結弦にはスケーティングの能力があり、スケート靴と仲良しでした。「ISUはやがてルールを完全に変え、この少年がこれからやることに応じて書き直す羽目になるだろう」マッシさん回顧録・メラーノJGP。(っ•̀ ̫•́ )っ💙

9月5日は羽生選手がイタリア・メラーノで、ISUジュニアグランプリにデビューした日✨٩(๑>ᴗ<๑)۶かわいいね飛び出すハート



・ANA搭乗のお客様限定☆フライトベア🧸🧸予約開始で写真がキュートなんです、ぬいぐるみよりも(U𖦹 ·̫ 𖦹U)


✈️𓈒𓂂𓏸「機長・羽生結弦」が階段降りてくる…





 




コメントはありがたく拝見はしておりますが、
攻撃的な内容のもの、的を得ない苦言呈し系は公開は致しません。  

繰り返される方はすみやかにブロックさせていただきます 。

🌳
いずれ消えゆくものとしておつき合い願えたらと思います。
(❁ᴗ͈ˬᴗ͈))



おはようございます✨

記事が渋滞していまだにずれ込んでおります。
m(*_ _)m

  

前記事ですハイハイスター花



「GIFT」と「RE_PRAY」羽生結弦はキャリアを終えた後も姿を変える。彼の新しいショーは観客の心を変える宇宙だ!(*ˊ˘ˋ*)。♪:*   彼は再び単独ツアーを行ない、観客が彼の作り出す世界観に没入する体感型のアイスショーに挑戦します。『RE_PRAY』は、『Gift』と同様、「羽生結弦アイスストーリー」という大規模なプロジェクトの一環です。~Sports.ruより。


・もっぴーさうんどさん、新曲ニコニコそうです!あの羽生選手が使いそうなタイトルのピアノ曲チュー




羽生結弦「Yuzuru Hanyu ICE STORY 2nd “RE_PRAY” TOUR」埼玉公演チケット情報解禁☆座席表見たらかなり厳しいですが、頑張ろう!

(๑•̀ㅂ•́)و✧


・さあ、笑って❤\(*⌒0⌒)♪

・射手座さん!当たってるんじゃないかな?おねがい

・草太くん、バナータオル出来!(≧ڡ≦ )️️🩵




羽生結弦「RE_PRAY」2度目の単独公演をオリンピック公式が、過去のアイスショーと一緒にPRしてくれました!(˶ㅇᗜㅇ˶) ⑉♥ 羽生結弦が活動を再開!五輪ダブルチャンピオンの羽生結弦が、2014年に初の世界タイトルを獲得したアリーナ(埼玉スーパーアリーナ)を皮切りに、最新ソロショーを全国で開催します。


・「羽生結弦」おげんさんのサブスク堂Part2️⃣は予想通りの音楽部門1位








。*⑅୨୧┈┈┈フライトベアよりもピンクハート┈┈┈୨୧⑅*。  

反則技すぎゆづ
"(∩>ω<∩)"

 

しかし、飛行機に乗る予定全くなし。
また転売サイトで高値で取り引きされるんだろうな…。




2008年9月5日の出来事

  On 5 Sept 2008, The king of the rink, Yuzuru Hanyu, debuted as a junior skater on the ISU Junior Circuit. 
羽生選手、ジュニアグランプリシリーズメラーノ大会でデビュー!

 

 

2008年9月5日、リンクの帝王・羽生結弦がISUジュニアサーキットのジュニアスケーターとしてデビューした。
JGPメラーノ大会ではショートプログラムに出場し、ショート6位、総合5位に入賞した。


。*⑅୨୧┈┈┈┈┈┈┈┈┈୨୧⑅*。

マッシさんやダニエル・グラッスルが羽生選手を初めて見たのがこの🇮🇹メラーノ大会。(2008年9月)

グラッスルは、


ホッケーをやっていたダニエル・グラッスルですが…メラーノで行われた大会をお母様と見にい行って…チュー


2008年のJGPメラーノだったと思うのですが、羽生結弦選手がこの大会に出場したんです。


彼を見て、母に自分もやってみたいとお願いしました。 やってみたらとても楽しかったんです。!




マッシさん


マッシさんにとっても、羽生選手を見初めた日ラブ

。*⑅୨୧┈┈┈┈┈┈┈┈┈୨୧⑅*。

2008年 メラーノ
ムーラン・ルージュ「ボレロ」


FPでは4位でしたニコニコ


パガニーニは、スピンがもうフラフラで
回ってるコマが止まりそう…( >﹏< *)
でも、華があるというか、既にエレガント感溢れるご様子。この頃のジャンプはなんというか重量感がなく、妖精さん。



🇮🇹イタリア在住、Nympheaさんのブログ、
惑星ハニューにようこそ ニコニコ

昨年イタリアナポリで開催されたジャパンウィークでの公演
「トータルパッケージ~羽生結弦に捧ぐ」
でのマッシさんのスピーチを翻訳されているので
一部ご紹介させていただきます乙女のトキメキ


マッシさんは偶然羽生選手を見かけたわけではないのです。

💭🤍.•*¨*•.*♬ 💭🤍.•*¨*•.*♬💭 🤍.•*¨*•.*♬


私がメラーノに赴いた理由は、主に2つのことに興味があったからです。

1つ目はチェコのスケーターでした。
既に成人でそれなりに認知されており、彼を褒める意見を耳にしていました。

もう一つは、日本の13歳の少年でした。

彼の噂は遠方から聞こえてきましたが、実際に見たことはありませんでした。

日本のような国で、僅か13歳でグランプリ大会にアサインされたということに驚きました。

考慮してもらいたいのは、ジュニアグランプリは13歳から19歳までの選手に出場資格があるということです。

日本は選手層が厚く、もっと年長のジュニア選手が大勢いるのです。13歳の子供がこれほど重要な大会にアサインされたことに衝撃を受け、私は主に公式練習を見るためにメラーノに行ったのです。練習中の少年を見れば多くのことが分かるから。


彼はとても華奢で、おそらく13歳より幼く見えました。12月に14歳になるはずです。

リンクを2周し、何度か方向転換を行い何度がダッシュし、何度か沈み込み、突如、何もないところからアウトサイドエッジのイーグルからフェンス程の高さのある2アクセル!

私は両腕を広げ、「一体何だい?!」と自問自答しました。

そして周りを見渡しましたが、客席は閑散としていて見学しているのは数人でした。


私の表情はずっと生き生きと輝き出しこの瞬間からある種の共感が生まれました。そして、私は練習を最後まで見ることになったのです。


リンクには他の少年達も練習していましたが、興味はありませんでした。爆笑

何故なら、この少年の何もないところから(ジャンプを)実施出来る能力に衝撃を受けたからです


彼は既に質の高いスケーティングスキルを持っていました。私はこのような身体つきの華奢な少年からこれほど滑らかなスケーティングを期待していませんでした。


しかし、少年にはスケーティングの能力があり、スケート靴と仲良しでした。


フィギュアスケートをこれまでとは異なる方法で解釈する13歳の少年に出会ったことに私は感動しました。


フィギュアスケートを異なる方法で解釈するとはどういう意味か?説明しましょう。

彼はこの練習で多くのエレメントを実施していました。公の場で初めて3アクセルに挑戦しました。

それから約1か月後、彼は試合で初めて3アクセルを成功させるのです。国内大会でした。

そしてこのエレメントを挑戦しながら、何度も激しく転倒していました。
見ていて恐ろしくなるような転倒です。

皆さんの中でトリノに行った方は、彼が4アクセルに挑戦中、何度も同じように転倒していたのを見たでしょう。これはまた別の映画です。


しかし、彼は転倒の後、常にすぐに立ち上がりました。何よりもその場にいた、全員彼より年上の他のスケーター達との違いは、彼のジャンプは5-6秒の助走の後に生まれてくるのではありません。


何の準備もなく実施されるジャンプなのです。
時には簡単なトランジションから。

いずれにしても、常にジャンプの前後に何かを入れているのです。

当時、このようなフィギュアスケートのコンセプトを持っていることは、私に衝撃を与えました。


当時のシニアの男子スケーターを思い出してみて下さい。ブライアン・ジュベール、エフゲニー・プルシェンコ。

確かに羽生はいつもプルシェンコが憧れだと発言しています。彼が勝ち取ったタイトルを考えればそうあるべきでしょう。


しかし、私の意見では、氷上において羽生から数光年離れているスケーターと言えばプルシェンコなのです。それを理解するにはあるゲームをやってみて下さい。


2人のスケーターの上半身は見ず、膝から下の動きだけに注目して下さい。

一方は高いポテンシャルを持つダンサーでスケーター、すなわち羽生。

もう一方はスケーター、つまりプルシェンコです。驚異的な違いです。


とにかく、この日本の少年は鮮烈な印象を与える3つの側面において私に衝撃を与えました。


🟡一つ目、彼はずっと自分自身に話しかけていました。ジャンプの後、転倒の後、彼は自分のやるべきことを手のジェスチャーで真似ながら、自分自身に話しかけ、修正し、まるでアニメのようでした。これもかなり異例なことでした。


🟡次に私に衝撃を与えたことは、ジャンプは彼の友達だということです。

運動競技のジェスチャーとしてのジャンプではなく、まるでコミュニケーション手段として挿入されたジャンプなのです。我々がいつも見ているジャンプとは、真逆のジャンプでした。


🟡3つ目は、どんな酷い転倒の後でも常に再び立ち上がることが出来る能力でした。

当時、彼はコンビネーションのファーストジャンプに3Tを付けることに苦戦していました。

フリップとサルコウに付けようとしていました。

サルコウの方が少し良かったです。フリップではまさに悪戦苦闘でした。

当時の結弦のフリップは酷いものでした。
つまりあまりフリップらしくなく、踏切りのエッジはインサイドではありませんでした。

実際、試合ではエッジで減点されることが何度もありました。

しかし、彼は戦い続けていました。

転倒しては立ち上がり、転倒しては立ち上がり。つまり、彼のキャラクターが私に衝撃を与えたのです。




羽生の全日本初優勝にまつわる興味深い逸話をご紹介しましょう。

この時は、私はミラノ中心、ロンバルディア中心の歴史あるアイスリンクにいました。

彼がフリーを滑っている時、ちょうどミラノのリンクではペアが練習していました。私の20メートル先でステファニア・ベルトン/オンドレイ・ホタレックが3ループのスロージャンプを決めました。彼らがずっと苦戦していたエレメントでした。


その瞬間、私は跳び上がってガッツポーズをしました。

周りの人達は私を見ましたが、実はこの時、私はイタリアのペアを全く見ていませんでした。

私は自分のPCで全日本選手権の男子フリーを見ていたのです。
結弦は日本国内のこの大会で初めて優勝しました。


驚異的な圧巻のプログラムでした。

私は走ってアイスリンク内のカフェに行き、そこでイタリア人のコーチに会いました。

今ではイタリアの有力コーチですが、当時は経験を積んでいる最中でした。名前を言ってもいいでしょう。ロレンツォ・マグリです。

私は羽生がやったのけたことを彼に語りました。


すると彼は静かにこう言いました。

「ISUはやがてルールを完全に変え、この少年がこれからやることに応じて書き直す羽目になるだろう」


当時の彼は国際レベルではまだ何も勝っていなかったにも拘らず。

これが羽生結弦なのです。





確かに重要な大会で表彰台に乗っていましたが、彼の軌跡は始まったばかりでした。

しかし、専門家は彼の軌跡が何処に到達するのか、既に見抜いていたのです。



Nympheaさんのブログ  惑星ハニューにようこそ

引用元

マッシさんの結弦語りはまだまだ、あと4ページ分くらいの記述があります!
小冊子が作れるくらいニコニコ
 

翻訳してくださったNympheaさんに
感謝😊


見る人を惹き付けてやまない羽生選手。
とくにマッシさんのようにフィギュアスケートにも詳しい方が見ればなおのこと、彼の才能に芸術的センスに魅了され、そのチャレンジャー精神に感動してしまうんです。*ଘ(੭*ˊᵕˋ)੭* ੈ✩‧₊˚

まるで恋する乙女のようなマッシさん。
ロレンツォが言い放った言葉が
次々と実行されるのを見て、どんな気持ちだったでしようか😭

 

 






クローバー最後までお読みいただき

                ありがとうございましたニコニコクローバー

ヾ(*ˊᗜˋ*)₍ᐢ⑅•ᴗ•⑅ᐢ₎♡ロゼワイン


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