両親、ご先祖様あっての自分。
ご先祖様に導かれて、この世に生まれることが出来ました。
そして、DJの道に進みました。
今の職業に導いてくださったのが、モンチ田中さんです。
以前から、ブログやさまざまなメディアで、この経緯、歴史を語ってきました。
DJの恩人、モンチさんがお亡くなりになりました・・・。
昨夕、Dynastyのイベント会場で、DJ AKIRAさんとHIYOCOさんから訃報連絡を受け、本番前に動揺を抑えるのが実に辛かった・・・。
速報をくださったお二方、ありがとうございました<(_ _)>
1981年。渋谷ラ・スカーラに一人で通っていた自分は、
毎回毎回、DJブースに直行し、一日中DJブースにくぎ付けの日々を送っていました。通い続けて、2か月くらい経った日。よほどの変態だと思ったのでしょう・・・。
DJブースから声をかけて下さったのがモンチさんでした。
「キミは、毎日来てるけど、DJに興味あるの?」
「はい!!」
「うちは募集してないけど、別のお店で今見習い募集してるから紹介できるよ。キャンディキャンディで一人空きがある。でも見習いは相当キツイぞ」
「本当ですか! 私は大丈夫です! がんばります! ありがとうございます!」
全くDJの募集情報など無かった時代。
モンチさんからの声かけは神の声でした。
そして、すぐさまキャンキャンに面接に向かい、その場で見習い業に突入。
ラスカーラでのDJ見習いではなかったですが、当時渋谷4大ディスコと呼ばれた一つ、CandyCandyに入店出来ました。
ちなみに、当時の渋谷4大ディスコは、ラスカーラ、スターウッズ、ビッグアップル、そしてキャンキャンです。
高校在学中に見習いDJとして入店し、丸一年の修行を経て、
1982年に正式にDJデビューしました。
今から42年前です。
モンチさんから「見習いはキツイぞ」と言われてましたが、
私にとっては、小学時代からの剣道と、父親からのしつけの方が厳しかったので、耐えることが出来ました。
それ以来、現在に至るまで、半年間以上休業したこともなく、間を空けたことなく、DJの現場を継続してきました。
一方で、1989年から、FM横浜で、モンチさんが作ったラジオ番組「丸井24CLUB」の編成担当として、番組最終回までずっと担当してきました。
音楽を世の中に、オーディエンスに、リコメンドしていくDJという職業。選曲、ミキシングという職業。
モンチさんと、一足早く天国に旅だたれたマイケル山田国夫さんの二人がいなければ、私はこの職業についていませんでした。
「DJ OSSHY」という職のルーツは、モンチさんです。
最近、阿部寛さんが出演するテレビCMで、「凄い奴を作った奴はすごい。その凄い奴を作った人もまた凄い・・・・」というフレーズを目にします。なるほどそうだよなぁ、と感心しながら物思いにふけています。
偉大なる人物、歴史、実績、すべての事象には、「起点」があります。
今年6月に父が天国に旅立ち、11月にモンチさんが宇宙へ。
年末年始の休暇は、自分にとっての凄い人たちの起点・歴史を、じっくりとたどりながら、喪に服す時間となりそうです。
私は、モンチさんとの出会いを忘れることなく、これからも、完全燃焼するまでDJ職業、現場を続けます。
この道に導いてくださったモンチさん、
本当に本当にありがとうございました<(_ _)>
心よりご冥福をお祈りいたします。
2024年11月27日 7時30分 記