例年に比べて気温が低かったので、キャベツの成長がおくれて仕上がりがこの時期に成った。
その環境により成長の早さが左右される植物なので、この結果も当然だ。
何時も自然を相手にしている農家にすれば、ごくごく不通の出来事であり、普段と何も変わらないキャベツだ。

ところが市場での反応は違う。

一個200円の価格を提示すれば、
「安いのね。」
と喜ばれるが、何時もであれば反応はまちまち。
何時ものように栽培し、何時もと変わらない手間をかけて育てたキャベツで、かけたコストから算出した価格が一個200円だ。

工場で生産される多くの商品は、かかった費用に利益率が上乗せされた価格で販売される。
それで経営が成り立つか?成り立たないか?は市場の反応による。
それに対して、農作物はかかった費用に関係なく市場原理にゆだねられる。
どれだけ手間をかけて栽培して最高の出来であっても供給が過剰になれば、販売出来る価格は安く、出来が悪くても供給が少なければ高く販売出来る。
その事実を理解すれば、農家が大量生産すればするほど経営が難しくなる。
大量生産は他の農家に対して優位には成るが、付加価値をつけて高く販売する商いの基本からすれば逆行する。
多くの農家が、大量生産する事が経営を楽にすると考えて大量生産を可能にした結果、その価格が安くなり栽培すればするほど赤字を増やす結果にしてしまた。
それでも、化学肥料や農薬を使った栽培をする必要があるだろうか?
虫による障害によるロスや成長が遅くて出荷量が少なければ、市場に供給出来る作物が少なくなり高値に成りやすくその経営は楽になる。
現実に、江戸時代の農家は、他の農家よりも大量に生産する事を目指さず、必要最小限の生産量をより多くの農家で負担する事を選択している。
封建社会にあり支配層である武士にとって、社会が必要とする農作物は必要だが、その生産者である農家は少ない方が管理しやすい。
農家が生産技術を向上させて1人当たりの生産量を増やせば、社会の中で生活出来る農家の数は減っていく。
しかし、動物である人は繁栄をしようとするので、1人当たりの生産量の増産するようには発展せず、より優れた作物を作るように力が注がれる。
その基本的な考え方は、日本の物作りの精神に受け継がれて物作りの日本に繋がる。
◇日本に於いて、大量生産に繋がる農業器具の発達が遅れた原因でもある。