【道の駅おんねゆ温泉にも貼っていた「しれとこ斜里ねぷたのポスター】
ねぷたの山車が出発する合図の花火が上がりました。
いよいよ山車がやってきます!
道の駅しゃりの前から、役場方面へ少し移動して山車を待ちます。
はるか向こう、役場付近から、威勢の良い掛け声とともに、ねぷたがゆっくりと姿を現しました。
こちらへまっすぐ降りてくると思いきや、山車の一行は途中で左折。
それにしても、想像していたよりずいぶん多くの山車が続いています!
左へ曲がっていった山車の列は、大通りに出て、今度こそこちらへ近づいてきました。
和太鼓と「ヤーヤ・ドー」という掛け声が、山車が一歩一歩近づくたびに足元から伝わってくるようです。
太鼓の大きさ、空気を振るわせるかのように届く太鼓の音、威勢のよい掛け声に圧倒。
そして、扇ねぷたの登場です♪
ねぷたの表と裏の絵は、異なっているのですね。
なんとも力強い絵です。
そして、初めて間近で見たので、その大きさに感動。
大きいものでは、高さが地上約8mもあるそうです。
地元建設会社の名前がずらりと並んでいます。
町全体でつくりあげている祭りという感じで、気分が一層盛り上がりますね。
道央圏では、あまり見ることができない光景と雰囲気です。
山車に続いては、太鼓や笛のおはやしが!
若い人や小学生、それより幼い子どももお母さんに手を引かれて歩いているなど、年齢層はさまざま。
町長をはじめとする先の一団を見るにつけても、老若男女すべての祭りを盛り上げよう!とする心意気が感じられるようです。
再び扇ねぷたの山車が続きます。
あとでこの祭りの元になっている「弘前ねぷた」について少し調べてみました。
扇形の部分の絵は「鏡絵」というのだそうです。
「鏡絵」は、三国志や水滸伝などをモチーフとして描かれているようです。
迫力があるはずですね!
そして鏡絵の裏側に描かれている人物絵部分は「見送り絵」、その両脇の絵は「袖絵」というそうです。
さらに細かく見ると、「祝弘前城築城四百年」と書かれているものを「町印」といって、町名や団体名が入っている燈籠(とうろう)だそうです。
そして、ねぷたにつないだ綱を引いてねぷたを動かす人は「曳き手」。
このねぷた祭りと深い関係がある青森県弘前市から、本家本元の弘前ねぷたが参加しているようです!
「見送り絵」の下に描かれた牡丹の絵の部分は、「開き」。
さらに、この写真には写っていませんが、「開き」の下部分は「額絵」といって、正面に「雲漢」(中国では“天の川”の意)と書き、両脇には武者絵を描くそうです。
また、この武者絵の目は、必ず進行方向を向いているそうです。
扇ねぷたの大きさや鮮やかな色彩に驚いていましたが、さらにクールな山車が登場。
「囃し方」というのだそう。
この「囃し方」は、太鼓と小さなシンバルのようなものをリズムに合わせて鳴らしています。
このシンバル、「ジャガネ」というそうです。
ジャガネの鳴らし方は、みなさん揃っていますが、独特な手の振り上げ方で、難しそうです。
どれくらい練習したのでしょうか。
晒(さらし)を巻いた女性たちの格好良さといったら!
オリンピックでも、連日、大和撫子たちの活躍が続いていますが、しれとこ斜里の撫子もかなり粋です。
実はこれ、まぶしすぎて見えませんが、「ゴジラ」です。
ゴジラの人形型(?)ねぷた。
光り輝いている部分は、ゴジラの口です。
体の部分はキラキラした素材で作っているのですが、中から光を透しておらず、火を吹くかのように口が燦々と輝いているのです。
大型ねぷたの前に登場する小型のねぷたを「前ねぷた」というのだそうです。
このゴジラも前ねぷたというのでしょうか。
ちなみに、ゴジラ山車には、小さな子どもたちがたくさん乗っていました。
続いて登場したねぷたでおさらいをすると・・・扇ねぷたの絵が鏡絵。その下の牡丹の花の部分が開き。
そして「漢」と見える部分は、額絵!陰になって見えませんが、漢雲と書いてあるはずです。
そして、この扇ねぷた、扇の部分(鏡絵)の部分は、回転するのです。
鏡絵だけでも迫力がありますが、時折これが回りだすと、見ごたえは倍増します。
そして、送り絵と袖絵。
袖絵の右側にちらりと見える「青年会議所」と書かれている部分は、「肩」というそうです。
最後になりましたが、しれとこ斜里ねぷたの由来です。
江戸幕府後期、ロシアなどから北海道を守るために北方警備を各地の藩に命じていました。
そして、1807年、当地斜里地方の警護を命じられたのが津軽藩。
その年の夏、100人あまりの津軽藩士が斜里地方にやってきましたが、11月中旬からは寒さや栄養不足により、ひと冬で72名の津軽藩士が亡くなったそうです。
オホーツク地方の冬の厳しさを考えると、当時の服装や食糧事情からみて、生き残ること自体が不思議なほど厳しい環境だったのではないでしょうか。
定かではありませんが、斜里町の街路に植えられていた植物は、耐寒気温が約マイナス30℃の「エリカ・カルネア」のように見えました。
もしそうであれば、この地域が冬にどれほど寒いかがよくわかります。
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その後、1973年には「津軽藩士殉難慰霊碑」を建立、斜里町民が慰霊祭を行ってきたそうです。
そして1983年に斜里町が青森県弘前市と「友好都市の盟約」を締結。
これが縁で「弘前ねぷた」が斜里町に伝えられ、それ以来、「しれとこ斜里ねぷた」は規模を拡大しながら実施され、北海道新聞によると、今年は大小13基が町内約2.5kmを練り歩きました。
7月27日(金)・28日(土)の日中には、「ねぷた囃子フェスティバル」が開催されたそうなので、これは見てみたかったです!
参考:弘前ねぷた参加団体協議会HP、斜里町商工観光課HP
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