2022年12月のテーマ
クリスマスにはクリスティーを!
第三回は、
「満潮に乗って」
アガサ・クリスティー 著、恩地美保子 訳
ハヤカワ文庫 クリスティー文庫 2004年発行
です。
ポアロ物の長編になります。
あらすじは、戦時中の空襲で大富豪のゴードン・クロード氏が亡くなり、莫大な財産を未亡人が相続することになります。この未亡人はまだ若く、後妻。ゴードンには子供がいないものの、彼の兄弟姉妹や甥姪といった一族がいて、長らくゴードンが後ろ盾となっていました。全財産が後妻のものになるとにっちもさっちもいかなくなる一族の人たちは次第に未亡人への憎しみを募らせていきます。一族から未亡人を守る彼女の兄デイヴィッドとゴードンの甥であるローリー、戦時中は軍で仕事をしていて久しぶりに帰郷したゴードンの姪リンの三角関係も加わって、それぞれの思惑が複雑に絡み合っていきます。
この物語は背景に"戦争"というものが大きく横たわっています。
登場人物たちの人間関係で中枢に位置する大富豪は空襲で亡くなり、未亡人の前夫は戦死しています。
主人公の一人であるリンは戦争帰りで、そのほかの一族の人たちも戦争によって経済的にも精神的にも打撃を受けています。
クリスティーの作品でここまで戦争の影を感じる作品はほかに思いつきません。
ポアロが世に登場した長編第一作「スタイルズ荘の怪事件」ではベルギーからの戦争難民たちがイギリスの田舎町に避難している様子が垣間見えますが、他の作品でパッと思いつくものはないです。
一族の人々が未亡人を憎む心境になるのも、戦争の影響が少なからずあるのではないかと思います。
クリスティーの作品では、大金持ちの老人が亡くなって遺産相続で親族がもめるとか、お金に困っている人物が裕福な親族を殺害して遺産をもらおうとするというようなストーリーは珍しくありません。
お金に困っている理由は様々で、お金があったのにギャンブルでなくしてしまったとか、大人になって所帯も持っているのに金持ちの親が財布のひもを握っていて自由になるお金がないとか、単に浪費癖があるとか、欲深いとか…本当にそれぞれで、犯行の動機としての意味合いが強いので、私としてはそこにスポットを当てて考えるというようなことは普段ありません。
でも、この「満潮に乗って」では、"お金がない理由"が私にはすごく考えさせられる作品なのです。
一族の人たちは弁護士だったり医者だったり、一般的に高給とされている職業についていますが、みんなゴードンを頼りにして暮らしてきました。ゴードン自身が生前に「何かあっても私が助けてやる」と言って、実際にそうしてきたからです。
彼らは根っこの部分でゴードンに依存しており、自立していない。
だからゴードンがいなくなって援助が受けられなくなるとたちまち苦境に陥ってしまい、自身を哀れみ、未亡人に憎しみを向けるのです。
大富豪が亡くなって遺産がらみの話はたくさんあるし、大抵の場合相続人たちは亡くなった富豪に依存して暮らしています。つまり「満潮に乗って」の登場人物たちと構造的に似ている人間模様のお話はたくさんあります。
だけど、この作品ほど登場人物たちが"依存している・自立していない"と自覚してもがきながらも"自分一人の力ではどうにもできない"ことに腹を立て、怒りや憎しみを他人に向ける様子を描いているクリスティー作品は少ないと思います。
このお話を読んでいると、例え好意からであっても、「援助して(されて)当たり前」という関係は、本人が自分で考える力や頑張る力を奪ってしまうのだなあ…と思うのです。
親子関係ではないけれど、今でいうところの"優しい虐待"みたいな気がしてしまうのです。
そのせいか、この作品は印象深くはあるのですけれど、好きな作品とは言い難い、なんとも複雑な気持ちになる作品だったりします。
登場人物の心理的な話ばかり書いてしまいましたが、もちろんミステリーですので、事件もあれば、ポアロの推理を堪能できる作品でもあります。おすすめいたします。(*^▽^*)