前回の記事と同じ森へ1週間ほど前にも再び行ってきましたので、
今回も続けて記事をアップさせていただきたいと思いますが、
退屈だと思われた方がいらっしゃいましたら、本当に申し訳ありません。
なお、前回は桜の季節の午前中に行ったので記事タイトルを「(桜の季節)」と、
今回は閉園間際の時間帯に行ってきたので「(夕暮れ前)」とさせていただきます。
今から1週間ほど前に、僕が再び……
前回と同じ森の散策路へ入っていくと……
相変わらず、生した苔やシダの葉などが綺麗だったり……
ニリンソウの花も1週間前と同じく咲いていたり……
ウグイスカグラの花も、かろうじて咲き残っていたりしたのですが……
実は、この森の散策路のすぐ外には、このような広い道路があり、
このすぐ右手が森の散策路、左手のほうへ行くと廃線跡があるので……
足もとに咲くホトケノザやカラスノエンドウ、タンポポといった春の花々を……
眺めたりしつつ、今度は廃線跡のほうへ歩いていくと、前日の雨の影響で……
できていた水たまりのそばで、キツネノボタンの花が健気に咲いていたりもし……
その先の山に囲まれた広場で、風に吹かれて~、歩き続けて~♪……
廃線跡に戻ってきて、かすかな明日の光に~♪触れようとしてみたりしました(笑)
( 遠い空 尾崎豊 )
ちなみに、今回も超広角の単焦点レンズ(16mm F2.8)で撮影してきまして、
今回も35mmフルサイズ機ではありますものの、レンズと合わせて650g程度という
非常に小さく軽い組み合わせで撮影してきました(前回はSony、今回はCanon)。
ただ、この日は、前回の時とは違い……
夕陽が少しずつ落ちてきていて、閉園時刻も近づいてきていましたので……
大きな木々と空を見上げて眺めながら、大きな広場内を少し足早に……
風に吹かれて~、歩き続けて~♪、小川に覆いかぶさるような木や……
その先にある池と、心を重ねた~、遠い空~♪を眺めたり……
池のそばにに立つ大きな木を眺めたりしながら、すぐ横のほうにある……
こちらも廃線跡の先と同じように、山に囲まれた広場のほうへ入っては……
その広場の奥に立つ、かなり大きな木を見上げたりもしたんですけど……
大きな広場のほうへと戻ってきて、立ち並ぶ大きな木々や……
足もとの芝生の上に散っていた桜の花びらを眺めて、季節の移ろいを感じつつ……
風に吹かれて~、歩き続けて~♪、来た道を戻りながら……
遠い空~♪を、「明日は予報どおり晴れるよね」と信じて見つめたりもしました
……が、この翌日は予報が大きくハズれて雨が降りましたね~(ρ_;)ぐすん
ところで、この自然公園内には上でいくつか紹介させていただいたように、周囲を
山で囲まれた広場が7つくらい?あるんですけど、それはこの場所に旧日本海軍や
米軍の弾薬庫があったことの名残りで、弾薬庫って1か所に大きなものを造った
としても、その弾薬庫で火災等があったら全ての弾薬がパーになってしまうので、
あえていくつもに分けて造り、たとえ1つの弾薬庫で火災等があったとしても、
他の弾薬庫への延焼を防ぐことができるという合理的な理由があるみたいですし、
池や小川といった水場がすぐ近くにあるというのも合理的な立地ですよね。
ただ、この自然公園の一番の魅力は、なんといっても、そういった歴史的経緯が
あったことで約70年もの間手つかずだった自然が残されたということですし、
そうした自然を守るために尽力され、その後もきちんと管理してきてくださった
多くの方々がいらっしゃったということではないかと思います。
あと、付け加えるのであれば、かつて軍関係の施設があった場所って、上空に
送電線がない場所も多いため、空の見晴らしが抜群に良いんですよね。
なので、今回の記事の中では空の景色も併せて撮ったりしていました。
前回の記事のように、桜の季節には桜の季節ならではの、朝や午前中の光がある時は
その時ならではの風景をできるだけ撮りたいと思いますし、今回の記事のように、
前日に雨が降った日にはその日ならではの、夕暮れ前の時間帯にはその時ならではの
風景をできるだけ撮りたいと思いますし、同じ場所の風景であっても、光の当たり方
によって見え方は変わってきたりしますので、そうした変化もまた楽しいですよね♪
というか、今回の記事の途中で、なんで急に尾崎豊をブッ込んだの?と思われた方が
いらっしゃるかもしれませんが、明日(25日)は尾崎豊の30年目の命日なんです。
そこで、今回の写真に合わせて、何かイイ歌はないかと思い浮かんだのが‟遠い空”
だったというわけなんですけど、結構強引だと思われたら申し訳なかったです。
尾崎豊といいますと、「盗んだバイクで走り出す~♪(15の夜)」だとか、
「夜の校舎、窓ガラス壊してまわった~♪(卒業)」といったイメージ先行で、
なんとなく嫌悪されていたりする方もいらっしゃるかもしれませんが、
それは非常に偏った一面的な見方ではないかと個人的には思いますし、
もちろん評価は人それぞれで良いと思いますが、いずれにしましても、
特定の歌の一部のイメージだけでなく、色々な歌を聴いてから評価して欲しいです。
尾崎豊が生きていたとしたら、僕のちょうど10歳上で、彼が生きていた頃には、
僕自身はリアルタイムで彼の楽曲を熱心に聴いていたわけではないですし、
熱狂的なファンだとか、ましてや信者などでは全然ないんですけど(苦笑)、
ただ、彼が歌を通して伝えたかったメッセージ的なものはすごく分かるような気が
しますし、尾崎豊は真面目で繊細で、不器用な人だったのではないかと思います。
矛盾や不条理、そういった状況が目の前にあった時に、多くの人は悶々とはする
でしょうけど、真面目に悩んだり正面から立ち向かったりするようなことはせず、
そういうものなんだと割り切ったり、受け流したりされる方が多いと思います。
でも、尾崎豊は真正面から受け取って、苦悩し、立ち向かおうとしてしまう……
そうした生き方に共感される方もいれば、反発される方もいると思います。
僕個人としては、矛盾や不条理を、割り切ったり受け流すことを当たり前だと思って
何の疑問も抱かないような人よりも、尾崎豊のような人のほうが断然好きです。
なので、明日(4月25日)は尾崎豊の30年目の命日ですが、
僕はこれからも彼の楽曲を聴き続けていきたいと思います。