2021年9月のテーマ

「空を感じる本」

第三回は、

「雲をつかむ死」

アガサ・クリスティー 作、加島祥造 訳、

クリスティー文庫、2004年発行

 

 

です。

 

先に紹介した二作品とは違い、大空へのあこがれや挑戦を感じられたり、空を飛ぶことで自由を想起したりするような描写はありません。

というか、空に関する描写はほとんどない。

フライト中の飛行機の中で起こった密室殺人にポアロが挑む!という内容の作品です。

つまり、空や飛行機は密室の条件を強化するものであって、特に重視されてはいないのです。

それなのに今回この作品をご紹介をするわけは、前回の記事で取り上げた「夜間飛行」とほぼ同時代の作品だからです。それなのに、飛行機の雰囲気がずいぶんと違う。そこを感じてもらおうと思い立ったのです。

 

「夜間飛行」は1931年発表。第一次世界大戦が終結し、第二次世界大戦が起こる前という時代の作品です。

この頃はまだ夜間に飛行機を飛ばすのは危険と隣り合わせでした。

加えて、郵便物を運ぶのは小型飛行機。安全性はパイロットの力量に左右されるところが大きく、飛行機内の設備も操縦に必要な最小限です。それでもこの小説の最後の方に到着する便では少人数の乗客を乗せていた様子がうかがえるので、一般人の移動用の大きな機体もわずかながら夜間に飛んでいたのかなと想像できます。

 

対して「雲をつかむ死」は1935年発表。舞台はヨーロッパのパリ-ロンドン間の定期航空便。当然昼間です。

この本の解説で、1919年からパリ-ロンドン間の定期航空便は本格的に始まっていた、とあります。長距離の単独飛行はまだまだ冒険でしたが、小説発表の頃には昼間の定期便ですでに一般的な交通手段になっていた航路もあるのだなとわかります。

ちなみに解説ではサン=テグジュペリの「夜間飛行」にさりげなくふれられています。

 

さて、そのパリ-ロンドン間の定期便『プロメテウス号』(架空の飛行機)なんですが、後部客席だけで18席。洗面所や配膳室まであり、スチュワードに注文すれば軽食も取れます。ホテルなどと同様にスチュワードにはチップを渡すのがマナーだったようです。

これだけ見ても、ちゃんとした"旅客機"だということがわかります。

もっとも、列車や船の方がまだまだ一般的な乗り物だったことを考えると、主な乗客は富裕層で、彼らに気に入られるようなサービスを提供する必要があったのかもしれません。

面白いことに、クリスティーはこの作品の執筆時点でプライベートな旅行に飛行機を利用していなかったとみられているそうです。

ですが、当然当時の航空業界をリサーチして執筆に臨んだことでしょう。

主な移動手段は列車と船。それでも最先端技術の乗り物を殺人の舞台に設定するところが、常に新しいミステリーを生み出そうとしていた作者らしいところだと感じます。

 

ざっくりした『プロメテウス号』の様子は上で書きましたが、ぜひ小説で当時の飛行機の旅を味わっていただきたいと思います。

おすすめいたします。(*^▽^*)

 

【追記】

今回ご紹介した「雲をつかむ死」には、新訳版が新しく出ているということがわかりました。

アフィリエイトで上に貼ってあるうちの楽天市場さんの商品が新訳版です。

訳者の方も私が読んだ版とは違うので、解説の部分も今回私が記事に書いた内容とは異なっていると思われます。

記事を読んで解説に興味があるという方は、旧版の方の内容ですので本を手に取られる際にはご注意ください。