※どうでもいいオマケ
資本主義というのは必ず息詰まることが約束されている。
なぜかというと、いずれは今(2021年)とは比較にならない程に供給網が機能不全に陥る時が来るため。
資本主義では、国政よりも個人的所有者によって各々の利益を追求する社会のあり方になっているため、国というまとまりや社会全体のことを企業が気にしているわけでも責任を負っているわけでもない。
資本主義は、新たなマーケットの開拓、経営効率、奴隷として働く国を常に求めているため、世界的な分業体制に支えられている面が大きいのだから、貿易依存度の高い国で何らかの重大な問題が起きて供給が断たれると持続不可能な社会になってしまう。
何においても自給率というのが重要だが、労働力を含む資源に問題が生じればカネだけで解決するこはできない。
また、生産手段を持たない圧倒的多数の一般市民は、資本家に雇われることで仕事を得るが、「身分の低いお前にわが社の資源を使わせてやっているのだから有難く思え」という弱い立場にされている。
これも集団でストライキでも決行すれば「俺たちが働かなくなればお前らも商売ができなくなって困るだろ」という手段に打って出ることもできるが、双方に折り合いがつかなければお互いの破滅になる。
そのような攻撃的手段に出なくとも、単に割に合わなくて集団離職してしまうこともあり、その場合も経営が成り立たなくなる。
多くの者が個人経営で自立できればいいのだが、やはり融資する側にとって都合の良い条件を揃えたごく限られた者にしかその機会は与えられないし、仮にそれが得られたとしても一度失敗すればもう終わりということになってしまう。
資本主義一辺倒の連中は人殺しをしている。
連中は「カネのない奴は死ね」と言っている。
少しでも困っている者に物を配るようなことを進めようとすれば「それは社会主義に偏る危険思想です」などとすかさず大騒ぎして潰そうとする。
そういう強欲でズルい政治家は不公平が大好きな奴らだった。
連中は才能はないがコネのある奴らに「いい仕事」を与え、誰もがカネがなければ生きていけない世を死守しようとする。
つまり、勝ち負けしかない世界を素晴らしいと言い、悲惨な目に遭っている者を存在しないことにした上で葬っている。
資本主義ではカネで企業を買うこともできるし、人を買うこともできる。
カネで買えないものはないという社会が資本主義だと言っていい。
それを行うに相応しい人物なのかどうかも素質ではなく、カネで買える経歴によって決まっている。
バラマキ政策でカネを給付する支援策は、1~2度、10万円程度給付すれば後は終わりなのだからほとんど何の救済措置にもなっていない。しかし物を配る場合は工夫や調整をすることで恒常的に余っていて捨てている分を持続的に供給できる。