「テレオペ」がディスコではお馴染みのミュージシャン、ピート・シェリーが63歳で死去しました。
パンク・ロックとニュー・ウェーヴ、ディスコの融合的なサウンドで、ディスコ・イベントのフィナーレを飾る一曲としても有名。
もちろん、私も現場で長年お世話になった楽曲です。ご冥福をお祈りいたします。

 

しかし、

私にとっては、現場では、ピート氏とは比べものにならないほど、お世話になってきた人が、先日、交通事故で急逝されました。

故石渡誠さん。 享年54歳。

その悲報と、ショックの大きさに、しばらく “偽”情報ではないかと、信じていませんでした。なにせ、11月25日日曜日の夜に会っていて、一緒に帰ったばかりでしたから・・・・。

徐々に悲報を受け止められるようになり、今は、彼との思い出の数々を振り返る一週間を過ごしています。

 

マー坊さんとの付き合いは17年くらいになります。長いですね。

2001年。インターFM「ソウルブレンズ」というラジオ番組を制作していたんですが、その常連リスナーさんで、当時のラジオネームは、「ハングリー誠」さんでした。

公開生放送がある度に、毎回必ず参加されていて、ユニークな風貌とキャップがトレード・マーク。

横浜在住のソウル、ブラックミュージック フリークということもあって、私は人一倍の親近感を持って接していました。

いつも会うたびに横浜ソウルの話で盛り上がりました。

 

そう、2000年代は彼の事を誰も「マー坊」とは呼んでなかった。「ハングリー誠さん!」て、リスナー同志でも呼んでました。

 

ソウルブレンズ時代は、一匹狼的な雰囲気で、あまりリスナー同志で交流を図るキャラではなかったんですが、2008年に六本木ナバーナが復活オープンしてからは、お客さん同士で積極的に交流を図るキャラクターになり、「お世話係」のような立場になっていきました。

SNSを積極的に活用し、人と人をつなげる役回りを、自ら進んで行動されていました。

 

心優しく、争いごとが嫌いで、単純に音楽仲間が集う環境が大好きな人でした。

世話係の度が過ぎて、時には「ウザイ!」なんて言われている事もあったくらい(笑)

それほどまでに、周りへの気遣いを人生にしていた人だと思います。

 

ハングリー誠さんのニックネームからお付き合いが始まり、六本木ナバーナが復活オープンした頃から、ニックネームが「マー坊」さんに変わっていきました。

 

そして、札幌のDJ WANIさん、アッキーさんをはじめとする、札幌の人たちをつないでくださったのも、マー坊さんでした。

 

人生初の札幌DJ出演は、24時間1dayの超強行スケジュールでの体験でした。マー坊さんと二人で飛行機に乗って、まる24時間共に過ごしました。 一生忘れられないほどのハードスケジュールでした。

 

川崎チッタ夏の風物詩「80sナイトフィーバー」を、誰よりも声高に応援PRしてくれたのもマー坊さんです。

進んで川崎チッタの応援団長を務めてくださいました。

マー坊さん! 来年からは、誰が応援団長を受け継いでくれるの??

 

そして、SOプロモーションの所属タレント、室川慎也くん、朝妻クミッチェルへの応援も、絶える事なく務めてくれました。

 

大晦日 年末恒例 横浜ロイヤルパークホテルのカウントダウン

ナイトは、皆勤で参加して下さいました。一年の締めくくりと、新年の初日のDJタイムを、6年間一緒に横浜で過ごしてきました。

もちろん、今年も、チケットを既に購入して下さっていました・・・・・(´;ω;`) 泣

 

思い出話は欠きません。なにせ、私のDJ現場には17年間通い続けて下さった仲間ですから。さまざまな思い出がライブラリーになっています。

 

金曜日のナバーナ・マンスリーナイトでは、私はマー坊さんへの追悼の気持ちを込めて、選曲プレーしました。

 

HAPPY ME / KLEER

COME ON / ZAPP

FUNKIN FOR JAMAICA / TOM BROWN

WORD UP / CAMEO

SATURDAY LOVE / シェレール&アレキサンダー・オニール

SOMETHNG IN COMMON / ホイットニー&ボビーブラウン

POWER OF THE BOOGIE / ATKINS

 

マー坊さんへの追悼曲でプレーした曲でした。

 

昨日のインターFM RADIO DISCO、オープニングでは、公共の電波で世界的ミュージシャン ピート・シェリーの訃報よりも、長時間頂戴して、マー坊さんへの想いを語りました。

実は、私のパートナー、佐代子さんは、追悼コメントを語っていた時、隣で泣いてしまったんです。

悟られないように、必死でアシストして下さいました。

 

チークタイムの曲として、彼の大好きだった WEEKEND GIRL / SOSバンド をかけました。

 

志半ばで旅立ってしまった人たちのためにも、今、生きている自分たちは、毎日を大切にして、精一杯生きていきます!

 

大勢のディスコ仲間たちに愛されたマー坊さん、天国で、これからも、踊り場の盛況ぶりを見届けてください。

どうぞ安らかに。心からご冥福をお祈りいたします。



 

トレードマークは、キャップでした。

 

ソウルブレンズの公開生放送。川崎ハロウィン。ラジオネームは「ハングリー誠」さんでした。

 

 

人生初の札幌DJ 1day弾丸ツアー

 

RADIO DISCOのラジオネームは「マー坊」さんに。

 

川崎チッタ夏の風物詩 毎年、応援団長を務めてくれました。

 

 

11月25日(日) Atomic Niteで、いち早く会場内の祝花を撮影してLINEで送って下さったのはマー坊さんでした。
「素敵なお花が届いていますよ!早く来てくださ~い!」と。

そして、会場に駆けつけて、アトミックナイトを一緒に出て、一緒に帰ったのが最後となりました・・・・・。

 

昨日のRADIO DISCO 放送ミックスクラウド

https://www.mixcloud.com/OSSHY/33/