★74年3月★オズモンズ・フェア★動員320名★大成功!★osmonds | オズモンズ・osmonds・ファンクラブ・活動日記 1969~

オズモンズ・osmonds・ファンクラブ・活動日記 1969~

1971年「♪ワン・バッド・アップル」の大ヒットから半世紀、
今も世界の舞台で大活躍の〝The Osmonds オズモンズ〟
彼らのファンクラブ設立当時の活動史。
そして、ナベさんの「その後」と「今」(^^;)です。
(画像=1969年12月第1回大阪ファンクラブの集い)

■ファンクラブ活動日記~49年前にタイムスリップ!

 

★3月30日(土)「オズモンズ・フェア」開催~三木楽器店小ホール


■会場となる大阪心斎橋筋三木楽器店に午前9時に着く。すでに店の前にファンの女の子約30人の列。中には知っているFCメンバーもいて声をかけてくれる。「ナベさん、早く入れて下さいよ~」って・・。開演午後1時までまだ4時間もあるよ~(+_+)

ヘルパーのAoi山本(後の二代目近畿リーダー)と、昨年11月「第6回ミーティング」で、なぜか泣いていて? 話しかけたら親しくなってお手伝いしてくれた高校1年生のMegumi橋本が来ており、喫茶店で昨夜作成した整理券を手直ししてもらう。9時半にYuko小野(後に二代目近畿リーダー)Mituko小比賀Mizue田村(自宅が近所で中学の後輩)Yasuko松下が来て、打ち合わせ。

はじめに、列に並んでいるファンを解放してあげることから始めることに。Aoi山本とMizue田村が整理券を渡し一旦列を解散させ、その後も三木楽器店前の心斎橋筋で整理券を配ることに。あとの4名と僕は4階のホールに入り、椅子を並べる作業。途中、教映社の映写技師さんが来られたので、僕は壁にスクリーンを張るお手伝い。

そのうち、主催のA.M.P社長(青山社長ではなかった)、ディレクターのMimi井上女史、同じくFumio井上さん(この男性とは、72年6月隣のファッションビルパルコで開催した「フィルム・コンサート」でお会いしていた。A.M.Pの方と知ったのはこの日))。FCの東京企画委員(FCの幹部~全員高校生)の女の子4名が到着。Mimiさんに紹介される。大阪には僕やヘルパーがいるのに、なぜ東京から4名も??と思った。東京企画委員4名はFCの会報販売とFCメンバー募集担当。大阪のMegumi橋本、Mayumi藤原はポスター販売担当に。

※東京企画委員の事を少し。

(作成中)

○1回目開演 午後1時。動員120名満席
僕たちは長蛇の列のファンを階段で4階へ誘導。司会はプロの女性 中山ニナさん(巻末参照。残念ながらお顔を思い出せない・・・)。

プログラム
①司会者 中山ニナさんのご挨拶
②オズモンズの近況のスライド上映~僕がホール後方からプロジェクターをレコードのバックミュージックに合わせて操作。1枚1枚スクリーンに映し出す。約50枚。
③オズモンズからのメッセージ~テープを流し、ニナさんが訳しながら話を盛り上げる。
④スタジオ・ライブ・フィルム上映ジミーマリーダニーの新しいTV放映フィルムと、先日放送されたオズモンズの「Goin' Home」「Let Me In 」「Last Day」等の演奏フィルム(※YouTubeで見れます)。
⑤ロス・フォーラム・ライブ・フィルム上映~72年6月お隣のパルコで上映し、オズモンズの人気・変貌ぶりに驚いた話題のライブ・フィルム。
⑥カルピスCMフイルム~これまで放映された全巻一挙公開。

1時間半、大盛況で幕。動員120名立ち見客も。終わるとファンを静かに階下まで誘導。店前には2回目開演待ちの長い列。心斎橋筋は今も昔も観光客で賑わう大阪の人気スポット。沢山の観光客が若い女の子ばかりの列を見て「何事??」と気にしながら通るので、オズモンズのポスターの立て看板でも設置しておけば良き宣伝になったのに・・・と後悔。

○2回目開演 午後3時 動員120名満席
1回目と同じように階段で4階小ホールまで誘導。大阪ヘルパーや東京企画委員の女の子も慣れてきててきぱき動き、僕は暇に。ホールの外でMimiさんやFumio井上さんと雑談。スライド上映の時は映写機の操作をするためホールの中に入る。

ライブ上映の時は教映社の映写技師が操作。僕はまた暇になりホール外の平台にある販売用の会報やポスターを見ていると、東京企画委員が「ナベさん、今後の打ち合わせをしましょう」と言ってきたので、企画委員2名と大阪ヘルパーの中心 Aoi山本、Yuko小野、Mituko小比賀、Yasuko松下と僕の7名で隣のパルコ7階の喫茶店に入り今後の打ち合わせ。根底に「大阪は勝手なことばかりする」との前・東京企画委員と前・大阪ヘルパーの対立があるので話がだんだん尻すぼみになり・・・そのうち、Aoi山本やYuko小野がオズモンズのことを話し出し、なんとなくうち解けてきた。

丁度その時、すぐ横のテーブルに、なんと!同じ大学の友達がガールフレンドと座ったのでビックリ! 僕はその席に移り雑談。近い内に東京へ研修に行くとのこと。友達はみんな就職活動に追われていた。僕はファンクラブ活動に追われていた(>_<)

○Yuko小野、スカウトされる(^_^)v
ホールに戻ると、ヘルパーが「ナベさん、110番社の方が探してましたよ」と。ライブ・フィルム上映中のホールを探すとおられたので外でお話。先日、大阪グランドホテルのロビーでお会いした大西さんとその上司の小田原さん(初対面)。「今日来たのは、先日ホテルで会ったYuko小野さんをアイドルとして売り出したい」とスカウトに来られた。「レコード会社でレコーディングし、キャンペーンも大々的にやります」とのこと。僕は、〝あまり期待できそうな会社ではないなぁ~〟と最初から思ってたので「いや~本人がどういうか・・・見た目よりしっかりした子なのでどうかなぁ~。直接聞いてみれば如何ですか?」と(しっかりした子は芸能界に入らないという意味ではないですよ~(^-^; Yuko小野を探して連れてくるようにヘルパーに頼むとYuko小野が来てホール外の廊下で4人で立ち話。大西さんの説明に、Yuko小野は最初戸惑った様子・・・。でも最後はきっぱり「興味ありません」とお断りしていた。A.M.Pからお誘いあれば快諾したかもね(^o^)丿

※Yuko小野さん
先日ブログで記載しましたように、黒い瞳が綺麗な可愛い高校2年生。なにより大阪弁で気取ったところがなく明るい性格、いつも笑顔でメンバー誰とでもすぐに親しくなり、僕の卒業後、これまたしっかり者で可愛いAoi山本とFCの近畿リーダーになりました。

この話、後日談があり、四日後の4月4日(水)夜8時、小田原さんから僕の自宅に電話が入り「どうしても諦めきれないので、Yukoさんともう一度話をさせてほしい」と懇願された。この前々日からYuko小野とは喧嘩別れで疎遠になっており、Yukoの電話番号を教えた。でも、後でYukoに聞くと「お断りしましたよ~」とあっさり一言。

○もう一つスカウトのお話(^-^;
同じ頃、A.M.PのMimiさんが来て「ナベくん、○○さんというFCメンバーは顔見知り?」と聞くので、「○○さん・・・いえ、ヘルパーではないし・・話したこともないですね。どうかしましたか?」と聞くと「連れて来ている弟さん(小学生か中学生だった)がすごく可愛いので、社長がスカウトしたんだけど・・あっさりフラれた(>_<) 知っているならナベさんにもう一度説得してもらおうかと・・・」。それならYukoをスカウトすればいいのに・・・と思った。

※アイドル

「誰でもアイドル」の今の時代なら、芸能プロダクションに街でスカウトされれば即OKになるかも分かりません。この1970年代は確かにアイドルのはしり「新御三家」(郷ひろみ、西城秀樹、野口五郎)や「花の中三トリオ」(山口百恵・森昌子・桜田淳子)など若い子が台頭して来ましたが、それなりの実力を兼ね備えていましたね。だから街中でスカウトされても、まずは〝疑いの眼〟ありきで、「自分が芸能界!?」と信用はしなかったと思います(^^;)

○3回目開演 午後5時 動員80名
2回目を観るため同じメンバーも多く、時間が押し迫っていたのでスライド映写はカット。お手伝いしてくれたヘルパーも手が空き、後ろの椅子に座ってロス・フォーラムのライブ映像とカルピスCM映像全編を見て楽しんでいた。

午後6時過ぎに幕。急いで椅子やスクリーンのあと片づけ。売れ残った会報やポスターはヘルパーに分散させて持ち帰り保管してもらう。思ったよりも売れなかった。三木楽器店の樋口さん達にお礼のご挨拶。A.M.Pの社長、MImiさん、Fumio井上さん、司会の中山ニナさんとは三木楽器店前の心斎橋筋でご挨拶してお別れ。僕は、お腹が空いた~と嘆くヘルパー達を連れて心斎橋筋の大きな喫茶店ミリオンで食事して9時頃解散した。食事代、いつもはみんな割り勘だったけど、この日は26日「フイルムコンサート」の収益から出すことができた(^o^)丿

4月2日(月)の夜に、Mimiさんからお礼のお電話が入る。たまたま私はまだ帰っておらずが出た。

 

※オズモンズ・ツアー

このオズモンズ・フェアの時、Mimiさんと雑談中に「今度、オズモンズ・ツアーを計画しょうと思ってるんだけど、ナベくん思う? 参加してくれるかな~?」と。僕は「ツアーって・・なんですか?」と聞き返すと、Mimiさん「アメリカ公演に日本のファンを連れて行こうかと思ってるの」。「アメリカ!!(゚Д゚;)」貧しい学生の僕はびっくり!  何しろアメリカまで一人30万円! バイトの1日の日当が1000円のこの時代「参加するかなぁ・・・?」と思った。でも、Mimiさんの行動力は凄かった・・・(このお話はこの後に、つ・づ・く~)

 

司会を担当してくださった中山ニナさん

ネットで調べると心理カウンセラーとして大活躍しているそうです(巻末画像)。
(間違いであればお詫びし削除します)

つづく~~

 

「オズモンズ・フェア」で販売したオズモンズのポスター。

 

★同じくポスター。当時、左下に僕や親しきメンバーと一緒に撮影した写真を貼り、

部屋に飾ってました(^^)v

 

★1974年5・6月号ファンクラブ会報。

 

★僕のレポートがFC会報に1頁で掲載されました(^^)v 

★右頁下の左がA.M.P青山ヨシオ社長。若くてイケメンでしたね。

 

笈田育子(おいだ いくこ)さん
★中山ニナという芸名でDJアシスタント、司会、モデルとして活動の後、40代から心理カウンセラーに。目白大学大学院心理学研究科臨床心理学専攻修了。NPO法人カウンセリング教育サポートセンター 代表理事。2022年7月、カウンセリング心理士会 会長就任。