世界の平和
世界が目指す平和とは何だろう。
ふと、思った問いから、
その代表的なものが「国連憲章」であること。
国連憲章が掲げているものの一つに「基本的人権」があること。
基本的人権を育む上で大事になるものが「子どもの権利条約」であると、つながっていきました。
基本的人権とは、人間どうしお互いを尊重しあうことです。その結果として、人はともに成長していきます。
人間は、子どもから大人になっていくので、その基本的人権を育む土台となっていくものが「子どもの権利」ではないでしょうか。
長い歴史の中で、子どもは大人にとって、大人に従う存在として扱われてきました。
言いかえると、子どもは、下等という思い方が人々にあったのです。
その思い方を変えていく動きが、ヨーロッパで起こりました。
世界史の中で、ヨーロッパでは「人として生きること」について、何百年もをかけて培ってきました。その世界史を調べれば調べるほど、世界史を知ることは、私たちが、真に平和になっていく、子どもも大人もともに、幸せになっていくために、必要なことだと思うようになりました。
中世の終わりから近世にかけて「人として生きること」について、大きく変わる動きが起きたのは、「ルネサンス」と言われる時代でした。
14世紀後半から16世紀にかけて、ヨーロッパでは「ルネサンス」という動きが起こりました。イタリアからはじまり、16世紀にはヨーロッパ全土に広まりました。
このルネサンスの時代に、人はまだ平等とは考えられていませんが、
神だけが中心だった考え方から、
人間もまた、価値ある存在だと静かに言い始めた運動
が、ヨーロッパの人たちに「人間の尊重」という思い方が育っていたのです。
詳細は、こちらのブログに書いています。
そして、のちの
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宗教改革(16世紀)
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啓蒙思想(17~18世紀)
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人権思想(17~19世紀)
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子どもの権利(20世紀)
へと、長い時間をかけてつながっていきました。
子どもの権利まで到達するには、14世紀(1300年代)から数えると、600~700年くらいかかっているのですね。
今日は、16世紀にヨーロッパで起こった宗教改革について、一緒にみていきましょう。
宗教改革が、世界史的に基本的人権に向かう流れにもたらしたもの
世界史において、16世紀の宗教改革は、16世紀最大の出来事とされています。
では、一体、何が起きたのでしょうか?
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1517年、ドイツ人であるマルティン・ルターが
「免罪符」を批判したことをきっかけに、
・カトリック教会の権威が揺らぎ
・プロテスタント(新教)が誕生
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これが、16世紀に起こりました。
その出来事が、なぜ基本的人権につながっていったのでしょうか。
まず、ルターが批判した「免罪符」とは何か、なぜ「免罪符」を批判したのかを知ることで、つながりが観えてきます。
● 免罪符とは
中世ヨーロッパでは、人は
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罪を犯す
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死後、煉獄(れんごく)で罪を清める
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その後、天国へ行く
と信じられていました。
煉獄とは、カトリック教会の教義で、死者が天国へ行く前に罪を清める場所です。
煉獄での苦しみの期間を短くする方法として登場したのが、免罪符です。
しかし、もともと免罪符は、
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真剣な悔いあらため
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教会が定めたつぐない(祈り・巡礼など)
を前提に、教会が「罰を軽くする」と認める証でした。「罪そのものを消す」ものではなかった、のです。
ところが16世紀になると、
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教会の財政難
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サン・ピエトロ大聖堂の建設費
などの理由から、お金を払えば、罪が軽くなる。亡くなった家族も救われる。
という形で、「免罪符」が「売買」されるようになったのです。
有名な宣伝文句として、
「銀貨が箱に落ちる音とともに、魂が天国へ飛び立つ」
という言葉が、あったといいます。
これは、救いがお金で買えるという状態でした。
私の感想ですが、この、ヨーロッパの教会の歴史を知ると、現代の日本でも起きている、新興宗教や、宗教でなくとも、幸せはお金で買えるという考え方と似たようなものがありますね。
では、話をヨーロッパに戻します。
その時代に現れたのが、ドイツのルターでした。
● マルティン・ルターが行ったこと
ルターは、カトリック教会の神学者で、修道士、聖書研究者でした。
学者として学んでいたルターが問題にしたのは、
人は何によって救われるのか?
ということでした。そして、学問的・神学的な問いかけとして、
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免罪符の販売を批判
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教会のあり方を問い直す
ことを行いました。
ルターの考えは、主に3つでした。
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信仰のみ(Sola Fide)
人は、行いや金ではなく、神を信じる信仰によって救われる -
聖書のみ(Sola Scriptura)
教会の解釈ではなく、聖書そのものが最終的基準 -
万人祭司
神と人の間に、特別な仲介者はいらない
この3つの主張により、人々にどのような改革、革命をもたらしたのでしょうか。
<1つめのルターの「信仰のみ」が、人々に与えた影響>
「救いは、外から与えられるものではなく、個人の内面の信仰による」
とルターが主張したことにより、
国家、教会、権威によって「個人の良心を支配できない」という考え方が生まれました。中世のヨーロッパから続く、「教会に従うことが正しい」という教えから、
宗教改革後は、
「自分の良心で考え、神の前に立つ」
「自分の行為に、自分で責任を持つ個人」
という概念、考え方が生まれたのです。
<2つめのルターの「聖書のみ」が、人々に与えた影響>
ルターが、聖書をドイツ語に翻訳したことで、
民衆が、聖書を「自分で読み」「自分で考える」ようになりました。
ルターが聖書を翻訳をするまでは、ヨーロッパでは聖書は「ラテン語」で書かれていたのです。ですから、聖書を読めることができたのは、教会や王族、貴族などの限られた権威のある人たちのみでした。
民衆は、聖書を読めない、聞くだけだったのです。
ルターが、誰でも読める言葉に翻訳したことは、人々への「神の言葉は、特権階級のものではない」というメッセージとなり、
教会は「解釈する側」
民衆は「従う側」
という形が、少しずつ崩れていきました。
ルター以降、ヨーロッパ各国でも、聖書をその国の言葉に翻訳する人が現れ、ヨーロッパの民衆たちは、聖書を自分で読み、自分で考え、自分で問い直すこととなり、
このことが、「思想の民主化」の始まりとなりました。
そこから、教育の発展、市民の意識の向上、権利という意識へという世界史の流れにつながっていったのです。
<3つめのルターの「万人祭司」が、人々に与えた影響>
万人が祭司、すべての人々が「祭司」であるというは、びっくりする主張ですね。ヨーロッパの人々は、目からうろこで、ひっくりかえったのではないでしょうか。
この考えは、
神の前では、王も農民も同じ人間、という発想でした。
この発想が、のちに、「法の下の平等」「身分制度の批判」へとつながっていったのでした。
● 16世紀の「宗教改革」から「人権」へのつながり
日本人である私たちは、ヨーロッパで起きた16世紀の宗教改革について、世界史や歴史の授業で少し聞く程度かと思います。
この宗教改革で、カトリックから、プロテスタントが新たに生まれています。
簡単な違いを知っておくのも大事かと思いますので、書いておきますね。
カトリック
・教会を通して神に近づく信仰
プロテスタント
・個人が、直接、神と向きあう信仰
だそうです。どちらが、正しい、正しくないかは、ここでは問いません。プロテスタント的な考え方が民衆に広まったことで、社会は大きく動いていきました。
その中のひとつとして、宗教改革は、直接「人権」を語ったわけではありませんが、決定的な「人権意識」への土台をつくりました。
宗教改革が人権史に残した最大のものは、
「人は、誰かに代わって信じてもらう存在ではない」
という考え方です。
これは、子どもも、大人も、身分の低い人も、高い人も、一人の人間として尊重されるという発想の、遠い源流になっています。
師匠から、「平和」に向かうには、世界史、世界の哲学をわかっていなければならないと、教わりましたが、こうやって歴史をたどっていくと、
また、魂が、輪廻転生するならば、
傷を癒すこと、意識を変えていくことに時間がかかること、
傷をみること、新しい考え方に抵抗する、みようとしない人がいることも、人間の長い歴史、魂の歴史、魂の傷を思うと、うなづけます。
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