第一回 逆境を乗り切る知恵

 

「人、常に菜根を咬み得ば、則ち百事(ひゃくじ)()すべし」

汪信民

固くても野菜の根を日ごろから苦にせずよく噛んでいれば何事も成し遂げられる。

 

清貧の思想

がつがつと成功を追い求めるのではなく人生とは何か幸せとは何かを書いている

 

菜根譚は逆境の古典

逆境についての条が多い

 

居逆居中

「逆境の中に居らば、周身、皆鍼砭(しんぺん薬石にして、節を砥()ぎ行(こう)を礪(みが)きて、而(しか)も覚(さと)らず。順境の内(うち)に処()らば、満前、尽く兵刃戈矛(へいじんかぼう)にして、膏(あぶら)を銷()かし骨を靡()して、而も知らず。)

逆境の中にいるときは、身の周りのすべてが針や薬になり信念や行動を磨いているのだが本人はそれに気づいていない。これに対して順境にあるときは目の前のすべてのことが実は刃や矛となって肉を銷()かし骨を削っているのだが本人はそれを知らずにいる。

逆境の中にこそ自分を磨くチャンスがある。それにより自分の節操を磨き行動を磨く。しかし、なかなかこの事に人は気づかない。うまくいっている時はすべてが自分を傷つける武器になってしまっている。このことも人は気づかないでいる。

 

菜根譚の文章の特徴は「対句」

 

「苦心の中(うち)、常に心を悦ばしむるの趣を得、得意の時、便(すなわ)ち失意の悲しみを生ず。」(前集 後八)

あれこれと苦心している中に兎角、心を喜ばせるような面白さがある。逆に、うまくいっている時にも失意の悲しみが生じている。

 子育ては大変だと言うが、その苦心の中に喜びがある。後で振り返ってみてあの頃が一番幸せだったと思う時がある。そして得意、絶頂の時によく考えてみれば失意の悲しみが芽生えている。

プラスの中にマイナスがある。マイナスの中にプラスがある

 

 

・逆境の過ごし方

 

伏久者

「伏すること久しきものは、飛ぶこと必ず高く、開くこと先なるものは、謝すること独り早し。此れを知らば、以て蹭蹬(そうとう)の憂いを免るべく、以て躁急(そうきゅう)の念を消すべし。」(後集 七七)

長く地上に伏せて力を養っていた鳥は、一旦飛びだすと他の鳥よりも高く飛べる。他の花よりも先に咲き誇った花は早く散ってしまう。この道理を理解していれば途中でよろめく心配を免れられるし成功を焦る気持ちを消すこともできる。

スポーツ選手などは活躍できない時期を「三年鳴かず飛ばず」と言うが、じっと我慢をしてそしていざ飛び立つ時は高く飛翔していく。

逆境は力を蓄える時

 

 

・逆境への備え方

 

魚網之設

「魚網(ぎょもう)の設(もう)くるや、鴻(おおとり)則ち其の中に罹る。蟷螂の貪るや、雀又其の後に乗ず。機裡(きり)に機を蔵(かく)し、変外に変を生ず。智巧(ちこう)(なん)ぞ恃(たの)むに足らんや。」(前集 一四八)

魚の網を張ったところ、思いがけず大きい鳥が掛かる。カマキリが獲物を狙っているとスズメがその後ろから狙っている。仕掛けの中にまた仕掛けが隠されていて思わぬ異変が異変を生む。小ざかしい知恵など何の役に立とうか。

カマキリが獲物を狙っているが視野狭窄に陥っていてその後ろには雀が狙っている。雀が一番偉いのかといえばそうではなく、その後ろには人間が弓矢で狙っている。

視点を変えてみることが重要。

 

進歩処

一歩前進する時には一歩退くことを思うこと。そうすれば牡羊が垣根に突っ込むような災難から免れることができるだろう。何かに着手する時にはそこから手を引くことも考えておけば虎の背に乗るような危険を脱することができるであろう。

 

ピークは過ぎてからしか分からない。

 

舞い上がることもなく落ち込むこともなく暮らしていくことが大事。

 

 

 

第二回 真の幸福とは

 

明の終わり頃も現代と似た世相

道教、儒教、仏教をミックスした独持の幸福論

 

「心正しい人はことさら幸福を求めようという気持ちはないが、天はその無心なところに幸福を与える。」

心の根付けた人は禍を避けようとするが、天はその作為に対して禍を下す。

 

「いっぱい抱え込んでいる者は失うものもまた大きい。だから富んでいる者はそうした心配をしなくていい貧しい者に及ばない。また、より高いところを歩こうとする者は早く躓き倒れる。だから、身分の貴い者は常に心安らかにしている身分の低い者には及ばない。」

そもそも多くを持とうとするべきではない。(老子などに見られる考え方)

 

「水屋の富」

富くじで一番を当てて千両を手に入れる。それを家に持って帰るが泥棒に盗まれるのではないかと心配で夜も寝られない状態になる。そして結局、泥棒に盗まれてしまうがその時に「ああ、これで今夜は眠れる」と思った。

 

「富や財産は頼りない浮雲のようなものだ。そういう気風を持っていることが大事だ。

しかし、世を離れて岩山のようなところに隠れ住むといったことも良くない。」

──世の中を捨てず生きる──

 

 

・幸、不幸は心が決める

 

「人生の幸、不幸の境目は皆、人の心が作り出すものだ。だから釈迦も言う。利益や欲に向かう心が強すぎるとそれは燃え盛る炎の海に居るようなもの。執着しすぎるとそれは苦しみの海にいるようなもの。心を清浄にすれば火炎も池となり、目を覚まさせてやれば船も彼岸に到着する。心持ちが少し変わるだけでこうも見え方が違ってくる。よくよく考えなくてはならない。」

どう感じるかは自分の心の持ち方次第。見方次第。(仏教の思想の影響)

 

「子供が生まれた日というのは母親の身体が危険にさらされた日。カネをたくさん溜め込んでいると盗人がそれを盗もうと窺う。いかなる喜びごとも心配ごとにならないことはない。」

──人はある一面だけを見てしまうが、物事には必ず両面があるという心構えが大事──

 

 

・「棚ぼた」には要注意

 

「分を過ぎた幸福や理由のない授かり物は、天が人を吊り上げるための餌でなければ落とし穴である。ここを見極めないと天や人の設けた罠に大概落ちてしまう。」

分不相応な幸福は疑うべき。何の理由もない良い結果は落とし穴。

宝くじなどで富を得ても逆に不幸になる例もある。

 

「花は満開ではなく五分咲きぐらいがよい。酒も泥酔はよくない。ほろ酔いぐらいが丁度よい。この中にすばらしい趣がある。」

──ほどほど、頃合の思想──

ほどほどが最高。

 

実力と希望の落差が大きいほど不幸である。その時どうすればいいか。希望を少し下げて自分も少し頑張ればいい。足るを知る。

 

 

・雨降って地固まる

 

「苦しんだり楽しんだりして修練し、その修練を極めた後に得た幸福であってはじめて長続きする。」

──楽しいだけではダメ──

時間をしっかりかけてだんだんと幸せになっていくことが大事

 

「日暮れ時に夕日は絢爛と輝く。年の瀬に柑橘類は良い香りを放つ。我々の人生も晩年にこそ一層気力を充実させなければならない。」

晩年こそ輝く。歳月を重ねることで良くなる。晩年を肯定する菜根譚のメッセージ。

 

 

 

第三回 人づきあいの極意

 

「狭い小道で人と合ったら自分の方から避けて先に相手を通してやり、

おいしい食べ物は三割ほど相手に譲って十分に食べさせてやる。

このような心がけこそこの世を渡っていく上で最上の安全・安楽な方法である。」

──譲る思想を説いている──

譲って一歩を退けるのは、後々前に進んでいく時の伏線。進むために譲る。

非中国的思想。

結局、競争の果てにお互いの破滅が待っている。

 

名声を独占してはいけない。

まわりまわって自分に返ってくる。

自分だけが勝ち抜くことを説いた本ではない。

 

 

・部下との接し方

 

「恩恵を施すには、初めあっさりしておいて後から手厚くするのが良い。

初めに手厚くして後から薄くすれば人はその恩恵を忘れてしまう。

威厳を示すには、初め厳格にして後から寛大にするのが良い。

初め緩やかにしておいて後から厳しくすると人はその厳しさを怨む。」

 

「部下の功績とか質は少しも混同してはならない。混同すれば部下は怠け心を抱くようになる。これに対して個人的な恩義や遺恨はあまりにはっきりしすぎてはならない。もしはっきりしすぎると人は背き離れる心を起こすようになる。」

おごったことについて恩を着せたりいつまでも嫌味を言ったりしない。

部下はそういうところを見ている。

 

「物事は急げば急ぐほどいいというわけではない。急いでも明白にならないこともある。

むしろ、ゆったりしていることによって自ずから解決していくこともある。

あまりにも他人に対して性急にあれをやれこれをやれと言うと怒りをまねく。」

──急いては事を仕損じる──

待ったり時間をかけたりすることでむしろ上手くいくこともある。

自分自身に対しても待つ。他人に対しても我慢して待つ。

 

 

・家族との接し方

 

「家族に過失があったら激しく怒ってはならず、だからといって放っておいてもいけない。

もし直接そのことをいい難ければ、他の事に託けてそれとなく注意し、

今そのことに気づかなければ別の機会が来るのを待ってもう一度注意する。

丁度、春の風が凍った大地を溶かし、和気が氷を消し去るように、これが他でもない家庭の模範である。」

 

家族は「骨肉の親」といって普通は親しみがある。しかし、一旦こじれると深い愛情の裏返しで激しい憎悪になる。「骨肉の争い」になってしまう。だから暴怒に気をつける。

 

「家庭の中にこそ本当の仏がいる。仏教では極楽浄土に行かなければ仏に合えないが、仏は遥か彼方にいるのではない。家庭の中にいる。誠の心と和らいだ気、穏やかな顔つきと優しい言葉、そして親兄弟が体が釈け合うように、気持ちが交流するようにしていれば、ことさらに座禅を組んで経を唱えたりする必要はない。そうすることより何万倍も効果がある。」

 

中国には「気」の思想がある。この世界は気でできている。これは目に見えない物質、あるいはエネルギーだが、空中にもあるし我々の体の中にもある。「気」はお互いに感応する。一人が発する「和気」は他人にも感応する。

──人付き合いの極意=和気──

 

「人を信用する者は相手が全て誠実であるとは限らないが、少なくとも自分だけは誠実であるといえる。逆に、人を疑ってかかる者は相手が全て偽りで満ちているとは限らないが、既に自分は心を偽っていることになる。」

人を信じても裏切られることがある。全ての人が誠実だとは限らない。でも人を信じたという段階で少なくとも自分は誠実だといえる。

相手が必ずしも嘘偽りで固まっているわけではない。しかし、他人を疑ったという時点でもう既に自分の心は偽ってしまっている。

他人はどうあれ少なくとも自分は他人を信じる。そういう人間が増えていけば自ずと良好な社会ができていく。

 

 

 

第四回 人間の器の磨き方

 

「若者は大人の卵であり、秀才は指導者の卵である。もし、若い時、火力が十分でなく正しい器作りが出来なければ、後々、世に出て官位に就いた時、立派な人材にはなれない。」

若者を陶器に例えている。社会人として役に立つ人材になれと言っている。圧力と時間が大事。

 

「何度も鍛錬する金属ようにすべき。お手軽に成就しようとするとそれは深い養成にはならない。」

長い時間をかけてじっくり鋳込んでいく。

 

 

・心を調える

 

「気持ちが動揺していれば弓の影を見ても蛇やサソリではないかと疑い、草むらの石を見ても虎が伏せているのではないかと思い込む。全てが殺気に満ちてしまうのである。これに対して雑念が収まれば暴虐の人物も海のカモメのように穏やかに感じられ、騒がしい蛙の声も鼓や笛の音のように聞こえてくる。たちまち真実の働きを見ることができるのである。」

冷静になれば自分が少しずつ進歩していることが見えてくるだろう。

「殺気」は「和気」と正反対の意味。

雑念を静めた状態が大事。

 

「縄も長い間には鋸のように木を切るし、雨だれもひさしい間には石に穴を開ける。道を学ぶ者は努めて粘り強く求める心がけを持つべきである。また、水が流れてくると自然に溝が出来上がり、瓜が熟すると自然に蔕が落ちる。道を悟る者は全てを天に任せ、時期が来るのを待つだけである。」

結果は必ず現れるから粘り強く努力を続けて機が熟するのを待てばいい。

 

静中 基本的に静かにしている。この静かな中での考えが澄み切っていることが大事。これによって心の本当の姿を見ることができる。

 

闇中 時間的ゆとりを持っている。その中での気持ちの持ちようがゆったりしていると心の本当の働きを知ることができる。

 

淡中 あっさりしている。あっさりしている中での趣が安定していると心の真の味わいを得ることができる。

 

これらは自分の心と向き合うということを言っている。

 

 

・「拙」を大事にする

 

「文をつくる修行は拙を守ることで進歩し、道のための修行は拙を守ることで成就する。この拙の一字に限り無い意味が含まれている。」

不器用でも誠実な心を忘れずに努力する者が道を極める。不器用の中に大きく伸びる可能性がある。

拙というのは過剰な装飾や技巧を排したもの。つまり、純朴なものや素朴なものに逆に力がある。拙=飾らない素朴さ。

「拙」の反対は「巧」。巧みの境地にいる間は自分の心となかなか向き合えない。つまり、自分のよろいを脱ぎ去って自分の心と対峙してみる。そのことによって気づくことがある。

 

 

「だいたい立派な人というのは清貧の思想をやる。他人に対して物や金で救うことはできない。けれども、人が迷い苦しんでいるところに出会えば、適切な一言を出してその人の迷いを解くことができる。また、人が救いを求めて苦しんでいるところに出会えば、また適切な一言を出してそれを救ってあげることができる。これが限りない功徳である。」

菜根譚は洪自誠が私達に届けた言葉の贈り物

 

ビュッフェスタイルのように好きな言葉を選んで自分の菜根譚になる。

 

 

 

※上記は、10年程前にNHKの某番組で見た内容のメモ