■ファンクラブ活動日記~49年前にタイムスリップ!
■さて、そのトラブルとは・・・。
3月30日(土)「オズモンズ・フェア」(心斎橋三木楽器店小ホール)動員320名で大成功。
その成功に水を差すような電話が翌日入った。
4月1日(日) ヘルパーのYasuko松下から夜に電話。「フィルムコンサートで販売した写真の利益は、私のフィルムだから私がすべて受け取る権利がある」と。何をいきなり言っているんだろう・・とびっくり。「利益をすべて渡す約束などしてません!」と強く反論した。
先の3月26日(火)「第7回フィルムコンサート」(森の宮青少年会館小ホール)から「集会で得た利益は近畿支部で保管し活動費として使用してよい」との独立採算制をA.M.PのMimiさんに認めていただき、収益を得ることを懸命に考えた。
まず、オズモンズのグッズを販売することを計画。初代ヘルパーのKumi清水に電話してオズモンズ71年来日時の写真のポジフイルムを受取った。Kumiは当時、近畿支部ヘルパーの写真担当で写真や8ミリフィルムを沢山撮影し保管していた。次に、ヘルパーのYasuko松下が71年来日時のオズモンズの写真を沢山持っているとのことで協力してもらうことにした。他にレコードやポスター・雑誌などヘルパーやメンバーが不要になった収集品を売ることにした。これらは一点もので値段を決めれないので当日舞台で即売会のような形式で、出品者に購入希望者が直接交渉。利益はそのまま出品者が受け取った。しかし、写真は新品で何枚もプリント可能ゆえ利益の一部をFCに入れてもらうことにした。
当時L判のプリント現像費が1枚カラー38円だった。これにYasuko松下の利益20円、FCの利益22円を加えて80円で販売することにした。結果、参加169名中61名が購入。その枚数はYasuko松下のカラー写真が148枚。Kumi清水のカラー写真217枚。モノクロ写真147枚、写真売上が35150円だった。ブロマイドではなく個人がバカチョンカメラ(当時のコンパクトカメラの呼び名)で撮影した写真ゆえピンボケもあり購入するファンは思ったより少なかった。Kumi清水の写真が多いのは、ヘルパーとしてステージ舞台裏とかホテル廊下とかで撮影した希少価値ある写真だから。
Yasuko松下は148枚の利益42円計6216円すべてを要求してきた。もちろん、僕は断った。集会でヘルパー達が準備・販売し、その後の作業としてネガから写真を選定・プリント・発送する写真の利益をすべて一個人に渡すなどあり得ない。きっぱりお断りした。
4月2日(月)Yuko小野から電話が入り、この日大阪梅田阪急三番街の喫茶店でYasuko松下と3人で会談。Yasuko松下は「私のネガフィルムだから利益すべては当然」と居直った。そのことより、Yuko小野が強く僕を非難してきたことが驚きだった。「言ってることがいつも変わる。信用できない」と。僕は「一度も利益すべてを渡すなど言ったことはない!」と強く反論。1時間ほど話したが、利益のことよりも、一番信頼していたYuko小野がこれほどもの分かりが悪く、また懸命にyasuko松下を擁護することにだんだんと嫌気がさし、「分かった。利益はすべてあげる。しかし、共に活動は出来ないからヘルパーは解散する!」と伝え席を立った(巻末画像に当時の日記)。
4月3日(火)Yasuko松下に利益6660円とプリント代不足分775円、計7435円を送付した(巻末画像に当時の日記)。ネガを貸してくれないのでプリントはYasuko松下にやってもらい、発送はFCがやることにした。
4月9日(月)利益の事よりも、一番信頼していたYuko小野と喧嘩別れになったこと、それに伴いヘルパー解散でこれまた一番頼りになるAoi山本とも別れることが一番辛かったので、A.M.PのMimiさんにお手紙で経緯を伝えて相談に乗ってもらっていた。Mimiさんは親身になっていろいろアドバイスを下さった。MimiさんもYuko小野とAoi山本のことは高く評価しており「お金のことはよく分からないけど、ナベくんから連絡しないと溝が深まるよ。二人は必要でしょ?」とお手紙をいただいた。
4月10日(火)Yuko小野に手紙を送付。「共に活動は困難ゆえ、ヘルパーは解散」と再度伝える。僕から連絡する理由はないが、このまま放置するとMimiさんが言うように決別になるので「あなたは、どう思ってるの?」という探りの手紙だった。
4月16日(月)Yuko小野から手紙。「私が言い過ぎたことは謝ります。もう一度話し合いたい」との内容だった。居直らず、思ったとおり素直な子なんだ・・と一歩進展した。
4月21日(日)夕方、Aoi山本から電話。「さっき、みんなで話し合ったんです。私たちはこれからどうすればいいんですか・・・」と涙声。これには参った・・・。関係のないAoi山本まで巻き込んでしまった・・・。幼い頃のことは記憶にないけど、小学3年頃からこれまで女の子を泣かしたことなど一度もない(結婚してからカミさんはよく泣かしたけど~(>_<))。これには正直参った・・・。なんか、自分が悪い男のように思えてきた。
ヘルパー5人の中でも意見の相違があり、Yasuko松下、Siyoko冨士谷、Mituko小比賀は脱退すると聞かされる。Yuko小野は残ってくれた。
5月1日(木)Aoi山本に手紙を送付。「僕が言い過ぎたことは反省している。もう一度一緒に活動しましょう」という内容。
5月4日(日)Aoi山本から手紙。同時に夜に電話が入る。いつもの明るいAoiに戻ってた。
5月7日(火)Yuko小野へ夜8時電話。お母さんが出られて「疲れていま寝てます」とのこと。9時半、Yuko小野から電話。4月2日以来約1か月ぶりの声。お互い素直に謝った。明るいOnoに戻ってた。Mimiさんが心配していたので、電話を入れるように伝える。同時に、Aoiへも電話して、Mimiさんに電話を入れるように伝える。
これで、トラブルは一件落着。残るべくしてAoiとOnoが残ってくれた(^o^)/ 二人は一年後に僕の跡を継いで二代目近畿リーダーになった。
5月10日(金)さっそく、Aoiから夜9時電話。別に用もなく雑談。Aoiはよく電話をくれた。携帯電話のない時代の自宅黒電話から。オズモンズの情報はそれ以前から、ほとんどAoiから教えてもらっていた。
つづく~
※今回は、暗くて面白くない話だったので、オズモンズの72~74年の写真をどうぞ(^^)v
★FC近畿活動史の中の74年4月2日の記録。「決裂する」と記載。それより・・汚い字だね~~(^^;)
★「第7回近畿フィルムコンサート&ミーティング」の収支日記。カラー写真現像費38円、モノクロ写真20円でした。入場料は300円でした。
★4月3日、Yasuko松下へ利益全額6660円、プリント代不足分775円、計7435円を現金書留で送付。右の〇印に書の文字は書留の意味。当時は口座入金ではなく現金はすべて書留送付でしたね。今・・現金書留使うことってあるのかな??
★オズモンズの当時のフォト(*^^*)