2025年12月のテーマ

「クリスマスにはクリスティーを!」

 

第三回は、

「象は忘れない」

アガサ・クリスティー 作、中村能三 訳、

早川クリスティー文庫、2003年発行

 

 

です。

 

「カーテン」を除いて最後に執筆されたポアロ作品です。

ポアロの最終作「カーテン」は先週の記事に書いた「スリーピング・マーダー」と同じく戦時中に書かれ、作者の死後出版する契約になっていた作品です。

「象は忘れない」は1972年刊行。実質上、最後に書かれたポアロ物長編というわけです。

 

さてあらすじは…。

推理小説家のミセス・オリヴァが珍しく出席した昼食会で見ず知らずの婦人から奇妙な問いをぶつけられます。名づけ子の一人シリヤが近々その夫人の息子と結婚することになりそうで、ついては十数年前に起きたシリヤの両親の心中事件に関して、父が母を殺して自殺したのか、母が父を殺して自殺したのか、知りたいとのこと。

ミセス・オリヴァはポアロに相談し、彼女自身も"象は忘れない"との諺どおりに過去のことを知る人たちを訪ねて情報を集めるのでした。目撃者のいない過去の事件の真相をポアロが推理します。

 

作者が高齢になってから書かれた長いシリーズの最後の作品ということで、登場人物も年齢が書かれていないにもかかわらず年を取った感じが伝わってきます。

ポアロに関しては、第一作目時点でそんなに若くなかったこともあり、これ以前の作品でも高齢化を感じさせる描写がいろいろとありました。(髭を染め粉で黒くしているのではと勘繰る若者がでてきたり、依頼に来た若い娘に「あまりにも年を取りすぎている」と帰られてしまったり、なじみの警察関係者がすでに引退していたり…。)

私が気になるのは、ミセス・オリヴァの方です。

スポーツカーを運転し、リンゴをいつも持ち歩いてかじっていた彼女が、昼食会では歯の心配をしたり、欲しい資料が見つからなくてイライラしたり(挙句の果てに秘書に八つ当たり)と、これまでの作品とはちょっと様子が違っています。

この数年前(1966年)に刊行された「第三の女」ではそこまで年齢を感じることはなかったので、作者の分身ともいわれているアリアドニ・オリヴァ夫人の描写の変化には作者の体調の変化などを感じずにはいられません。

 

それはさておき、この作品では、"過去を知る人々から聞き取りをするのがオリヴァ夫人"というところがミソです。

ポアロシリーズを読んだことある方で、アリアドニ・オリヴァ夫人というキャラクターをご存じの方ならばお判りいただけると思いますが、この方は、アイデア豊富な連想ゲーム体質で、会話があっちこっち飛んでいくのが常なのです。また、直感を働かせて推理するタイプで、直感に合わせて事件の筋をいくつも考えついてしまう根っからの創作者です。

その彼女がお手上げ状態の事件の調査をポアロに持ち込んで、情報収集のためにいろんな人の話を聞きに回るわけです。

ポアロやミス・マープルみたいに、会話の中で違和感に気づいたり、特定の欲しい情報を引き出すような質問を繰り出したりはできないのです。

そのうえ、聞き取りされる人たちも事件に直接かかわっている人ではなく、ぼんやりした記憶の中から心中した夫妻に関連ありそうな話を思い出して語っていくわけで、聞く人聞く人みんなちょっとずつ違う話をするので、オリヴァ夫人はいつもの創作の才能が発揮できていません。(混乱したのかも。)

 

事件の当事者から当時の話をポアロが聞き取って情報をより分ける「五匹の子豚」や、過去の事件の目撃者である主人公が記憶を取り戻す過程で自身も事件に巻き込まれていく「スリーピング・マーダー」とはこれまた形を変えた"回想の事件"を解決に導く過程がみられるのが「象は忘れない」です。

前述の二作品に比べて、"信頼できる事実"よりも"不確かな記憶や噂話"が圧倒的に多いなかから、当時の状況を再構築するお話になっています。それゆえ、パズル的な謎解き要素はないですが、反対に叙情的な作品だと感じます。

夫妻の心中現場が崖ということもあり、一昔前のテレビの二時間ミステリーみたいなイメージが私の中にあったせいかもしれませんが…。

 

ミステリーといえばミステリーなんだけど、トリックや犯人を鮮やかに解き明かすって作品ではないので、ポアロ物の中でも地味な作品だと思います。

その分、知らないという方もいらっしゃるでしょうし、初読の確率は他のクリスティー作品に比べて多くなるのではないかと思います。

クリスティーがポアロ物として最後に執筆したこの作品、おすすめいたします。(*^▽^*)