お空に旅立った愛するぶーにゃん。 | タロットカード占い【京都城陽 宇治 京田辺 八幡 枚方】

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物事をスピリチュアル的に捉えるのではなく タロットカードで現実的・実際的に鑑定させて頂きます。

2015年12月5日、愛猫にっちゃんがお空に旅立ちました。
そして2016年2月22日に京都動物愛護センターから

推定年齢7~9歳のオス猫ぶーにゃんを
家族に迎えました。


ぶーにゃんは、生まれつき上顎が骨化肥大しており、

個性的なお顔立ちでした。



 
ぶーにゃんは、スリスリゴロゴロしてくれる、とっても人懐っこい、

おとなしいお利口な仔でした。
我が家にきてからも、悪戯など一切せず、

先代猫にっちゃんのベッドや毛布も
喜んで使ってくれる、とっても良い仔でした。






ただ、抱っこやお膝にのるのは少し苦手な仔でした。
でも、お返事もしてくれるし、お話もよくしてくれる、

本当に可愛い可愛い仔でした。


日に日にぶーにゃんは 私にとって

かけがえのない存在になっていきました。
ぶーにゃんが20歳になるくらいまで、

長生きしてくれたらいいな、できるだけ、いっぱい長く一緒に
居られたらいいな、そう思っていました。



でも、それは叶わぬ夢となりました。


2016年10月9日。
ぶーにゃんに、悪性上皮性腫瘍という

病気の診断がくだされました。
腫瘍が動脈を圧迫しており、また、

腫瘍が転移再発の可能性の高い性質であること、
手術してもリスクも予後も非常に悪いという診断でした。
お口からは一切食事ができない状態でしたので、

首からカテーテルを胃に通す食道カテーテルを
装着する処置をしてもらいました。

(この食道カテーテルは通常、痛みなど全くないとの事でした)




4日間の入院の後、私は、ぶーにゃんが大好きなおうちで、

ぶーにゃんを看取る選択をしました。


それからは 極力 ぶーにゃんをひとりにしたくなくて、
仕事も可能な限りセーブし、ぶーにゃんのそばにいました。


そう、私はその時から絶対、

ぶーにゃんをひとりっきりでお空に逝かせない、

と決めていました。


それからは、3時間おきのカテーテルからの給餌、

朝晩の服薬、週一回の通院といった毎日が始まりました。
時折、体調が悪くなり、病院に駆け込む事も何度もありました。
それでも ぶーにゃんは、怖くて痛いであろう治療を、
威嚇することも、噛む事もせず、
頑張って頑張って耐えてくれました。


そんな健気なぶーにゃんの姿に、

何度も何度も私は涙しました。
「ぶーにゃん、ごめんね、痛い思いさせて、辛い思いさせて」と。。。


獣医さんの帰りの車の中で 

お利口にキャリーに入ってくれている

助手席のぶーにゃんを見ながら
泣きながら運転しました。


いっときは、ぶーにゃんは二階まで階段を上ったり、

玄関までお迎えに来てくれたり、穏やかに
過ごしてくれていました。








でも無情にも時は、その穏やかな時間を奪っていきました。


11月23日、前日よりぶーにゃんは

昏睡状態となり、23日午前中の診断で 

最期の時が近い事を獣医さんに告げられました。


その日、私は午後1時には自宅を出て、

どうしても自店美容室で仕事をしなければなりませんでした。
ぶーにゃんは時折 意識が戻るものの、

大半は眠っている、という状況でしたので、
私はお店に一緒に連れていくつもりでした。


絶対、ひとりで お空に逝かせたくない、、、
最期のその時、私はぶーにゃんのそばにいる、、、


でも ぶーにゃんは私を気遣ってくれたのでしょう、
お店に連れて行かなくていいように、
午後からきちんとお店のお客様を接客できるように、、、


自宅を出る1時間前の、

午後12時3分、住み慣れた我が家の居間で、
ぶーにゃんは、大きな愛らしい瞳で 

私を見つめながら、お空に旅立っていきました。
我が家に来て僅か 9ヶ月でした。


もっと早く ぶーにゃんと出会いたかった、
せっかく お膝にものってくれるようになったのに、、、
もっともっと一緒に居たかった、、、


悲しくて寂しくてなりません、、、
こんな辛い事があるのかと思いました。


でもね、ぶーにゃん、たった9ヶ月だったけど、
ぶーにゃんは 私の大切な、大切な家族、愛しい愛しい仔。
これからもずっとずっと。。。

我が家に来てくれて 本当にありがとうね、


そしていつの日か必ず また会おうね、
そして その時は ずっとずっと一緒にいようね。。。