無限に食料が増産可能であれば、全ての人に望む量の食料を分け与えられる。
しかし、
現実には、限られた地球上で作物を栽培可能な農地は限られ、そこで収穫出来る食料を無限に増やせる訳ではない。
人工肉の培養等の技術開発により、食料確保を目指す動きもみられるが、水やエネルギー等の他の条件を思えば、自然供給される食料に比べて資源効率が悪くなるだろう。
つまり、
限られた食料で、
より多くの人が、より長く生活出来る社会を考えれば、1人当たりの食料を減らすところに行き着く。
食料だけでなく、燃料等の資源も同様で同じ結果になる。
より豊かな生活を目指す事は、現在の資本主義社会では当然の権利であり、社会全体の経済力を高める原動力として美徳とも意識される。
しかし、
それは限られた食料や資源の独占であり、一部の人達の利益でしかない。
ロシアのウクライナ侵効により世界的な小麦不足になり、日本国内でも小麦粉製品の価格高騰に繋がった。
経済的に豊かな日本では、価格の高騰で済む話だが、経済的弱者であるアフリカの諸国では小麦の輸入が困難になり、主食のパンを食べられない人が多く出ている。
経済発展した国の中では、価格の高騰で済む話しでも、貧国では食料の入手に関わる問題で飢え死にする人も出る大問題だ。
日本国内でもマスメディアが話題にあげる貧富の差だが、世界に目を配れば、大航海時代からの略奪により、豊かな国と貧しい国の差があり、豊かな社会の恩恵を受けられたのは西欧人と一部の地域の人だけだ。
全世界の人口が、それらのような生活をする事は不可能である。
「パンが無ければ、ケーキを食べれば良いのに。」
フランス革命が起きる時代に生きた、フランス王妃のマリー・アントワネットの言葉だとされる。
特別な階級社会の中に生きて、それ以外の社会が見えて居なかった逸話だ。
マリー・アントワネットに成っていないだろうか?