よく、「英語がペラペラ喋れる」という言い方をする者がいるが、それは英語を流暢に上級者レベルで話せるという意味で言っている。
つまり、上級者になれない者は英語が口をついて出てくることはないという認識であり、英語上級者になりたかったら一生懸命勉強しなければならない、やらないからできないだけでしょ、あなた言い訳ばっかでしょ、といったお決まりの論調に持っていかれる。
しかし、現実を見ると、英語を母国語とする国に移民として来ている人達はいわゆる「英語ペラペラ」といった感じで話している。
かなり拙い表現で発音も正確ではないのだが、言葉に詰まることなく、連続的に話す。
あれは間違えると誰かに叱られるというような恐れを抱いていないためにできている。
当然、それで目的が達成できているというわけではないが、「あー、なんていうんだろ」といった感じで黙っていたり、小学校から勉強しなおさなければならないといった病的な状態に置かれているよりはずっと成長が見込める。
日本の英語教育の主流派であり続けてきた文法学者達は結果として一体何を残したのかというと、多くの国民が「英語ペラペラ」になったということではなく、自分の作品を美しく残せたことを満足しているということだった。
このようなことは話すことに限ったことではなく、書く時も全く同様で、最初から完璧な文章を書かなければならないという状態にあると何も書き出せなくなり、ずっと白紙のまま時間だけが過ぎていくということになる。
間違えたら書き直せばいいだけのことで、最初から完成形しか認めないという態度は、やはり異常だろう。