GO FOR BROKE, FOREVER | 地域に笑顔を! 日向亭葵のエアリハ講演会

地域に笑顔を! 日向亭葵のエアリハ講演会

おしゃべりテーションの会 全国の高齢者に介護予防を笑いで伝える専門家 日向亭葵

私はただのプロレスファンです。たまたま理学療法士です。


プロレスが僕ら子供達の憧れのスポーツであった時代。強い男に憧れ、よくマネをして遊んでいた時代。決して強い体ではありませんでしたが、その時だけはヒーローになれ、自分も強くなるんだと夢を見ていました。


改めて思います。

プロレスは僕に夢を見るとこを教えてくれました。弱くても勇気を持つことが夢を叶える秘訣だとも教えてもらいました。


Go for broke


この言葉で、

私が描いた夢を現実にしてくれた人がマサさんです。


そのマサさんが7月14日に、

お亡くなりになりました。



夜中に訃報の第一報が入り、気持ちの整理もつかないまま、翌日にお別れのご挨拶に伺ってきました。

マサさんと再会した途端、悲しみと悔しさで涙が止まりませんでした。


言葉通り、涙が出なくなるまで泣き尽くしました。


なんでなん、早過ぎる

悔し過ぎる。


私の子供の頃の夢はプロレスラーになること。大学生の頃の夢はオリンピックに出ること。その他、叶わぬ夢の連続でした。


ことごとく挫折した私にとてもステキな夢をくれたのはマサさんです。


私の人生はこのためにあったんだ、これからの2年間が私の使命だと確信していました





1週間後、722日。

気持ちも落ち着き、告別式に参加させて頂きました。


奥様にお許しを得て、用意していた大好きな写真を棺の中に入れさせて頂きました。


マサさんと五輪エンブレム、こんなに似合ってます。





でも、志半ばです。

2020年の東京五輪で聖火ランナーとして本当に走ってもらいたかったです。


私もあちこちにアピールしたり、直接電話したりしていました。でも私の力では何も動きそうにありませんでした。


それでも2020年にチャンスが来た時に、マサさんが思いっきり走れることが私の使命。


まさにこれからでした





告別式は、著名な選手もたくさん来られていましたが、


私はマサさんの専属トレーナーとして、

そしてプロレスファン代表として、

胸張ってマサさんをお見送りしてきました。



帰り際にはご親族の方の含め、大勢の方とご挨拶ができました。

中でも奥様の少し安堵された表情、最後までお見送りをされたご親族皆さまとの時間が、とても素敵でした。


マサさんは、皆に笑顔を残してくださいました。



遺影の写真はポストカードになっていて、返礼品で頂きました。とても力になる素敵な写真です。






マサさんに対して、リハビリトレーニングで頑張れることは全てやりました。

これからも私が伝えた通りにしてくだされば、2020年には必ず走れるようになっています。


天国で走りながら、そして大好きなトレーニングをしながら、どうか奥さまを見守ってください。




マサさんの最後はとても穏やかな表情でした。


マサさんと共にした時間や経験は私の中で生き続けています。


絶対に忘れません。



今の私にはマサさんから頂いた、

前に進むエネルギーがあります。



GO FOR BROKE, FOREVER...



マサさん、本当にありがとうございました。