~

私は当時、外車のディーラーでセールスマンをしていた。いつも通りに外回りと呼称される先輩セールスとのお茶会を終え、店に帰ったその時にきっかけは訪れた。

当たり前だが、私は好きでうつ病になったのではない。むしろそういったものとは無縁だと思っていたし、体は丈夫で体力もあるほうだった。別に自分がメンタル面が弱いとは思っていなかった。そんないつも通りの日常にきっかけは突如現れ、うつ病は私の人生においてけっこう大きいテーマとなったのである。

さて、きっかけはこうだ。

外回りから店に戻る運転中に、突如強烈な目まいに襲われた。なにやら胸のあたりが痛く、頭痛も激しい。どうにか店に帰り着き、自分のデスクに座るとより事態は深刻化してきた。

目まいにより視界は曖昧になり、頭痛は脈動と共に激しさを増した。手足は血管にコーラでも混ざったかのようにピリピリ痺れる。椅子にまっすぐ座っていることも出来なくなり、自力では歩けない。28年の人生の中で初めて発生した身体症状である。月並みではあるが、「このまま死ぬのか。」とさえ思った。

本人でさえ初体験の身体異常は、他人から見ても明らかだったのだろう。顔面蒼白の落ち武者のような私を、お茶会仲間の先輩は上司の指示のもと発表されたばかりの高級セダンの試乗車に乗せて救急病院まで連れて行った。

“意識が朦朧としている”とはこういうことを言うのであろう。病院に付き救急待合室に座っていた間はよく覚えていないが、あれよあれよという間に救急医によって様々な検査を受けた。

血液、脳波、MRI、レントゲン、視界の検査…詳しくは覚えていないが、こんな感じだったと思う。私が担ぎ込まれた病院は地域でも有数の大病院であったため、現代医学のテクノロジーを存分に施した検査がこれでもかという程実施されたのである。

 

そんな現代医学をすべて注ぎ込んだ検査の結果は

  異状なし。 であった。

¥13,000の検査費のレシートが軽くなった財布に馬鹿らしさを添えた。

 

病院でどうこうやっているうちに、私の身体異常は幾分か和らいでいた。その日は早退し、翌日も休み言い渡された。そして翌日私はこれから幾度となく足を運ぶことになる自宅近くの精神病院(心療内科)を初受診したのである。精神病院なんて初めてだ。自分とは無縁だと思っていたカテゴリーである。

うつ病の人はなかなか【病院に行ってみる】ということが出来ない方が多いようである。その気持ちは私にもあった。自分が“うつ病ですよ”という現象が、病院によって“事実”に変わってしまう。誰だって自分がうつ病だとは思いたくない。私もそうだった。自分自身が“うつ病の人たち”の一員になってしまうという現実は多かれ少なかれショックなものである。“うつ病の人たち”に自分はなりたくないという自我が【病院に行ってみる】ということ避けているのだと察する。

私が精神病院に行こうと思った要因こそ、この身体異常であったが、すんなり初受診できたのは他にも理由があった。胃痛や下痢が慢性化していたこと、やたら肩がこるようになったいたこと、頭痛がたびたび起こる…などなどここ数年私は“精神疾患っぽいね”という症状をずっと感じていたのである。そして、当時私は職場の上司とどうしてもそりが合わず毎日が非常に苦痛でストレス盛りだくさんな状態でもあった。そんなこんなで人生初体験のこの身体の異常である。これは精神科なのだろうか?いや、精神科に行くべきだ。私はそう思いうつ病患者の第一関門である初受診に至ったのだ。

始めて病院に訪れた私の感想は「普通だなぁ。」であった。これまでの私の勝手なイメージでこのテの病院は“奇声を常に発している者がいる”とか“やたらとブツクサ延々とつぶやいている者がいる”とか、そんなイメージだった。しかしいざ行ってみるとまるで普通の病院と変わらないのだ。診察を待っている患者たちも“今日は風邪で熱がでちゃってねぇ”というような感じだ。まぁ“この人病んでるんだろうな…”とはた目に見て明らかな患者もいるにはいたが、精神科に来ていますよ、という感じがしなかった。普通だ。

そんな感想を抱きつつ自分の診察の番が来て、診察室に入るとやはり「普通だ」と思わせる医者がいた。40台前半くらいでやせ型で眼鏡をかけているこの男性はいかにも医者っぽかった。この時はこの先生とこれから長い付き合いになるとはまだ思っていない。私は昨日の経緯を説明し、問診をうけ“パニック障害”という診断が下された。その時はまだあまり現実感がなかったが、あの「身体異常はパニック障害という病気なのか。」という診断の確認と頓服で処方された抗不安薬を握りしめ家路についた。

私はこれからが“うつ病絶好調!!”という時期に突入していくことも知らずに…。

2016年11月下旬。何故か私は普段使いもしないパソコンを開きこんな駄文を書いている。

2017年01月上旬まで私はヒマなのだ。非常に恵まれたNEETなのだ。

ヒマな日々を過ごしてるとテレビに飽き、ゲームに飽き、本を読むことにも飽き…

この『飽き』のパワーがこんな作文という労働を私にさせている。

自分で改めて眺めても「読みたくないなぁ。」というタイトルを付け、このブログは『飽き』のパワーが尽きるまで進んでいく…。

 

ちなみに私は群馬県の南当たりの田舎町にすむ、冴えない29歳男子である。

 

 

 

①うつ病になった。

②一生独身の我が身

③うさぎ

④ロードスター

➄これから先?

 

今のところこんな感じで進めようと思う。誰も読まないであろうこのブログはどこまで続くのか、書いている本人が一番わかりません。