自分でつぶやく、ことはないが、各種SNS特にtwitter 、、非常に負の連鎖でコメントを寄せ合う流れを感じる。

 

批判と誹謗中傷についてよく出ているので、改めてググって意味再確認。辞書をひくことなくなるわけだわ。

 

批判:

 物事に検討を加えて、判定・評価すること。「事の適否を批判する」「批判力を養う」

 人の言動・仕事などの誤りや欠点を指摘し、正すべきであるとして論じること。「周囲の批判を受ける」「政府を批判する」

 哲学で、認識・学説の基盤を原理的に研究し、その成立する条件などを明らかにすること。

 

誹謗中傷:

根拠のない悪口を言いふらして、他人を傷つけること。

 

自分で、何かに対して意見を書いたりする時点で、それが検討を加えて判定、評価しているのか、或いは根拠のない悪口を言っているだけなのか、書いてる人はわかっていると思うんだけど。そうじゃないのかしら?

 

他人の悪口は言ってはいけないって小さいころから言われてるはずだが。

自分でない誰かを胸糞悪く思うことは誰でもあるわけで、それをSNSを利用してパブリックコメント化するエネルギー。。。

 

しかし、そんなSNSをついついあらあらあらと、見てしまう私もいますが、、、ちゅーちゅー

 

 

自分がその件に実際に関わっているわけでもないのに、うそつきだとか、被害者面してるとか、よくまあいえるなと思う。もし、友達が目の前でそんな物言いしていたら、人格疑うわけだが、匿名で物言えるとそこまで言えるって人間て。。。。

 

批判:哲学で、認識・学説の基盤を原理的に研究し、その成立する条件などを明らかにすること。

 

↑↑批判の深み。。。

 

 

顔出さずに、無責任に言いたいことはやめよう。当事者同士にしかわからないことについて、被害者面するななんて無関係の他人が、匿名で、公衆の場で書くことじゃないわ。テレビの前で、携帯の前で一人であるいは家族にいっておけばいいじゃないか。。

 

と、どこかに書いてみたくなったので今日はブログにする。

 

ごまめの歯ぎしりに過ぎなくても、、

 

癒しをのせとこ。

 

 

 

 

 

 

 

写真の説明はありません。

 

"Only the stairs is remained.  I thought nostalgia. " my memorial house 

 

夏休みと冬休みにだけ、親戚みたいに集まってきた私たちの思い出の家のはしご。

 

ずいぶん長い間行ってない。というか、もうない。

 

父たちが若いころに土地を買い、自分たちで建てた家。私たち子供世代が5月と、夏休みと時に秋に集まってきた家。

 

私たち子供世代は、それをきちんと引き継ぎせずに解体作業までも父たちにまかせて、その後の作業は止まったまま。それが悪いわけではなくて、そういうものだったわけだけど。

 

そこに残されたのは、はしご。この梯子からロフトになった寝室部分に大騒ぎしながら上り下りしてきた。

 

数十年ぶりに訪ねた、Mくんが取ってきた写真をみたら涙がこぼれた。それももう10年前の話で、また10年ぶりにはしごを思い出すことになり、また涙がでた。

 

 

どうして、年取るといろいろ涙が出るかな。悲しいわけじゃない。

 

 

過ぎ去った日々が幸せすぎたと思うからなのかな?

 

なんかそうだったら、ちょっと悲しいけど。

 

 

 

 

 

 

 

 

私が住むところは、観光立国ならぬ観光立島。。

 

コロナ Covid-19 によるダメージは既に肌で感じる。

 

習い事に送っていく道。いつもは1時間かかって着けばよいところが、30分で着くようになった。

 

沢山のレストラン、カフェ、ホテルが既にクローズしてる。

 

 

いつもは通ることもめったにない(渋滞なのはわかってるから)観光エリアはガラガラ。。さながらゴーストタウン。

 

 

エイプリルフールだけど、これは今の現実だ。

 

子供たちの学校も、期限未定で休校になった。

 

 

対策や補償の話もまだ出ていないこの国。。さて、これからどうなっていくのか。。。

 

 

不安でしかない。病気もさながら、生活が心配だ。