先日よりアドラー心理学の「嫌われる勇気」のオーディオブックを聞いてて、思った事があるのです。
心屋の魔法の言葉に「どうせ愛されてるし」ってあるのですけど、
僕はこれがどうしても納得出来なかったのです。
「どうせ愛されてるし」って何回も呟いても、全然愛されてる気がしないし、
本では愛されてる気がしない場合は「愛されてるかも」って言ってみればいい
なんて書いてあって「愛されてるかも」って呟いても全然愛されてる感じがしませんでした。
「どうせ愛されてるし」って呟いても、愛されない理由が数多くあり過ぎて
全然実感がありませんでした。
魔法の言葉の「損してもいい」と「嫌われてもいい」は主体は自分なのだけど
「どうせ愛されてるし」だけは他者依存なのですよね。
「どうせ愛されてるし」って呟いても、愛してくれる人が居なければただ呟くだけだし
全然実感が湧かなかったのです。
しかし、今回ようやく分かったような気がします。(^-^)/
アドラー心理学の中に「他者信頼」ってありました。
それで思ったのが
「どうせ愛されてる」って言うのは
「他人から愛されてるのだと信じましょう」
って事なのだと思いました。^^
例えば分かりやすのが
相手のブログにコメントを書いた。
しかし、相手からは返信もなくそのままスルーされた
となったとしましょう。
それに、今までの流れから明らかに嫌われてて避けられてると感じてるとしましょう。
この状況で「どうせ愛されてるし」って呟いても全然効果ないし、実感も沸かないのですよね。
しかし、
他人から愛されてるのだと信頼した上で(相手はそれほど嫌ってないだろうって信じた上で)
「どうせ愛されてるし」って呟くと少し効果がありました。(^-^)/
それによく考えてみると
相手が単にコメントを書くのを忘れただけなのかも知れないですし、
会った事もない相手ならブログだけの判断で、その相手がどんな人かなんて分かる訳ないので
嫌ったのは相手の勝手な都合なのですよね。
(ただでさえ僕の場合は、ブログとイメージが全然違うって言われます(;^_^A)
もっと言うと、相手から好かれてるか嫌われてるかなんて関係なく
「どうせ愛されてるし」って
勝手に信じて勘違いして思ってれば良い
って事なのでした(^-^)/
ちなみに
「信じる事は裏切られる事も込みでねー♪」なんて仁さんの歌にもありますからね(^-^)/
なんだかこれだけ書くと、
相手が嫌ってるのに気が付かず、愛されてるなんて勝手な思い込みするような危ない奴
なんて思う人も居るかもしれないですけど、
ここで言ってるのはそういうストーカーみたいな事でなく
勝手に嫌われてるとか、避けられてるとかそんな事を信じるよりは
「愛されてる」って信じていた方がいいって事なのです。
実際に会った事がある人に、面と向かって嫌われたり避けられたのならさすがに
受け入れるしかないでしょうからね(;^_^A