十二月の閑話休題です。
2023年12月のテーマ
「クリスマスには日本のクリスティーを!」
でおすすめしてまいりました。
山村美紗さんの本は滅茶苦茶たくさんあって、おそらくクリスティー文庫(100冊+続巻)よりも多いと思います。
かなりたくさん読みましたが、まだ全作品の三分の一…もしかすると半分が未読なのではないかと思っています。
テレビの二時間ドラマになった作品も多いので、二時間ミステリードラマ全盛期を知っている世代ならば、展開やパターンがなんとなくわかる山村美紗節というものを感じるのでしょうが(もちろん私も含む)、毎回新しいトリックを仕込んであるところに感心しきりです。
上手く説明できないのですが、前にもこんなシュチュエーションあったな…あの時はこんなトリックだったけど…と思い出したものとは必ず違った答えが出てくるのです。
若い女性が探偵ということもあり、男女の恋愛に関する愛憎劇が繰り広げられることが多いので、その点は代り映えしないと感じるときもありますが、上手なストーリーテリングで変化をつけていると思います。
今月おすすめした三作品以外にも個人的にいいなと思う作品はまだあるので、またそのうち書きたいと思います。
さて、タイトルのテーマにまいりましょう。
今月は山村美紗さんづくしですよ。
私は山村美紗さんのことを、"日本のクリスティー"とこのブログで書いています。
ご活躍当時、作者がまさに"ミステリーの女王"の称号にふさわしい人気と作品数を誇っておられ、電車のつり広告や本屋さんでの宣伝文句で作者を"日本のクリスティー"と呼んでいたと記憶しているからです。
ですが、じつは山村美紗さんの本を読めば読むほどその記憶が間違っているのではないかと揺らいできてしまっていました。
なぜなら、山村美紗さんの作品(文庫本)の最後で解説を書かれている詩人の郷原宏さんという方がいらっしゃるのですが、この方がいつも山村美紗さんのことを"日本のチェスタートン"と書いておられるからです。
チェスタートンとは、イギリスの作家でブラウン神父の生みの親であるG・K・チェスタートンのことです。
郷原さんの解説を読んでいると、山村美紗作品のトリックの斬新さ、見事さを評して、世間でこう呼ばれていた時期もあるように感じるのです。
郷原宏さんは、山村美紗さんの初期の作品からずっとたくさんの作品で解説を書かれているので、まだ駆け出しのころに作者が"日本のチェスタートン"と呼ばれていたのだろうと思います。
それが作品数が増え、人気も増してきて、作者が女性であることなどからも"日本のクリスティー"という呼び名が定着してきたのかなと、私は解釈しています。
ただ、私が入手して読んだ山村作品の8割以上の解説を郷原宏さんが書かれているので、自分の自信が揺らいできて、もしかしたら間違った情報を発信しているのではないかと、心配の虫が騒ぎ出していたこともありました。
しかし、先日、郷原宏さん以外の方が書かれている解説で山村美紗さんのことを"日本のクリスティー"と呼んでいるのを目にして、なんだか自分の記憶への自信を取り戻しました。
今月記事を書くにあたってウィキペディアの山村美紗さんのページを見た時に、「日本のアガサ・クリスティとも讃えられた。」と記述されており、これにも安心させられました。
そして、郷原宏さんが解説で山村美紗さんのことを書かれているときに、「女流作家だということを理由に山村美紗を評価するな」ということが言いたいのだなとわかってきました。
山村美紗さんが登場した時代は、「女流作家」という言葉があるとおり、まだ女性の作家よりも男性の作家の方が圧倒的に活躍していたのだと思います。
いえ、もしかしたら、活躍云々は関係なく、社会的な男尊女卑の風潮が影響していたのかもしれません。
女性の作家で人気作家はまだ少なく、読者から圧倒的な支持を得ているとなるとさらに数が少ない。
だから山村美紗さんをほめるときに無意識であれ"女流なのに"すごいといったニュアンスのほめ方をされることがあったのではないでしょうか。
ここで私が書いていることは推測にすぎませんが、それでも何かにつけて"男だから"、"女だから"ということが身体的なしばり(子供を産むことは女性にしかできない、一般的に筋肉量は男性の方が多いなど)以外の才能や能力においてまでも、優劣をつける意味合いの理由付けとして語られていた時代が近年まで続いていたことは確かです。
郷原宏さんの解説には、女性ならではの視点で書かれた作品の新鮮さを評価するとともに、女性にとって居心地のいいだけの作品にとどまっていない、万人に受ける作品を書いていることを評価されています。(割と新しい作品の解説においてであることを付け加えておきます。1960年代や70年代に書かれた作品解説についてはこの限りでないかもしれません。)
"日本のクリスティー"という呼び名は、彼にとっては"女流"を意識させる呼び名であり、意識的に避けられているのかなと思いました。作家の力量に男女差はないといち早くおっしゃっているのが、好もしく感じます。
一方でまた、チェスタートンの名前を冠することで、山村美紗さんが希代のトリックメーカーであることを強調されているようにも思えます。
ただ、私にとっては称賛の言葉としてクリスティーの名を冠することができるなんてすごいことだし、名誉なことだと思います。ミステリー界に一大旋風を巻き起こしたという点がすごいのであって、そこに"女性なのに"というニュアンスが含まれていたとしても、その時代の社会の無意識的な性差別がいかに無意味だったかをクリスティーが証明したに過ぎないと思います。ミステリーを書くのに男女差は関係ないですからね。
それでは、来月のテーマとまいりましょう。
2024年1月のテーマ
「時代小説でありファンタジー!王朝小説」
でいきたいと思います。
王朝小説という言葉があるかわかりませんが、最近はやりの後宮ものだったり、平安貴族ものだったり、そういうジャンルをまとめて王朝小説と書かせていただきました。
果たして前者と後者を一緒に語ってよいものかもわかりませんが、そこは目をつぶっていただいて…。
またのぞいていただけると嬉しいです。(*^▽^*)