2025年1月のテーマ
「新年にもクリスティーを!」
第三回は、
「動く指」
アガサ・クリスティー 作、高橋豊 訳、
早川クリスティー文庫 2004年発行
です。
1942年発行のミス・マープル物の長編第三作目です。
あらすじは…。
傷痍軍人のジェリー・バートンは療養のために妹と共に田舎の村に越してきます。都会暮らしに慣れている妹のジョアナはその容姿といい、ファッションといい、生活スタイルといい、とにかく目立つ存在です。そんな二人の元には越して早々に誹謗中傷に満ちた匿名の手紙が届きます。曰はく、二人は本当の兄妹ではなく、ジェリーは妹と称したいかがわしい女性と同居していると…。新参者を快く思わない村人の仕業かと思われましたが、程なく他にも同じような匿名の手紙を受け取った人が村には相当数いることが分かります。穏やかに見えていた田舎の村でしたが、噂話や陰口の気配が濃くなってゆき、やがて匿名の手紙を受け取った人の一人が自殺してしまいます。匿名の手紙の差出人は誰なのか、ジェリーとジョアナは推理します。果たして、匿名の手紙の背後にある事件の正体とは…。
最初に、読んで気づかれた方もいらっしゃるかと思いますが、あらすじにミス・マープルが出てきません。
そう、この作品の主人公はジェリーとジョアナ(主に語り手のジェリー)で、ミス・マープルは二人のアドバイザーとして登場します。それもほんのちょっと。
しかしながら、小さな村で起きた事件だということや、匿名の手紙という陰湿かつ極めて身近で限られた範囲の人々の間で起きた事件だということが、セント・メアリー・ミード村で暮らし人間観察のスペシャリストであるミス・マープルが解くにふさわしい事件だと私は思います。
このお話では、住人たちが次第にお互いを疑心暗鬼の目で見るようになっていく様子だとか、そんな中でも密な付き合いをしなくてはならない田舎のご近所付き合いのわずらわしさなんかをすごく感じさせられます。
一方で、ストーリーの中で、田舎の名士の家の継子であるミーガンという少女が、女学校を卒業して年齢的にはほぼ大人であるにもかかわらず、家のものに子ども扱いされているうえのけ者になっているという状態で、ジェリーは妹とさほど変わらない年のミーガンが妹とはあまりにも違う境遇にいることに同情して、何とか彼女を家から連れ出してやろうとします。
事件の謎解きとは別に、こういった人間ドラマもクリスティー作品の読みどころの一つです。
クリスティーの他の作品ではあまりこういったマイ・フェア・レディー的な設定のお話はないように思うので、それも私にとってこの作品が印象深い要因の一つかと思います。
また、今回この作品をおすすめしようと思った理由の一つに、誹謗中傷の匿名の手紙を扱ったお話だということがあります。
現在では、誹謗中傷と言えばSNS上の匿名の投稿というのが手紙にとってかわっただけで、こういった行為自体はなくなっていません。むしろ手紙よりも手軽にできる分増えていると思われますし、デマの拡散や脅迫のようなものも横行していて社会問題になっています。
現在のSNSの誹謗中傷は大勢の人が一人の人間に対して行っているのを他の人も見ることができる形で行われている(見えないものもありますが…)点がこの小説の時代の匿名の手紙とは異なります。
昔ながらの匿名の手紙による誹謗中傷の場合、差出人不明の手紙の中で受取人を誹謗中傷しているので、基本、その手紙は受け取った人しか読まないわけです。もちろん、受け取った人は周りに見せることもできますが、自分について書かれた酷いデマを周囲に拡散することは、そのデマを周囲の人々の頭に植え付けてしまうことにもなるので、「ひょっとしたら本当のことかも…」と思われてしまうかもしれないリスクを冒すことになり、あまり得策ではありません。
そこで無視するわけですが、自分の身近に、手紙に書いてあったようなことを考えている人間がいるということは、差出人はすでに密かにそのデマを噂話として流しているかもしれないわけで、差出人以外にもデマを信じて自分のことを見ている人が増えているのではないかという恐怖が膨らんでいきます。結果、受け取った人はどんどん疑心暗鬼になって精神が病んでしまいます。
SNSの誹謗中傷はオープンな形で行われている分、受け取った人がそれを隠すという選択肢すらなく、噂が広がっていくのが目に見えるという点において、受け取った人のダメージは大きいと思います。実際には目に見えている以上にうわさが広がり、デマを信じている人も増えているだろうという恐怖と疑心暗鬼に囚われるからです。
この小説の"匿名の誹謗中傷の手紙"は現在の問題にも通ずるところがあります。
1940年代に発表された小説ですけど、題材が全然古くない。
むしろ普遍的かも…と思います。おすすめいたします。(*^▽^*)