前回の続きで、6月の半ばに近隣の半島最南端へ行ってきた時の様子です。

 

 

 

今から2か月ほど前の、6月の半ばには・・・・・・

 

近隣地域の半島最南端の公園内でも・・・・・・

 

 

 

色とりどりのアジサイの花が・・・・・・

 

 

 

綺麗に咲いていたり・・・・・・

 

 

 

アメリカデイゴの花が・・・・・・

 

 

 

青空をバックに、その赤色が映えるように咲いていたかと思えば・・・・・・

 

 

 

花が落ちて芝生の上を赤く染めていた様子も、絵になっていると思いました(^-^)

 

 

 

( 島唄  THE BOOM )

 

※ 上のアメリカデイゴと沖縄の県花であるデイゴは少し違いますが、どちらも赤色の美しい花です。

 

 

 

その後、公園のほうから島内を少し移動すると・・・・・・

 

店先であくびをしてくつろいでいたり・・・・・・

 

 

 

僕の足もとに寄ってきて寝そべってくれた猫ちゃんに会えたりもしたんですけど・・・・・・

(こちらは2020年11月24日に放映された岩合さんのネコ歩きで紹介されていた、ハナコちゃん(上)とドンくん(下)です)

 

 

城ケ島京急ホテルのすぐ横でも・・・・・・

 

 

 

陽射しを浴びて、輝くように咲いていたアジサイの花を見上げて眺めては・・・・・・

 

 

 

レストラン横の貼り紙を見て、「あれっ、レストランは閉まっちゃったんだ」と思いつつ・・・・・・

 

 

 

城ヶ島灯台のほうへも行ったのですが、この日は昼前になってから気温もかなり上がり、

その周辺に来る人も多くなってきたので、僕はいち早く引きあげました(^^;)

ただ、家に帰って調べてから気付いたのですが、実はこの時すでに、レストランだけではなく、

城ケ島京急ホテル自体が、コロナの影響で営業を終了し、閉館していたんですよね(ToT)

 

 

 

ちなみに、下は今年の1月に訪れた時に撮影した写真ですが・・・・・・

 

日本で5番目の洋式灯台である城ヶ島灯台(現在の灯台は2代目)は・・・・・・

 

 

 

現在は、このようなトリックアートの絵が描かれていたりもしますし、すぐ近くの階段下の・・・・・・

 

 

 

これは城ヶ島京急ホテルの裏側で昨年の2月に撮った写真ですが、モデル猫ちゃんと・・・・・・

(上の猫ちゃんは、2020年11月24日に放映された岩合さんのネコ歩きで紹介されていたミルクティーだと思います)

 

 

ここで一緒に富士山を眺めることも、もうできないんですよね~。・゚゚・(≧д≦)・゚゚・。エーン!!

(こちらも上の写真と同じくミルクティーだと思います。ポーズも人懐っこさも天才的で岩合さんが惚れ込むのも納得です)

 

 

まさか、そのような状況になっているとは知らないまま、僕はこの日、さらに少し移動して・・・・・・

 

このように大きな2基の風力発電機が建っている公園に立ち寄って・・・・・・

(この風力発電機全体を画角におさめる場合、一般的なスマホ等の28mmレンズでは厳しく、24mmレンズで目一杯でした)

 

 

 

眼下の海の風景を眺めたりもしたんですけど・・・・・・

 

 

 

実はこの公園、10年ほど前の名作ドラマのラストシーンのロケ地でもあったので・・・・・・

 

( Mother  ラストシーン )

※ 北海道の室蘭という設定ですが、撮影は神奈川県の三浦市内で、1:19くらいからのシーンです。

 

 

 

風景のアクセントになる風力発電機が新しく生まれ変わって、良かったなあと思いました♪

 

 

 

前回の記事では、城ヶ島の東端にある新しい安房埼灯台の様子をお伝えしましたが、

その一方で、城ヶ島の西端にある城ヶ島京急ホテルは、コロナの影響もあり、

今年の5月に閉館することになってしまったようで、個人的には非常に残念に思います。

その一方で、今年の4月からは城ヶ島大橋の通行料が廃止されたりもしていますし、

その城ヶ島大橋からほど近い宮川公園の風力発電機2基も、新しく生まれ変わっています。

無くなっていくものもあれば、新しく生まれ変わるものもあり、そうした時代の変遷も、

写真を撮っていると身近に感じとることができたりもして、本当に面白いなあと思います(^-^)

 

 

 

ところで、本日(8月15日)は、75年目の終戦記念日です。

戦争に関しては、それぞれの方がそれぞれに思われることがあるでしょう。

多くの方は、戦争反対という面では見解が一致していると思われるものの、

どのような立場・考え方で反対かという点においては、必ずしも同じではないと思います。

 

現在はインターネット上の写真や動画等を通じて、おそらく昔以上に戦争の悲惨な状況を

目の当たりにする機会も増えているのではないかと思われるのですが、その際に、

「すべては戦争が悪い」という意見も目にするものの、僕は少し違うと思います。

と言いますのも、そういう見方は戦争という特殊な状況のせいに転嫁しているだけであって、

国家間同士の争いである戦争にいたる前の個々の行為自体を反省すべきだと思うからです。

(国家の体面よりも、個々人の人間としての尊厳を重視すべきだと、僕が考えていることもあります)

すなわち、「人を殺してはいけない」はもちろん、「盗んではいけない」「傷つけてはいけない」

・・・・・・等など、個々の行為一つ一つの積み重ねが、国家間レベルで増えて大きくなっていった

帰結として戦争が起こるのではないかと僕は考えているので、その一つ一つの行為を

省みないことには、結局は同じことを繰り返すことになってしまうのではないかと僕は思います。

 

では、どうすれば良いのか・・・・・・僕自身は、自分がされて嫌なことは他人に対してすべきでは

ないと思いますし、逆に、自分がしたことは他人からされても受け入れるべきだと思います。

「自分(達)は〇〇だからしても当然」だとか「しても許される」とか「仕方がない」ではなく、

自分がされたら嫌なことは他人に対して行わず、正当化してもいけないと思います。

行為者自身は当然だとか許されるものだと思っていても、された側は忘れないと思います。

もし、そうした行為が許される状況であったとしても、当然だとは思わずに感謝すべきでしょう。

「自分(達)は〇〇で、相手は△△だから」嫌なことをしても当然だ、許されるという

思い込みを捨て、相互理解に努めなければ、争いや戦争は無くならないと僕は思います。

 

 

 

最近は香港の状況を見ても分かりますように、中国をめぐる情勢が混沌としています。

予め言っておきますと、僕は中国の一般市民の方を憎く思う気持ちは一切ありませんし、

中国の一般市民の方を巻き込んで今後どうこうすべきだとも思いません。

ただし、香港(の市民)に対する今の中国政府のやり方は、明らかに間違っていると思います。

戦前や戦中の日本政府は当時、一般市民に対して治安維持法等を用いて思想弾圧を

行いましたが、立場や思想等の違いはあるにせよ、今の中国政府や香港当局が、

国家安全維持法等を用いて自分達の意に沿わない市民に対して行っていることは、

まさに戦前や戦中の日本政府が行っていた思想弾圧のやり方そのものであり、

そもそも戦前や戦中の日本政府は、中国にとって批判の対象だったのではないのですか?

 

今の日本政府にしたって、アメリカやイギリス等と歩調を揃えろとまでは思いませんが

(アメリカやイギリスとともに共同声明を発すると軍事的な負担も要求されかねないからです)

日本が民主主義国家であるなら、市民の基本的人権を侵害する行為に対しては、

明確な抗議の意思を独自にでも示すべきなのではないかと思われます。

中国との経済的な結びつきを優先して、抗議の意思を示さないというのは、

金のために民主主義の魂を売ったと思われても仕方がないのではないですか?

戦争は当然避けるべきだとは思いますが、だからといって抗議の意思も示さないというのは、

民主主義国家の政府の態度としておかしいのではないかと、僕は個人的に思います。

 

(今日は終戦記念日だということもありますが、見苦しく感じられた方には本当に申し訳ありません)

 

 

 

戦争体験談、聞いたことある?

 

 

僕の母方の祖父は学徒出陣の特攻隊の生き残りです。

直接も、母からの伝聞もあります。

特攻隊員というと美化されがちですが、多くは今の若者とあまり変わらないと思います。

ですが、当時のありのままの特攻隊員の思いを語るのを良しとしない人達もいます。

なので、今でも本人がありのままの思いを外では語れないという状況があるのも事実です。

いずれにしましても、祖父が目標地点前で墜落し、一命をとりとめたからこそ、

今の僕が存在しているというのも事実ですし、祖父にも祖母にも感謝しています。

一方で、当時に戦争へ進む決断をされた方々には、僕は感謝していません。

それより何十倍も何百倍も多くの、生きたくても生きられなかった方々に謝って欲しいと思います。

 

 

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